「2010年01月」に書かれた記事

2010年の書き初め&頭の準備体操

  • 2010年01月04日 (月)

年末年始、結局一度も投稿せぬままに過ぎた。
何本か書くには書いたけれども余りにも辛辣。
そして余りにも笑いやユーモアが欠けていた。

しばし考えたのちアップせぬままお藏入りした。
いずれ折を見てアップロードするかもしれない。
やったことのはただの整理整頓、大掃除のみ。
というわけで皆さまご覧の通りと相成りました。
(ほんの少しだけ)ブログの体裁を変えました。
変更箇所はおよそ次のようなところであります。

  • ブログ内検索パーツを画面右最上部に移動
    →スペースの有効活用
  • カテゴリ・月次ページを展開表示
    →これはまた元に戻すかも
  • 文字の大きさ行間隔の微調整
  • その他細部の微調整
  • (見えない)内部構造の簡素化・効率化
    →ページ表示に要する時間の短縮を図った

あれこれそちこちいじったおかげで
けっこうすっきりしたのではないかと。
まだまだ改善の余地はありますが
しばらくこれで様子を見るとします。
て”きるだけ定期的に更新しようとは
おもっていてせめて週に二三回を
めどに目標を定めようと思います。
でも、ひょっとすると(というか多分)
ときどきはサボるかもしれません。
うーん、どうもそんな気がする :(

(注)今日の記事のテキストレイアウトが今までと異っているのは上の体裁変更とは無関係です。為念 。

維新は遠くなりにけり

  • 2010年01月07日 (木)

杉山茂丸の著した『百魔』をようやく読み終えた。800ページを軽く超える人物誌はまるでスルメのように味わい深く、晩酌片手に読むには好適な一冊であった。1864年生まれの杉山が、彼の破天荒な生涯において関わりを持った有名無名の人物について手当たり次第に書き附けている。頭山満から始って、平岡浩太郎、品川弥二郎、星一、後藤猛太郎(象二郎の息子)・・・・・・と延々講談調で続いてゆく(なんでも留置場で同房者から講談を学んだ由)。ざっと勘定してみるとこの本の八割方はほぼ無名の人物について書かれている。無位無冠無職を誇った杉山の書いたものであることを考えれば当然なれど、日経新聞の「私の履歴書」とは全く趣きを異にする(当然です)。

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杉山 茂丸
価格:8925円

ところで最近大河ドラマ(幕末もの)が人気だとか耳にした(正確には、目にした)。総理大臣が国会冒頭「維新」を口にする時勢であることを考えれば、まぁそういうこともあるかもね、と思わぬでもない。私自身はNHKの大河ドラマを最後に見たのが何時なのか記憶にない。いまちょっとだけ思案してみれば、どうやら最後に(まともに)見た大河ドラマは太平洋戦争当時の日系アメリカ人を主人公とした「山河燃ゆ」(山崎豐子原作)だったような気がする。このドラマは1984年放送(Wikipediaで調べた)ということなので四半世紀前になる(まともな調べ物には頼りに出来ないWikipediaもことテレビや映画の記録としては大変便利で有り難い)。では何故に幕末・維新・時代劇を面白いと思えない私が昭和前半の歴史ドラマに多大の興味を覚えるのかをつらつら考えてみた。そしてひとまず達した結論はというと、時代劇(含む幕末もの)にはいわゆる「市民」が登場しないからつまらない、ということだ。

時代劇と云えばまあ御武家様が主役である。悪代官(これも御武家サマ)と結託する商人やら虐げられる百姓がほんの取るに足らない「その他大勢」として登場することはあっても端役はどこまでいっても端役でしかない。維新の元勲のように「御一新」以前は郷士だとか何だとかとして抑圧された人たちが主役であった場合も、その彼等の眼中には国家や天皇の行く末はあれど下々の名も無き百姓(ひゃくせい)は無いかの如きにしか描かれない(実際の所どうだったのかは知らない、もちろん)。一方で昭和前半の「軍国主義」の時代にあっては士農工商関係なく(まさしく十把一絡げに)国家というか社会というか集団化圧力というかそいういうものに大なり小なり抑圧される、と。つまりもし私がその当時に生きていたならば、(ただの土百姓である)私自身もまた無関係ではいられなかったわけだ。その相違点にこそ、私が明治以前の時代劇と昭和前半を扱うドラマとにそれぞれ共感を持ってみることの出来ない理由・出来る理由があるような気がするのであった。そんなわけで、維新がどうとか革命がどうとか戲れごとを言っている足下で「誰と言うことの出来ない”力”」が着実にそしてますます力を増していることを自分以外の人たちが今どのように考えているのかを私は是非知りたい、というか興味津々な今日この頃であります。つい最近のNHKドラマ「気骨の判決」を見逃したのが悔まれる。

以下ついでに。
開府以来300年もとい60余年の長きにわたり国政を預かってきた徳川幕府もとい自民党の支配の下、武士であって武士でない郷士もとい国会議員であって国会議員でなかった非自民諸政党が、経済発展の頭打ち人口構成の大変化という未曾有の国難に加うるに黒船もといグローバル経済の衝撃を奇貨として新たな政権を打ち立てることに成功した、と(あぁ息が切れた・・・)。で、ついつい維新の志士のイメージに自らの姿を重ねてしまうのであろうか、ね。
で、どうすんだ?

短きをもって尊しとなす〜チャーチル語録

  • 2010年01月09日 (土)

Broadly speaking, the short words are the best, and the old words best of all.

W.Churchill:私家版チャーチル語録目次
(この「不定期連載シリーズ!チャーチル語録第二弾」、試訳はコメント欄に思いつくまま記入してみます)

市民と祖国〜チャーチル語録

  • 2010年01月11日 (月)

Healthy citizens are the greatest asset any country can have.

W.Churchill:私家版チャーチル語録目次

過去のエントリから:スパム好みのエントリ

  • 2010年01月12日 (火)

昨年一年間の間にこのブログに置いて行かれたスパムの総計はAkismetの統計結果によると347件(ええ、その程度のアクセス数なのですよ)。で、その内訳に関する詳細な記録は持ち合わせないが、感覚的には347件のスパムコメントのうちの少なくとも八割方はどういうわけかたった一つのエントリに集中しているのでここにご紹介してみましょう。

関連記事~職質追跡でPTSDと国賠請求」(2006年10月19日)

このエントリは、警察官が非番の日に自転車窃盗の疑いで女子中学生に職務質問しようとしたところ恐怖を感じたその女子中学生が逃げ出してなおも警察官に追跡された挙げ句PTSDに罹患したとして女子中学生の両親が民事提訴したという事件に関するエントリです。

大した内容のないメモ程度のエントリではありますが、どこがどうしたわけなのかこのエントリがスパムの好物らしく、昨年後半から活発化し、さらに今年に入ってからもまだまだスパムが日參してきております。どうやら匿名プロキシを使っているらしく色んな国を経由してアクセスしてきているようですが、そのなかにはアフガニスタンのプロバイダーを利用したドイツ(とかオランダとか)のホストドイツとかオランダのプロバイダを利用したアフガニスタンのホストがロシアのメールアドレスでスパム投稿を殘していくとかいうような、なんとも国際色豐かなものもあったりします。「ほー、アフガンにもインターネットはあるのだね」と感心半分呆れ半分で毎日楽しみにスパムを待っています。上のエントリのいったいどういうところが”国際的”スパマーの好むところであるのかいささか興味のあるところです。

なお、そういう地雷らしきエントリをクリックしたくはないという方向けにそのエントリを転載しておきましょう。もし今回のエントリにもスパマーが食いついてくるようならばこの内容のどこかに何がしかスパマー好みの要素が含まれているということなのでしょうかね・・・(つまりこのエントリは「実験」です)。
なお当のスパムコメントはすべて検閲して排除済みですので実際には表示されません。

関連記事の紹介です。

落合先生のブログと同様、こちらも私がよく読ませてもらっている「元検弁護士のつぶやき」からです。
「ほんまに職質かいな?」

 私が地元住民なら徹底した調査の上、納得できる説明をしてもらわないと安心できません。

同感です。
結構たくさんのコメントがついていて(なかには現職警察官らしき方もあり)、これがまた参考になります。
一部引用させてもらいますと、

自転車盗でも刑法犯には違いないですから、特に事件の少ない駐在所では検挙のために躍起になってしまうのかもしれません。
当然検挙件数が少なければ、叱責を受けますし、下手をすれば実績低調で分限処分の対象となってしまいますから、必死にもなります。

どこの世界も”数値目標”達成に追われているのですね。

虚偽の自白を強要したくなるのも納得・・・です。

官吏は強し、か

  • 2010年01月16日 (土)

週末を
挟んで二日
経ったなら
疑惑は最早
既成事実か

(タイトルに「メモ」と入れるのを忘れた)

公務員ではなくリーダーとして

  • 2010年01月17日 (日)

政治資金問題を巡って改めて検察との対決姿勢を示した小沢幹事長に対して「信じています。どうぞ戦ってください」と述べたらしい鳩山首相、その後、野党その他の批判を受けて当の発言を若干修正した由。私はむしろ彼が首相になって以来初めて「リーダー」らしい姿を見せたと思った。たしかに行政府の長であるという観点からは批判の余地があるとしても、一党首として「信じる。戦いたいなら戦え」と述べること自体はリーダーとして当然の言と言うべきだろう。おそらく、もし彼が行政の長としての立場に重きを置いた発言をしていたなら、マスコミはかねてより言われていた二重権力構造に絡めて首相と幹事長との「仲間割れ〜」とでも書き列ねたはずだ。そもそも検察という組織がそれほどには(建前ほどには)首相すなわち行政府の長に対して従順でもなければ弱腰でもないことは、田中角栄の例やつい最近の鳩山氏自身の政治資金疑惑騷動からも明らかな、公知の事実ではないか。

これを機に鳩山・小沢の連携が機能しだせば民主党政権は今の党内体制を大きく変えることなく少しはまともな改革も実行できるかも知れない(ただ延命的なバラマキやあからさまな参院選向け政策はどうかと思う)。とはいえ民主党内の政策のばらつきや連立与党間の関係を見るにつけ、たしかに政界再編は必須だろうなと実感する。社会党社会民主党や旧社会党系民主党議員の発言を新聞で読む度に、「こういう人と議論しながら妥協点を見いだしてゆくことはまず無理だろ、だってハナから聞く耳持ってないもんね」と思うことがよくある(そうではなさそうな人もいるけれどそういう人に限って前回選挙で落選していたりするんだな)。
いや、書いた後で気分が悪くなる政治ネタはもうやめよう。

(以下、2010/01/27追記)

『人民は弱し官吏は強し』再読

  • 2010年01月17日 (日)

星新一の『人民は弱し 官吏は強し』を再読。著者の父である星一が設立した星製薬が、(戦前戦後を通じて見られる)利権政治の渦中で商売敵やそれと結託する政治家・官僚によってどのように陥れられていったのかを描いた史伝のような小説、あるいは小説のような史伝。どこまでが事実でどこからが新一による想像・創作なのかは判然としない(部分もある)が、読む人が読めば「そこ」に描かれた醜い有様の多くがまぎれもない実際の様子であることはたやすく知れるだろう。

著者は史実にもとづきながら、アメリカ帰りの楽天家である父が如何に前向きに事業に取り組み、そして如何にドロドロとした利権や保身の為の嘘や嫉妬の渦のなかに引きずり込まれていったのかを描くにあたって(彼にしては珍しく)抑えきれない怒りの感情を垣間見せている。

裁判で理非を明らかにしようというのではなく、あくまで罪人を作りあげたがっているようだ。気ちがいが刃物を振りまわしているのに似ている。

『人民は弱し 官吏は強し』(新潮文庫)

拘置所あたりで読むには最適の一冊かも知れぬ。

人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫) 人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫)
星 新一
価格:500円

(メモ)大地震後のハイチの混乱(?)

  • 2010年01月19日 (火)

救援活動(の指揮系統そのもの)に深刻な混乱が生じているとの報道。


2010/01/20追記:
サルコジが「アメリカはようやっとるよ、うん」と。

However, a statement from President Nicolas Sarkozy on Tuesday said France was “very satisfied” with the co-operation and praised the US for its “exceptional mobilisation”.

US troops are fanning out across Haiti as aid operations gather momentum, a week after the devastating earthquake. (BBC News)

最近気になっていること〜googleと中国

  • 2010年01月20日 (水)

先日来報じられている中国におけるgoogleに対するハッキング事件の行方に注目している。中国政府の関与が疑われ、またgoogle中国社内の人間が事件に関与しているとの消息筋情報もある。現時点ではまだ全容が明らかではないものの、現在の中国が如何なる政治体制の国であるかということをつい考えさせずにおかない一件ではある。当地日本では政治家の不正疑惑を巡って様々な情報と奇々怪々な思惑が交錯している状況であるだけになお一層印象深いニュースだ。

ところで今年は「ブログにもっとユーモアを」と目標を立てておきながら正反対のことばかり書いてしまっているなぁ。何本か堅いのが続くと柔らかいのを書くのが心理的にどうも難しくなる(まるで便祕のよう)。したがってたぶん目標の立て方そのものが間違っていたのだろう。よって新しい目標は「ホワイトUBSGWとブラックUBSGWとの切り替えを瞬時に行う」「ジキルとハイドを使い分ける」ということにしようかな。

狡猾〜チャーチル語録

  • 2010年01月21日 (木)

The English never draw a line without blurring it.

W.Churchill:私家版チャーチル語録目次

前言撤回〜チャーチル語録

  • 2010年01月22日 (金)

Eating words has never given me indigestion.

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対米國開戰のすゝめ

  • 2010年01月25日 (月)

國ノ興廃此ノ一戦ニ在リ
只今執筆中。公開日未定。

参照すべきページ:
「名護の総意多数派が日本の総意多数派ではないのではあるが」(Comments by Dr Marks)

追記)
面白可笑しいフィクションを書くのはホネなので、代わりと言ってはなんですが・・・。どうぞ。
「星新一の対米開戦論と民主党政権」(2010年01月30日)

酒の酔い本性違わず

  • 2010年01月28日 (木)

I may be drunk, Miss, but in the morning I will be sober and you will still be ugly.

W.Churchill:私家版チャーチル語録目次

星新一の対米開戦論と民主党政権

  • 2010年01月30日 (土)

昨日の鳩山首相施政方針演説を読んだ。演説の内容から(あらためて)明らかになったことは、少なくとも現時点で鳩山政権は(政治的に)身を切る覚悟を決めていないのだということだった。政権発足後、折に触れて「維新」だとか「新生」だとかの言葉を耳にしてきたが、政権発足後の経緯も踏まえてみれば、おそらく首相の言う「見直し」「組み替え」「再編」はどれも字義通りに読んだ方がよさそうだ。つまり単なる”模様替え”しかやりません、あるはもうそれしかできませんということであり、今回の演説で(ようやくと言うべきかとうとうと言うべきか)それを自ら鮮明にした。

鳩山政権は、発足直後から後退戰に次ぐ後退戦の連続であった。その最初の徴候は既に政権発足以前に浮上した鳩山首相自身の政治資金疑惑であった。結局この疑惑自体は昨年末に首相自身が検察に上申書を提出する形でひとまず沈静化したかに見えるが、おそらく今後も事あるごとに批判・揶揄されることは避けようもなく、まさに首相にとってのアキレス腱になるであろうことは想像に難くない。こうして民主党攻撃の橋頭堡を確保した検察庁は、本命小沢一郎への攻撃に着手した。その後の経過諸々委細省略すれば、こちらもようよう所期の目的を果たした、若しくは果たしつつあるとは言えそうだ。いずれにせよ鳩山首相も小沢幹事長も言ってみれば脛に傷持つ身となったことによって、当人たちは勿論のこと民主党政権そのものが検察庁(つまり官僚)から頑とした楔を深々と打ち込まれた。検察庁にとっては昔も今も「ベベンベン、あ〜政治家殺すにゃ包丁いらぬ 資金の出所洗えばよい、ベベベノベン」なのであった。

先日のエントリ(「『人民は弱し官吏は強し』再読」)でも触れた作家星新一は「官僚について」というエッセイの中で官僚に対する強烈な皮肉を込めて次のように書いている。

官吏ほど、このスリカエや身のひるがえし方のうまい者はない。(中略)官吏集団ほど強力な圧力団体はないはずである。それなのに、だれにもそうと気づかせぬ点、絶妙としか呼びようがない。もっとも、これは私たちが盲のせいかもしれない。
黒い霧のたぐいの責任は、すべて代議士に押しつけられ、官吏はいつも清潔である。自分の選挙区に橋や道路を優先して作らせ、あれこれ言われる代議士があるが、代議士の口ききでどうにでもなる側があればこそではなかろうか。どことなく変だ。官僚機構とは強いばかりでなく巧妙で不死身の怪獸である。民衆の手におえるのは、せいぜいママゴンとかいった程度の小怪獸ぐらいである。

官僚について 『きまぐれ星のメモ』角川文庫(1971) P263

このブログでも以前政治資金について「政治資金問題と浮気の効用」などいくつかの記事を書いたことがあるが、政治家とカネとが切っても切れない関係にあることはいまさら疑うまでもない。議員という職務がさまざまな「利権」と直接関わっているということ自体が、さらに様々な利権すなわちカネを”呼ぶ”のである。つまり、カネはカネを呼ぶ、とね。そしてそうした「利権に直接絡む」仕事は議員さんだけでないことは誰もが承知している。

政治家とならんで利権にまつわる仕事を為す官僚、そしてその周辺に存在する各種団体と官僚とのただならぬ関係を真っ正面から取り上げ、その改革・大掃除を主張して政権を取ったのがまさに今の民主党政権である。そして民主党が戦後(ごく短い期間をのぞいて)常に政権を担ってきた自民党との差異化を図ることの出来るポイントもここに存している。その理由は言うまでもなく、官僚と一心同体となってしまった自民党に行政改革は実行できない(なぜなら行政改革は自民党そのものの解体をも意味するからだ)のに対して、民主党には行政改革を実行できる「可能性」があるからである。

反共(反共産主義)という看板も既に意味を失った21世紀に入ってこのかた、自民党の存立基盤が単に「政権与党である」というその事実のみにあったことは、自民党が野党転落後、かつての支持団体の離反に打つ手無く、また理性的・建設的な政治的主張すらまともに出来ない、ただ議場でヤジを飛ばすか与党の揚げ足を取ることしかできない見るも無惨な(議席数とは別の意味での)泡沫政党に成り下がっていることからも窺うことが出来る。一方で自民党の野党転落という事実からは貴重な教訓が得られた。その教訓とは、いま有権者から最も強く求められているのは「バラマキ」「財政出動」では無いということである。なぜなら財政出動いわゆるバラマキ政策ごときなら、海のものとも山のものともつかない民主党でなくとも自民党政権にでも出来たことでありまた実際に自民党政権が実行してきたことである。民主党はなぜ自分たちが選ばれたのか、なぜ自民党でなく民主党が選ばれたのかをもう一度問い直してみた方がよいのでは無かろうか。

もし民主党が、規制緩和や郵政民営化、対米追従外交、新たな市場経済といったものへの対抗こそが政権を獲得し得た要因であるなどと考えているようなら、民主党が自らの過ちを思い知らされる時期はそう遠くないだろう。もしかすると参院選に勝利して盤石の体制を確立してから取り掛かるのだなど返答が返ってきそうだがしかし、あらぬ方向に走り出しそうな気配のある民主党にさらに「追い貸し」すべきがどうかは判断の岐れるところとなるはずだ。

星新一は先のエッセイを次のように締めくくっている。

私は最近、対米開戦論をとなえている。勝てるとは思っていないが、それでいいのである。やがて進駐軍がやってきて、行政改革をやってくれるかもしれないからだ。怪獸ヤクショザウルスを退治できるのは、それ以外にないにちがいない。
しかし、まあこんなことは起りえない。官吏は永久に安泰である。電子計算機が発達しても、そのための官庁がふえるだけだ。(後略)

同上 P264

(追記)
このエントリを読んで「官僚に抵抗しても無駄である」などと誤読する奴は、いっぺん死んでこい。という声を耳にした。その通り。

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