「2008年11月」に書かれた記事

きんぴかいいね

  • 2008年11月03日 (月)

数ヶ月ぶりに車を洗い、身の回りの片付けをチョコチョコやりつつ、浅田次郎の初期作である「きんぴか」シリーズを読む。面白い、だけではない。

以下、時代遅れの○暴刑事向井権左ェ衛門の思いを代弁する元大蔵官僚のセリフ。

「無欲捨身の正義が私欲保身の権力によって葬られる。現代の不条理とはそういうことです。法律はおのずから被害者と加害者を規定する。しかしそれが真理であるとは限らない。あなたの四十年間の結論はそれです。違いますか?」(浅田次郎『きんぴか1』光文社文庫)

「女の心がわりは許せても、男の変節は許せない ——それだけのことだ」(同上)

こうしたセリフも生で聞かされると「ってやんでぇ、オイ」と茶々入れたくなるもんだが、うまい芝居のセリフなら「うんうん」聞けるもの。

ありきたりな事件事故政局をありきたりな観点から見た読み飽きられた記事ばかりの新聞なんかよりも浅田本の方が(フィクションであるにもかかわらず)よっぽど面白いし余程現実を写し取っているよなぁ、などと思いつつ、それでも毎朝新聞を読んでしまう私は、今日も(数日前も)「生徒を愚か者扱いしたトンデモ教師!」その他の見出しに向かって悪態をつく自分が只の偏屈者であることを再確認する。

ブッシュからオバマへ、か

  • 2008年11月05日 (水)

アメリカ合衆国大統領選挙でオバマが当選したのだそうで。
先のことは分からない。
それはそれとして、もしもあのテキサス出身で飲んだくれの原理主義者のぼっちゃまが大統領にさえならなければ、今でも生きていることのできた人たちが数千、数万、数十万人といるような気がする。同時にまた、もしもあの男が大統領にならなかったなら、アメリカも今しばらくは世界で幅をきかせることができたような気もする。
アホは大統領になってもやはりアホのまま。
そうね、安倍さんが辞めたときと似たような気分。

(お詫び)フィード二重配信

  • 2008年11月08日 (土)

以前書いた記事をちょこっと訂正する度にフィードを配信してしまっていることに昨日気づきました。解決方法としては、あとあと訂正しなくて良いように”慎重に”書くぐらいしか思いつかないので、当面そのようにすることにします。追々根本的解決を図りたいと思います。マニュアルを読めばどこかにかいてあるんでしょうが・・・(沈黙)。
決して「読んで!読んで!」の押し売りではありませんです。

引きこもりの『プリズンホテル』

  • 2008年11月08日 (土)

そろそろ冬籠もりシーズン、折悪しく(訂正!折良く)冷たい雨の降る休日、雑用の合間あいまに読みかけの浅田次郎『プリズンホテル』全4巻を読み終える。極道経営のリゾートホテルを舞台にとった、笑って泣いての娯楽小説、この作品この作家が半世紀後にどのような評価を受けることになるかなんてことはどうでもよく、右から左へと、ひたすら楽しめた。冬が来る毎に部屋に引き籠もって読書三昧の私にとっては、劈頭を飾る今冬第一作であった。
この本を読みながら、なぜかある作家のことがしきりに思い出されたが、どうしてもその名前がでてこない。あの人、直木賞の第一回受賞者、誰だったかな・・・。あ、ウィキペディアですぐひけるか。

スラムサガ

  • 2008年11月22日 (土)

野良仕事のあと、読みかけの『自省録』を眺めて一日が終わる。日が落ちてからまたブログデザインをいじくる。前のが一部に不具合があって修正するにも結構大変そうだったので、いっそのこと全面的にデザイン変更。といっても外観はほぼそのまま(にする予定)。表記が英語のままになっている箇所がたくさんあるので、今後ぼちぼち整えていく(これも予定)。

交番で(自称精神病の)警官が拳銃を玩具にしたり、隣県に本拠を置く暴力団(そういえば佐賀県内の病院で入院患者を射殺した犯人もそこに所属していた由)が県内に新たな拠点を構えたりと、いまだ物騒なことこの上ない佐賀県。ちなみにその根本的な理由は明らかでない。しかしそれなりの理由があるのは間違いのないところであろう。「アメリカの反知性主義」ならぬ「佐賀県の反知性主義」。(統計には表れないだろう)佐賀の治安の悪さはおそらく九州随一かもしれぬ。ときに、いまも佐賀県庁はネット検閲を続けているのであろうか。
なお、このエントリのタイトルはアイスランド・サガとは何の関連もない。

またはじまったか

  • 2008年11月23日 (日)

年金制度の構築に携わった元高級官僚の殺害事件に関する犯人報道がはじまった。マスコミの書きっぷりは相も変わらず、呆れてモノも言えず。どチンピラ。

現代の鬼平はいないのか

  • 2008年11月28日 (金)

今朝の朝刊にて、佐賀県武雄市内で昨年起こった、暴力団組員による入院患者射殺事件の控訴審に関する記事を読む。

そもそも控訴理由は、検察被告ともに一審判決の量刑不服としている。そこでひとつ気になるのは、被害者との間に示談が成立していることが一審の量刑に反映されていることである。もちろん、示談の成立により刑が軽減されていること自体になんの不思議もない。しかし、本件については、被害者遺族の被害感情はすこぶる強く、そのことについてことある毎にマスコミも報道している。今朝の控訴審に関する記事でも被害者の未亡人が敢えて顔をさらして、犯人への強い処罰感情を吐露しておられた。その処罰感情の強さは、何も今に始まったことではなく、報道によれば遅くとも一審の段階から、そして実際には、事件発生当初からのものであると考えるのが妥当であろうと思う。チンピラ暴力団が「ひとちがいでした〜」「いまでも組関係者とおもってまーす」等々再三再四供述を変遷させて、「反省してます」と言う一方で量刑不服で控訴しているという状況のなか、被害者遺族の処罰感情はますます募っているのが現状だろう。

しかしなぜそもそも被害者遺族は示談に同意したのであろうか。その点について、私は一審段階から疑問に感じていた。なぜなら「強い処罰感情」と「示談の受け入れ」とは両立しがたいと思うからである。強い処罰感情を持った遺族が、何故量刑が軽減されること疑いのない示談に同意することになったのか。当時、すなわち一審段階でその報に接した際に私が立てた仮説は、示談を決める時点で、遺族は示談成立が量刑の軽減につながることを知らなかった、あるいは知らされていなかったというものであった。

そもそもごくごく普通に生活している市民にとって示談成立=量刑軽減となることは常識的知識とは言えない。この事件発生後、佐賀県警は捜査本部が置かれた武雄署内に被害遺族の世話をする係を置いたとの新聞報道を記憶している(参照すべき記事を探すが見つからないので後日追記したい)。なにせこの件は事件発生直後に警察庁幹部が捜査本部を訪れて事件解決を督励するほどの社会的影響甚大な事件であったから、そうした世話係の設置も私には当然と思えた。しかしそれならば何故その担当者さらに言えば佐賀県警は、遺族に対して示談の成立が量刑の軽減につながることを教示しなかったのか。ここに私の大きな疑問がある。またぞろ「民事不介入」とでも言うのか? 理屈としてそれが決して立たないものでもないが、もしそれが事実ならそれは背信行為と言うべきである(論証省略)。

事件発生以降、この事件に関する報道を見ていると、どういうものだか、佐賀県警の対応の不自然さが言わず語らず浮かび上がってくるように思えてならない。しかしその理由は分からない。いまのところ、それは佐賀県の風土というものであろうと考えていちおう納得している。

ラクダ色のセーターに濃い茶色のズボン姿で出廷した今田被告は、被告人質問で「重症の肝硬変で余命1年しかない」と自らの病状を説明。「(宮元さんの)家族には申し訳なく思っている」と反省の言葉も口にしたが、発言のほとんどは「供述調書の日付が書き換えられた」といった不満の繰り返しだった。 一方、黒いスーツ姿で意見陳述した篤紀さんは、裁判長から証言席に座るよう促されたが、「被告と同じいすに座りたくありません」と強い口調で拒絶した。意見陳述は、A4判の用紙6枚に及んだ。宮元さんの一周忌法要を営んだ10月中旬から準備を始め、寂しさに耐える2人の息子たちの思いも込めたという。篤紀さんは、1審・佐賀地裁が懲役24年の量刑判断の理由の一つとした道仁会との示談について、「判決に影響することを判決後に初めて聞いた。知っていれば示談はしなかった」と述べ、示談金には手を付けていないことを明かした。

読売新聞九州版


(2008年11月28日追記)その後、示談に関して別の新聞に次のような記述を見つけた。

道仁会との示談については弁護士に一任していたことを明かし「お金を返せば刑が重くなるのなら、返してしまおうとも考えた」。

「凶悪事件防ぐ極刑を 入院患者射殺事件で遺族陳述」(佐賀新聞)[キャッシュ]

なるほど、この弁護士の氏名を是非知りたいものである。そもそも刑事事件に際して被害者が弁護士を立てることはそれほど一般的なことであろうか・・・。どのような経緯で受任したのか、なぜ示談に応じたのか。またひとつ疑問が増えた。ついでながら、佐賀新聞に関する個人的評価はこのブログの他のエントリを参照願う。

(2009年2月5日追記)
平成21年2月、福岡高裁にて無期懲役判決。
武雄射殺二審は無期 一審懲役24年破棄 遺族感情に配慮 福岡高裁判決(西日本新聞)

(2010年3月11日追記)
平成22年3月、最高裁が被告の上告棄却決定(3月8日付)。
佐賀の人違い射殺事件、元組員の無期確定へ(朝日新聞:2010年3月10日20時2分)

キーボード供養

  • 2008年11月29日 (土)

毎年、寒さを感じる季節になるとどういうわけか或る「匂い」というか「香り」が鼻の奥で感じられるようになったのは20歳を過ぎた頃からであったように思う。何の香りなのかいまだにわからないままだが、その香りを嗅ぐと妙に気が安らぐ。その香りのする香水でもあれば私的な精神安定剤として使えるのだが、なにせ他人様には説明しようのない匂いなので、いまだに入手できずにいる。ちなみに、たいていの場合その香りは煙草を吸うときに感じることが多い。しかし暖かい季節にはそれが感じられないのはどういうわけなのか。と、タイトルにそぐわないことをつらつらと書いたのも、きっとキーボードのせいなのだ。

PCというものを私的に使い始めて約10年、現在のキーボードは3台目となる。これがなかなか良い。
キーボードの使用歴はこんなふう。

  1. DELL 083DVR(本体付属品)
  2. Buffalo BSKBC01SV(3000円くらいのコレ)
  3. topre Realforce89UB(2万円弱のコレ

DELLのキーボードはなにせ初めてまともに使ったキーボードなので良いも悪いも分かりようはなく、「そんなもの」として使い続けて約10年。PC本体やマウスは度々変わったが、キーボードだけはずっとDELLを使用した。長く使えた理由の一つはPCそのものの使用頻度が少なかったためだろうか。それほど気に入っていたというわけでもなく、オプションのキーボードカバーを付けていないとやけにキーを打つ度に「カチャカチャ」と五月蠅く感じたものだが、それでも使い続けるうちに手になじんで音もそれほど気にならなくなった。ところが今年に入って、このDELLのカチャカチャ音がふたたび気になりだした。それまでよりも甲高い、キンキンする耳障りな打鍵音が聞こえ始め、キーを叩く度に鼓膜に響いてどうにもならず、それでもしばらくは我慢して使っていたものの次第々々にひどくなったため、やむなくキーボードのみ新規購入1台目。それがバッファローのもの。

で、このバッファロー、購入の時に静粛性に加えて、敢えて手持ちのノートPCのキーボードとタッチがにているものを選んでみたのだが、どうもしっくりこない。わざわざノートPCのタッチと似たものを選んだのも、その方が筆が進んだからなのだが、どういうわけかこのバッファローは手になじまず。タッチそのものは重いが、いざ動かすと抵抗が無さすぎてどうも私には合わない。DELLを使っていたときと比べて明らかにミスタッチが増え、おまけに日本語入力の切り替えにShiftキー+Enterキー(Controlキー+Enterキー)を常用していたせいもあり、ミスタッチが原因でATOKが奇妙なダイアログボックスを表示したりしていいかげんうんざりし始め、なんとなく新たなキーボードを物色しだした。

今回は慎重に選定。テンキー不要、Windowsはあまり使わないので「Windowsキー」も不要。文章の打ち易さだけを念頭に89キーのものにした。バッファローに比べるとタッチはさらに軽く、動かすときの抵抗もさらに軽い。指の動きに軽快に追従してくるので、つらつらと文章を書くには具合が良い。

そのような風にして、いくつかのキーボードを使ってみると、これまで使っていたDELLのキーボードは、付属品とはいえなかなか良いモノであったと感じる(多量の文章を書くにはチトうるさいが)。このエントリは、長年働いてくれたDELLのキーボードへの供養の代わりとする。

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