「2009年08月」に書かれた記事

老子道徳経より(二十二)

  • 2009年08月02日 (日)

二十二

曲則全 枉則直
窪則盈 敝則新
少則得 多則惑
是以聖人抱一 為天下式
不自見 故明
不自是 故彰
不自伐 故有功
不自矜 故長
夫唯不争 故天下莫能与之争
古之所謂曲則全者 豈虚言哉
誠全而帰之


曲なれば則ち全 枉なれば則ち直
窪なれば則ち盈 敝なれば則ち新
少なれば則ち得 多なれば則ち惑
是を以て聖人は一を抱き天下の式と為る
自ら見(しめ)さず故に明らかなり
自ら是とせず故に彰(あらわ)る
自ら伐(ほこ)らず故に功有り
自ら矜らず故に長ず
夫れ唯だ争わず故に天下能く之と争うこと莫(な)し
古の所謂(いわゆる)曲なれば則ち全とは豈に虚言ならん哉
誠は全にして而も之に帰す

規範、手本

私家版老子道徳経目次


(ひとこと)とても真似できないね・・・(自嘲)

ながいつぶやき

  • 2009年08月09日 (日)

なけなしの財源を旧態依然のばらまき政策で費消した政党の党首が”責任能力のある政党”だかを主張する説教強盗的滑稽さ、とうに旬を過ぎたゲーノージンの薬物使用疑惑で特番まで組んで大騒ぎする白痴的滑稽さ、昨日自分が言ったことも記憶してないかのような刹那的な生き様こそがまっとうな生き方でもあると言わんばかりのあれこれに、べつだん文句は言わない。やはりもう既に後戻りの出来る地点ははるか彼方に過ぎ去ったのだろうと思うだけで、それ以上何も言うことはないね。

次期政権党の呼び声高い野党もまた、ドブ板選挙などと称して既成の利権団体にすり寄ることで、”責任能力のある政党”との差異を希薄化させて、結局、総選挙の結果は人が言うほどの新しさは無いのではないかという思いが日々募る。もし驚くべき事態が生じるとするならば、むしろ選挙の後だという気もする。民主党分裂!とか。所詮は烏合の衆・・・かもしれない。
「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕る猫が良い猫」だ。

いっぽう、地方の首長たちがブンケン分権と寝言のように繰り返しているのもどこかに滑稽さがつきまとう。財源をよこせ、でないとうちの自治体破綻しちゃう、とさ。「地方自治」という化けの皮を被った半端な地縁血縁共同体なぞさっさと潰してよし。首長・議員・公共工事にすがる利権企業団体、その整理はいったいいつやるのか、それともやらないのか。これまた説教強盗の臭いが強い。国がやろうと地方がやろうと、利権あさりの挙げ句は財政破綻に決まっている点で違いはほとんど無い(但し、収入が増えないとすればのハナシ)。この点。課税はたまた苛税でその破綻が先送りされるであろうこともまた疑いが無い。
まあ、そんなことはどうでもいいがメモついてに書いておくとする。
結論としてはやはり「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕る猫が良い猫」だ。

で、最近読んだ本。

  • オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫)
  • ハックスリー『すばらしい新世界』(講談社文庫)
  • 田中清玄ほか『田中清玄自伝』(ちくま文庫)
  • 木村達雄『透明な力〜不世出の武術家佐川幸義』(文春文庫)

りきんだ力なんて自分が感じるだけで相手になんら影響を与えない。単なる自己満足だ

木村達雄『透明な力〜不世出の武術家佐川幸義』
ああ、スッキリした。

お盆明けのつぶやき

  • 2009年08月16日 (日)

最近のこのブログは独り言というかつぶやきめいたことばかり書いていて、読み手のことがまるで眼中にないのではないかと思われている方もおられるかと思います。恥ずかしながら、仰るとおり、その通り、と今は言うしかありません。そして今日もつぶやきです。

昨日テレビでやっていたクリント・イーストウッドの「硫黄島からの手紙」を見てみた。どう過大にみつもってもせいぜい小隊長か中隊長にしか見えない尻軽な(フットワークの軽い)栗林「中将」ではあったけれど、師団長(正確には兵団長か)を師団長らしく見せることの出来る映画を作るのはきっと困難なのだろうなと思いながら最後まで見たことだった。

先日『田中清玄自伝』を読んでいて、そのなかにあったフリードリヒ・ハイエクとの親交に関するエピソードがとても興味深かったので一冊手に取ってみた。池田信夫『ハイエク〜知識社会の自由主義』(PHP新書)。ハイエクについて調べるにはちょうどよい手がかりとなりそうだ。
それにしても田中清玄に関する日本語版wikipediaの記述には、やれ「右翼」、これ「黒幕」、あれ「フィクサー」、といったおどろおどろしい文句が並んでいて、そのような人物とノーベル賞を受賞した高名な経済学者との結びつきは不思議といえば不思議だが、wikipedia(日本語版)の田中に関する記述自体がきわめて偏頗なものだと考えればべつだん不思議なことではない(でしょ?)。
田中清玄とハイエク、また調べることが増えた。
宿題が増えるばかりでほんと日暮れて道遠し、そればかり。

ひかれ者の小唄

  • 2009年08月17日 (月)

今日は新聞休刊日であった。”紀元前”(Before ChristならぬBefore InfomationTechnologyとでもいおうか)の頃は新聞がないとちょっと退屈したものだったが今は新聞が無くても何一つ支障がない。むしろ「lこれから新聞どうなんだろね〜(?)」などということをつらつら考える暇が出来て結構なことだとさえ思う。そして、新聞社の未来に関してはそれほど頭をひねるまでもなく結論は見えていると思う。「残るところだけ残って残らないところは残らない」、とね。どこが結論なんだかね、とも思われようが、100年後200年後の遠い未来はともかくとして、向こう数十年(新聞・書籍諸々の紙媒体に慣れ親しんだ人たちが存命のあいだ)くらいはまだまだ新聞だって読まれると思っている。

とはいえそれが「新聞だから」というだけで生き残れるはずもないのは当然のことと言える。いったいに書籍が書籍であるだけでは到底生き残れない(絶版にならずには済まない)のと同様、単に新聞であるからいうだけでいったい誰がそれを読むだろうか。これはなにも書籍や新聞といった紙媒体のものに限った話ではない。たとえ紙媒体であろうと電子媒体であろうと、面白いと思えるものでなければ(読んでみようという興味を喚起できるものでなければ)それが多くの人たちに読まれることはまず無い。現在の状況は一部紙媒体の嘆きほどには電子媒体が優勢というわけではない。むしろ変化はこれからであり、近い将来には媒体が何であろうと読者の好みで媒体が選択されることになるだろう(※1)。

と、このテのハナシはとうにネット上のあちこちで言い尽くされていることではある。たとえばこれとか(TechCrunch日本語版)。しかし一方では、紙媒体に携わっている人たちの、「手間暇かけた記事を書いてもネットに収奪されるばかりでやってらんね〜」みたいな声もちらほら聞こえていて、なかにはわざわざネット上で名の通った(らしい)人物にその主張を代弁(代筆)させているかのようなものもある。たとえばこれとか(「グーグル情報革命の崩壊」 http://news.goo.ne.jp/article/php/business/php-20090817-01.html)(※2)。

インターネット上のポータルサイトが自社(既存の新聞社・通信社)の記事を安値が買いたたいてカスリを取ってるかのような主張(というか泣き言)は、言ってみれば「うちの社の業績が悪いのはライバル社が仕事を掠め取っているからだ」とでも言っているようなもの、「(学校で)俺の成績(順位)が低いのはあいつの成績が良すぎるからだ」とでも言っているようなものではないか。そこには「もしや俺のやること・書くこと、的外れかも」という自省がないように見える。実際、民放テレビ局は言うまでもなく、また全国紙・地方紙問わず新聞社の記事も読むに足りない(一読してそのまま忘却してしまう程度の)記事がほとんどであることは言うまでもない。少なくとも私にとってはそうである。

ではなぜ既存のマスコミの記事に読むべきものが少ないのかということも一考には値するが、ここではネットと既存マスコミとの関係に焦点を絞って考えてみたい。言葉を換えれば、同一内容の記事であるならば新聞ではなくネットで見る(読む)方がマシな理由は何かということだ。その答えは、身も蓋もないようだけど「無料(タダ)だから」の一言に尽きる。今一歩踏み込んで言えば、対価を払ってまで読みたいとは思わないような記事(=情報)は無料で読みたい、読めばいい、ということになろうか。そうした志向がインターネットの普及によって実現したとも言える。つまりあるべき形(適正価格)に戻っただけのことだということである。

実際に新聞を手に取ってみれば分かるように、紙面の5割ないしそれ以上の部分は単なる広告だし、記事にしても一切合切が自分の求めていた情報であるなどということはまずない(私の場合で言えば、切り抜いて保存しておきたい記事が1週間1カ月のうちに多くても二つか三つくらいのもの)。記事の多くは(3面記事を筆頭として)企業官公署のプレスリリースに基づくもので、全紙面を通じてもその中に記者が主体的に取材し検討し分析した跡の見えるものはごく少ない。確かにインターネット普及以前であればそれなりに報道媒体としての価値はあったのかもしれないが、つまるところそれは単にヨリ適当な媒体が無かったからというだけのことに過ぎない。しかしインターネットが広く普及した(しつつある)現状に即して言えば、社会にとって(人々にとって)既に既存マスコミを「媒体」とする必要性はほとんどない。もう少し正確を期して言えば、単なるプレスリリースを既存のマスコミの手で配信してもらう必要性はない、ということだ。単なる「広報」「プレスリリース」程度のものは企業官公署から直接インターネットを通じて広く一般に配信してもらうことは可能であって、そしてそれでもう必要にして十分なのだからいまさら新聞社・テレビ局を通すまでもないことでもあり、ましてそんなことに購読料その他の費用を支出するのは無駄だと言える。

ところで、こうした見方に反論する場合の既存マスコミの常套句は、「大量の情報を毎日さばくことは無理でしょ、情報を整理し・分析し・手元に届けることに新聞社(既存マスコミ)の存在意義があるのだよ」といったもののようだ。これに一理あるとしても、ではその情報が金銭(対価)を支払ってまで読みたいものか・読むべきものかどうかは全く次元の異なったハナシであるし、そもそもその整理(記事の取捨選択)や分析にしてが、既存のマスコミは既にそれを任せてもよいと思わせるだけの社会的信用を失っている。実際のところ、排他的な記者クラブ制度によって役所や企業に囲われ取り込まれ、企業官公署の広報部門の一つになっているかにも見え、つまらぬことに大騒ぎし、報道内容に関して責任を負うことを巧妙に回避し、書いているものに気迫も覚悟も機知もユーモアも感じることの出来ない程度のものしか提供できないマスコミにいったい誰が自身の情報ポータルとしての役割を任せると思うのか、甚だ疑問に思う。そのようなわけで、既存のマスコミはインターネットポータルサイトに搾取され追い込まれているなどとわめく暇に、そこのところをもう一度よく考えてみてはどうかと思うのだが、そうこうするうちに、彼らはますますインターネットに押され追い込まれ、それまで以上に中身のない「水増しコンテンツ」を乱発し、情報としての価値に疑問符のつく愚にもつかない情報を、まるでガマの油売りよろしく「見て見て」「買って買って」とやることで悪循環に嵌りこんでいる。

まだまだPCを充分に使えない人だって多いじゃないかと言う向きもあろうから、デジタルデバイドについて一言つけくわえるとすれば、新聞の購読料1年分でネットブック1台買える時代なんだから、あとは時間の問題だよ、ということくらいだろうか。新聞の再販制度を見直せば購読料3年分くらいになるのかもしれない。しかし仮に新聞の購読料が3割引6割引になっても、コンテンツの質そのものが変わらないなら新聞社のジリ貧は火を見るより明らかだろう。実際、無い方が良いような新聞社はいくらもある。一例を言えば、都道府県毎の新聞。こんなものは必要ない。(※3)

情報は誰のものか。当人のものなり。新聞社でもポータルサイトでもない、媒体ではなくて受信者のものなり。
「情報」についてはいずれ調べてみる予定。深みにハマりそうだけど。
結局、「引かれ者の小唄」ではなくなっちまった。

※1 たしかに現状では、PCをまったく使わない人、使うことを好まない人もまだまだおられるだろうから(実際、宅配新聞の購読者の年齢層は年々高くなっているそうな)、いずれそうしたデジタル(情報)格差は極小化するはずだということでひとまず未来形にしておく。

※2 ここでは、「リンクしない」=「共感できるところが無い」ということ(それどころかその支離滅裂さ加減が奇妙な意図すら想像させる文章なり)。

※3 記事は通信社配信記事か土建屋の設立ウン十周年のお知らせ広告か(密かな)政治的肩入れ記事か高校野球の県勢試合結果か自社イベントの宣伝くらいしか掲載されていなことがほとんどだから、まぁせめて「新聞社」ではなく「過藁版」とでも名乗るべきかと思う。もしそうでないなら存続の余地はあるか。

関連エントリ:(メモ)報道の自由とマスメディアの現状

(追記)
各記事の最下段の表示が乱れてます。そのうち修正します。(修正済)
(追記2)
2009年8月18日午前一部加筆修正

1Q84じゃなくて1984

  • 2009年08月19日 (水)

ここしばらく毎回面白く読んでいるあるブログで「民主党が農産物自給率食料自給率100%!」的な小咄を書いておられて、「!?」と思った。ほんとうにそんな政策目標があるのかと気になって調べてみたら、確かにそんな話が(2006〜2007年頃に)あったことを知ってちょっとびっくりした。で、実際のところ現在の民主党の政策目標はどうなっているのかと思ってこれも調べてところ、今後20年のうちで60%を目標とすることになっていた(民主党政策INDEX2009より)。
あやうく鵜呑みにするところだった。自称「混乱lover」とのことなので、うっかり気を許すとやられるようだ。小咄そのものはとっても笑えた。

笑えたと言えば、オーウェル『1984年』のなかの一文にも大笑いした。

三十九歳になる。離婚できない妻がいる。静脈瘤を抱えている。入れ歯が五本(P185)」

翻訳されたものであるにも関わらず”笑気”が絶妙の間合いのうちに封じ込められている。気になって原文を確かめてみたところ、”‘I’m thirty-nine years old. I’ve got a wife that I can’t get rid of. I’ve got varicose veins. I’ve got five false teeth.’”となっていた。翻訳者は高橋和久氏。『一九八四年』(新訳版)ハヤカワepi文庫2009年。

以下、同じ本からのメモ。

鵜呑みにされたものはかれらに害を及ぼさない。なぜなら鵜呑みにされたものは体内に有害なものを何も残さないからで、それは小麦の一粒が消化されないまま小鳥の体内を素通りするのと同じなのだ。(P241)

 ↑ 害もなければ益もなし。そして「彼ら」自身には害も益も無いとしても・・・。

スパイの真似事をする素人こそまさしく何よりも危険な存在なのだ。(P96)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫) 一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)
ジョージ・オーウェル
価格:903円

報道の自由ランキング 2008〜2002

  • 2009年08月21日 (金)

先日のエントリで新聞業界の展望について書いた際に、排他的「記者クラブ制度」について少しばかり言及しました。2006年に「国境なき記者団」が公表した「報道の自由ランキング(”Press Freedom Index”)」(注)で日本が51位だったということを取り上げたエントリ(「報道の自由ランキング 2006年」)を書きましたが、その後の変動がふと気になったので調べてみました。以下、国境なき記者団がこのランキング算定を始めた2002年以降のデータも(日本に関する限り)併せてとりまとめてみます。

注) このランキングの算定方法などに関する解説ページ(英文)として次のようなものがある。Read the first world press freedom rankingおよびHow the ranking was compiled

“Press Freedom Index”における日本の順位:

( )内はスコア又はポイント。数字が小さいほどランキングは高順位となる。

  • 2008年:29位/173国 ( 6.50)
  • 2007年:37位/169国 (11.75)
  • 2006年:51位/168国 (12.50)
  • 2005年:37位/167国 ( 8.00)
  • 2004年:42位/167国 (10.00)
  • 2003年:44位/166国 ( 8.00)
  • 2002年:26位/139国 ( 7.50)

各年の日本に関する特記事項:

2008年:
(アジア地区についてのセクションに、オーストラリア・ニュージーランドと並べて「民主主義が根付いている国々」とあるだけで特記事項はほぼ無し)
2007年:
「35位のイタリアは、ジャーナリストが何の心配もなく活動することを暗に妨げるマフィアグループの脅威に依然としてさらされてはいるものの、順位の下落には歯止めがかかった。37位の日本は、粋がった国家主義者(militant nationalists)による報道機関への攻撃がいくらか減ったように観察されたので、順位を(前年の51位から)14ランク回復した。」(注)
2006年:
「アメリカ合衆国・フランス・日本に於ける報道の自由の蚕食には特に警戒を要する」として特にこの三カ国について一項をさいて詳述されている。そのうち日本に関して「国家主義(nationalism)の台頭及び排他的(特権的)なプレスクラブ(記者クラブ)制度が日本に於ける民主的な利益を脅かしていることから、ニッポンは14ランク下落して51位となった。日本経済新聞社は火炎瓶による攻撃を受け、また複数の記者が極右活動家(右翼)の攻撃を受けて負傷した。」
2005年:
(日本に関する特記事項無し)
2004年:
「メディアは多様かつ強力ではあるが、記者クラブ制度のために外国報道機関及びフリーランスのジャーナリストは情報へのアクセス権を剥奪されている。」
2003年:
(日本に関する特記事項無し)
2002年:
(日本に関する特記事項無し)

出典:Press Freedom Index 2008, 2007, 2006, 2005, 2004, 2003, 2002

筆者注)
wikipedia日本語版「国境なき記者団」の項にも2002年から2007年までのランキング一覧がある。そこには2007年の評価に関して次のような記述がある(2009年8月21日現在)。「国境なき記者団はウェブサイト内で記者クラブの存在を批判しながらも、『過激なナショナリストによる報道機関への襲撃の減少が見られる』とし、日本での報道の自由が回復されつつあるとした」(強調は引用者)。

しかし、上に訳出したとおり、本来、回復したとされているのは単なる「順位」であって「報道の自由」そのものが回復基調にあるとは到底読むことができない。むしろ2002年以降の順位変動及び前段のイタリアに関する記述を考慮に入れるならばその評価は否定的ないし中立的でしかなく、wikipedia日本語版のこの記述は曲解だと思うがどうだろうか・・・。なにせマフィアにびくびくしなければならないイタリアよりも下位なのだから。それでも報道の自由が回復されつつあると言えたものだろうか。もし言えるのなら、大したもんだね。

この国境なき記者団によるランキングは、ジャーナリスト(ジャーナリスト集団)によるジャーナリスト(同)の為の主観的な評価という傾向が強いようで、各国に於ける報道の自由・言論の自由の実態を示す客観的な指標とは言えないが、一方でそのジャーナリスト自身の採点がこの程度と言うことは、実態はそれ以上に悪いのかも知れない。少なくとも私自身の感覚はそうだ。とはいえ、この「国境なき記者団」自体もちょっと調べて見ねばと思っている。正直なところ、よく耳にはするけれどよくは知らないので。

近々2009年のランキングも公表されるはずなのでそのときにはまた一言つぶやいてみるとします。

気がついたら英国病

  • 2009年08月26日 (水)

英国病と言ってもマーガレット・サッチャーが克服したと言われるアレのことではありません。選挙を目前に控えた今の日本でなら、そっちの英国病のほうが面白い話題ではありましょうが、政治にも経済にも疎い私がそのようなことを書かずとも興味深い読み物はたくさんあるでせうから。今から書くことは私の個人的一時的英国病にすぎません。あしからず。
というような導入にするとなんだかちょっと気合いを入れて書かなければならないような気がしてきた。
ナムナム・・・・
・・・・「ハイッ!」。
えぇ、肩の力が抜けました。だいじょうぶです。

えー、数週間前にハックスリーの『すばらしき新世界』を手に取ってからというものふと気がつくとなぜか英国人の書いた本や英国に縁のあるページばかり読んでいる自分がいる。特にジョージ・オーウェルとハイエク。オーウェルの代表作『1984』はもちろん読んだし、ネット上には彼の書いた評論その他が結構見つかるのでそれも読みつつある。ハイエクも同様。オーウェルを読むにしろハイエクを読むにしろ、いずれにしても私自身の興味の的は”個人と社会との関わり方”の部分にある。というよりもむしろ「あ、面白そうだ」と思うものはたいていそのあたりのことをテーマにしたものが多いと言った方がよさそうだ。ここ数日読んだもののなかでは、オーウェルが書評としてジャック・ロンドンやアーネスト・ブラーマ(ブラマー)と絡めて資本主義と社会主義との共通項(共通する危険性)について語った「ファシズムに関する予言」(注:我訳です)は、彼がそれを公表したのが1940年という事実を考え合わせるとまさに予言だなと思わせれ、また、ハイエクが「法の支配の衰退」(注:これも我訳です)のなかで引用したアリストテレス『政治学』の一節、「全勢力を選挙での得票に注ぎ込むようなあらゆる権力体制は(中略)厳密に言えば民主制とは言い難い」という一節には「だよね」とうなずく。
ああ、頭がかしこまってきたなぁと思って、さて布団に入って「さぁて」と手に取った本はこれまたシェイクスピアの「夏の夜の夢」だったりする今日この頃でありました。
わるくない。

フィード配信件数について

  • 2009年08月28日 (金)

今日、フィードが突然200件も配信されたかも知れませんが、全て過去の記事です・・。フィード配信設定を変更したので過去のフィードまで配信された模様です。以後、フィードの配信件数:20件から200件とし、そのかわり全文配信ではなく抜粋のみの配信としてみます。しばらく様子を見てまた元に戻すかも知れません。

(メモ)2009年総選挙備忘録

  • 2009年08月31日 (月)

昨日の選挙の結果、民主党が単独過半数獲得。自民党惨敗。
今回の選挙、特に自民党の苦戦が報ぜられていたが、あまりにも当然のこととして我が耳を素通り。
事前の、細々とした選挙情勢報道は、食事を終えた後に出される頼みもしない椀子そば。唯一、自民党がインターネット・新聞等に出稿した広告だけに目がいった。自民党の苦戦、というよりは「打つ手皆無・・・」の状況がありありと映し出されていて、良くも悪くも興味深かった。
以下、その一部を記録しておくとする。

(以下、掲載日順ではなく順不同)

景気回復を止めるな。
日本を壊すな。

回復への兆しが、またひとつ。
15ヶ月ぶりにGDPが年率3.7%に上昇。
自民党

継続は、力なり。
大きな賭けより
確かな政策こそ
景気回復への道。
自民党

日本を考える夏にしてください。

民主党による
「子ども手当の創設」
 ↓
増税になります
配偶者控除・扶養控除や児童手当が廃止になります。
子どものいない
専業主婦世帯は増税に。
よく考えてください。自民党

民主党による
「25%のCO2削減目標」
 ↓
各家庭の負担が
36万円増
目標達成のためには、
総合的な政策が不可欠で、
例えば、住宅への
太陽光発電の義務化、
次世代自動車以外の
購入禁止などの実施が
必要に。
よく考えてください。自民党

民主党による
「年金制度の一元化」
 ↓
自営業・農業者
イジメ
自営業者や農業者も
収入の15%が保険料に。
年収約400万円の場合、
現在の保険料から
月額5万円以上に。
よく考えてください。自民党

(2009/09/03追記)
確定投票率69%(前回総選挙67%) 
[※総務省発表データから端数切り捨て]

Home >> 過去記事 >> 2009年08月

フィード(更新通知)
窓口(Mail & Twitter)

このページの先頭へ戻る