「ハイエク」に関連する記事
気がついたら英国病
- 2009年08月26日 (水)
英国病と言ってもマーガレット・サッチャーが克服したと言われるアレのことではありません。選挙を目前に控えた今の日本でなら、そっちの英国病のほうが面白い話題ではありましょうが、政治にも経済にも疎い私がそのようなことを書かずとも興味深い読み物はたくさんあるでせうから。今から書くことは私の個人的一時的英国病にすぎません。あしからず。 br>
というような導入にするとなんだかちょっと気合いを入れて書かなければならないような気がしてきた。
ナムナム・・・・
・・・・「ハイッ!」。
えぇ、肩の力が抜けました。だいじょうぶです。
えー、数週間前にハックスリーの『すばらしき新世界』を手に取ってからというものふと気がつくとなぜか英国人の書いた本や英国に縁のあるページばかり読んでいる自分がいる。特にジョージ・オーウェルとハイエク。オーウェルの代表作『1984』はもちろん読んだし、ネット上には彼の書いた評論その他が結構見つかるのでそれも読みつつある。ハイエクも同様。オーウェルを読むにしろハイエクを読むにしろ、いずれにしても私自身の興味の的は”個人と社会との関わり方”の部分にある。というよりもむしろ「あ、面白そうだ」と思うものはたいていそのあたりのことをテーマにしたものが多いと言った方がよさそうだ。ここ数日読んだもののなかでは、オーウェルが書評としてジャック・ロンドンやアーネスト・ブラーマ(ブラマー)と絡めて資本主義と社会主義との共通項(共通する危険性)について語った「ファシズムに関する予言」*1 (注:我訳です)は、彼がそれを公表したのが1940年という事実を考え合わせるとまさに予言だなと思わせれ、また、ハイエクが「法の支配の衰退」(注:これも我訳です)のなかで引用したアリストテレス『政治学』の一節、「全精力を選挙での得票に注ぎ込むようなあらゆる権力体制は(中略)厳密に言えば民主制とは言い難い」*2 という一節には「だよね」とうなずく。
ああ、頭がかしこまってきたなぁと思って、さて布団に入って「さぁて」と手に取った本はこれまたシェイクスピアの「夏の夜の夢」だったりする今日この頃でありました。
わるくない。
- George Orwell, ‘Prophecies of Fascism’, 1940 [↩]
- ;he even contends that “any such establishment which centers all power in the votes of the people can not, properly speaking, be called a democracy, for their decrees can not be general in their extent.” (Friedrich A. Hayek, ‘Decline of the Rule of Law’,http://mises.org/daily/3610) [↩]
お盆明けのつぶやき
- 2009年08月16日 (日)
- カテゴリ: 雑記
最近のこのブログは独り言というかつぶやきめいたことばかり書いていて、読み手のことがまるで眼中にないのではないかと思われている方もおられるかと思います。恥ずかしながら、仰るとおり、その通り、と今は言うしかありません。そして今日もつぶやきです。
昨日テレビでやっていたクリント・イーストウッドの「硫黄島からの手紙」を見てみた。どう過大にみつもってもせいぜい小隊長か中隊長にしか見えない尻軽な(フットワークの軽い)栗林「中将」ではあったけれど、師団長(正確には兵団長か)を師団長らしく見せることの出来る映画を作るのはきっと困難なのだろうなと思いながら最後まで見たことだった。
先日『田中清玄自伝』を読んでいて、そのなかにあったフリードリヒ・ハイエクとの親交に関するエピソードがとても興味深かったので一冊手に取ってみた。池田信夫『ハイエク〜知識社会の自由主義』(PHP新書)。ハイエクについて調べるにはちょうどよい手がかりとなりそうだ。
それにしても田中清玄に関する日本語版wikipediaの記述には、やれ「右翼」、これ「黒幕」、あれ「フィクサー」、といったおどろおどろしい文句が並んでいて、そのような人物とノーベル賞を受賞した高名な経済学者との結びつきは不思議といえば不思議だが、wikipedia(日本語版)の田中に関する記述自体がきわめて偏頗なものだと考えればべつだん不思議なことではない(でしょ?)。
田中清玄とハイエク、また調べることが増えた。
宿題が増えるばかりでほんと日暮れて道遠し、そればかり。
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