「テロリズム」に関連する記事
ありあわせですけど
- 2008年08月23日 (土)
- カテゴリ: 国際
以下、時々書き込みさせてもらっている別のブログ向けに書きかけた記事だが、書き進むうちにどうも「自分らしきもの」が出過ぎてしまい、いっそこちらのブログに書き込んだ方が適当に思われてきたのでこちらに投稿することにした。(このブログの普段の記事に比べればだいぶん穏当な内容だと思うがそれでもちょっと駄目なのだ。ほんとうは今日のうちに彼方の方に一本書いておきたかったんだけど。)
アメリカでアルカイダによる(とされる)9・11テロが起こった日のことは今でもよく覚えている。もうもうと煙を吐くツインタワー、崩れ落ちるツインタワー、姿を消したツインタワー。今から考えてみると、ツインタワーの崩壊と時を同じくして、「自由の国アメリカ」「民主主義のお手本」(という幻想)もあっけなく崩壊したような気がしている。
2008年7月に発表されたDHSの2つの政策によると、税関当局は、「米国に入国、再入国しようとする者、米国を出国、通過しようとする者、または米国に居住しようとする者が運ぶ情報」を、(当然ながら)日常的に押収、コピー、「分析」することができるという
「国土安全保障省、ノートパソコンの押収を無期限に可能に」(CNET)
この記事によると、米国国土安全保障省(DHS)つまりアメリカ政府は、パソコンを持って出国もしくは入国しようとする場合はパソコンに記録されているデータを検査・コピーしようと計画しているのだそうである。もちろんこれは出入国者全員のパソコンを検査・コピーするというわけではなかろうが、それにしてもただごとではない気がする。
もちろんテロを防止するという目的そのものは首肯されるにせよ、今、パソコンは一種の「人工脳」「外部脳」とも言える使われ方をしている。パスワードやIDなどの個人情報が入っていないパソコンなんてそうそう無いのではなかろうか。ましてやわざわざ海外から(叉は海外へ)持参しようというほど手元から手放せない手放したくないパソコンの中には、個人にとってはなはだ重要なデータが満載されていると考える方が理にかなっている。はたして他人の脳みそを覗いたりコピーしたりする(かもしれない)国に好んで行きたがる人がいるだろうか。おそらくいないだろう。見られて困るものじゃないものであってもそれを誰かに覗かれコピーされるというのは気分の良いものではない。
それほどまでしてテロから国を守らなければならないアメリカの人たちには同情の念を禁じ得ない。しかしきっと多くの外国人はアメリカ行きを避けてしまうのではないだろうか。そうか、こうした政策のほんとうの目的は外国人排斥にあるのかもしれないという気がしてきた。
鎖国アメリカ。
国の治安を守るために払わねばならない犠牲はなんとも大きいようだ。しかし、かの国にすむ人たちにとっては「やむをえないこと」だとしても、そのような犠牲を要求する国に好んで行こうとする外国人は少なかろう。
敵対者は殺せ?
- 2006年12月11日 (月)
- カテゴリ: 国際
21世紀はのちの人々から暗黒時代と呼ばれることになるのだろうか。
先日来報道が相次ぐ英国でのロシア人毒殺疑惑。ロシアがらみの暗殺疑惑といえば数年前のウクライナ大統領選候補者のそれも思い出されます。近くでは女性ジャーナリスト射殺事件もありました。
ロシアでは今年3月、大統領が、反ロシア的な姿勢を示す国外のテロリストやテロ組織を攻撃、殲滅(せんめつ)することを軍に命じられる反テロ法が施行された・・・今夏には反ロシア的な言論活動や扇動を行った者を「過激派」として懲役刑に処すことも可能となった
反テロ法や反過激派法の成立過程で、元情報当局者や民族主義的な政治家からは、暗殺を戦争行為の延長として合法化すべきだという議論も出ていた
狙われる「ロシアの敵」(産経新聞 iza)
「暗殺を戦争行為の延長として・・・」というのは突飛な考えとも見えますが、ビンラディン”暗殺”を目的としたアメリカのアフガニスタン侵攻を考え合わせればそれほど飛躍した思考法ではないと思えます。強いて違いを探すならば、ロシアはズバリ暗殺、アメリカは形ばかりの「公開裁判」を通じて「(一見)合法的」にターゲットを処刑、そのくらいでしょうか。多くの市民を巻き添えにしてしまう点ではアメリカの手法の方が罪が重いともいえるかもしれません。
ロシアでもアメリカでも、はたまたアジアの某国でも、歴史的語法に従えば”反動的”といってよい動きが目立ちます。そしてその多くが「反テロ」を名目にしていることも共通点のようです。その一例は「アメリカ愛国法」。
アメリカ愛国法(Patriot Act ): 英文解説(wikipedia)
そこで「テロリズム」について調べてみます。
wikipedia日本語版によれば
(一般的に)心理的恐怖心を引き起こすことにより、特定の政治的目的を達成しようとする組織的暴力行為のこと。またはその手段
テロリズムの語源は、フランス大革命末期のロベスピエールの恐怖政治(regime de la Terreur)の「Terreur、テロール、恐怖」よりきている。権力者が対立する者を抹殺した場合もしくは、その影響(恐慌や追従)も含めてテロと呼ばれていた。 その後、その意味は、逆に反体制側の暴力的手段を指すように変化していった
とのこと。
要は誰かに「恐怖心」を抱かせることで目的を果たそうとする遣り口、ということですね。
とすると「暗殺」という手段も「軍事侵攻」という手段も、どちらも相手方の恐怖心を惹き起こすという意味ではテロと同類というわけです。つまり反テロを名目とした暗殺・軍事侵攻はテロを制圧するためにテロを実行するということになります(したがってそれらの正当性を担保するものは”目的の適否”しかないということである)。
目的の適否となるとこれはもう議論百出侃々諤々百家争鳴だろうから私は沈黙。しかしひとの恐怖心を煽って目的を果たそうとする手法があちらでもこちらでも実行されているような社会がどのような傾向性を帯びるのかは歴史に学べば明白だろう。
しばらく前のロシア人女性ジャーナリスト殺害に関連した某新聞のコラムで「日本では政治的暗殺が行われたことはまだない」云々と書かれていた記憶がありますが、よくよく考えてみれば決してそんなことはありません。マスコミは他国での出来事に関してはあっさりと断定的な記事を書きますが、自国内のことには慎重にならざるを得ない、それだけのことではないでしょうか( ロシア政府は暗殺と認めていないが日本のマスコミは暗殺と断定的に書いていることもある)。
- 石井紘基衆議院議員殺害(2002年10月)
- 加藤紘一議員の実家に放火(2006年8月)
どちらのときもマスコミの報道では「暗殺」という言葉は使われていなかったし、記事の扱いもたいして大きくなかったと記憶します(当時の首相のコメントも通り一遍の見本のようなシロモノでしたね)。ロシアのジャーナリスト射殺の時の方がはるかに大きく(そしてロシアの後進性を批判的に)マスコミが取り上げていました。日本での報道において、ロシアの一連の事件を報道するにあたり「暗殺」という言葉が頻繁に用いられている以上は、この言葉自体が放送コード・報道コードに抵触するものではないのでしょうが、日本で起こる「テロ」に関しては滅多にこの言葉を見かけませんし、そもそもそうした出来事に関する報道は通り雨のようにすぐ止んでしまいがちです。
概して人間は、他人の欠点は精確に見えるが自分の欠点は過小評価してしまうものです。日本の言論・報道も政治も決してロシアを批判できるほどご立派ではないということは自覚しておきたいと思う。
今年度の「報道の自由ランキング」でも日本における右翼勢力の台頭に懸念が示されていましたよね(もっとも、書きたくとも書けないのかもしれない日本のマスコミに同情すべきなのかもしれませんが)。
ついでながら、当初は時限立法とされたアメリカ愛国法は、予想通り一部(盗聴条項と記録入手条項)を除いて恒久化された。一般論として、時限立法・特別措置法が文字通り期限付のものとしてその役割を終える比率はいかばかりのものなのだろうか(どなたかご存じの方ご教示下さい)。
少しずつ、でも着実に市民の自由が侵されていく。
個人の自由と集団内の秩序維持の両立というアポリア。
学者でもない私には、このての問題はつまるところ一人ひとりが自身の日々の行動を以て解消していく他はないのかな、と感じられる昨今です。
とりあえずこれにて。
何故かオレンジ革命と文学が夢に出てきた日に記す
あ、なんだか蜜柑が食べたいなぁ・・・
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