ろくでもない出来事ばかりが見聞される今日この頃、暇さえあればC.G.ユングを読んでいる。とはいえ、その暇も今のところ余り無い。なにせ農繁期でもあるので、ここぞとばかりにせかせか働いている。疲れた身体を寝床に放り込んでユングを読んでいると、何とも言えず気持ちが落ち着いてくる。ちなみに今読んでいるのは『現在と未来』。ここ数ヶ月、こればかりを何度も何度も読んでいる。
自民党総裁選は、名ばかりが知られた泡沫候補たちと、「国民的人気を誇る」本命候補による出来レース状態であると新聞にはある。歴史はクリカエスノデアルナア・・・、と安倍さんの顔を思い浮かべながら嘆息する。「国民的人気」とはすなわち「これといった理由もない、なんとはなしの、単なる雰囲気に過ぎない人気」ということだと私は考えるが、自民党の人々はその程度の、埒もない人気者にあやかろうとゴチャゴチャやっておられるのだそうである。実体の伴わない「国民的人気」に賭ける自民党議員と、実体の伴わない(過剰に抽象的な)マネーゲームとその破綻とが、私の目にはだぶって見えてしようがない。巨大投資会社の破綻の次には、自民党の衆院選惨敗と下野というニュースが飛び交うことになるのだろうか。ありそうなことだ。
一口に国民的人気といっても、オリンピックの金メダリストやメジャーリーグのイチロー選手に向けて言われる「国民的人気」と政治家に向けられた「国民的人気」とは全く似て非なるものであることは、恐らく多くの人々の感じるところであると思うが、なぜだかそのような言に接したことはそれほど無いような気がする。
”政治家と人気”に関して言えば、ヒトラーだってムッソリーニだって当初は「国民的人気者」であったというちょっとした歴史的事実を知る者なら、「人気」というものが如何にあてにならないものなのか知らないはずはないだろうに、我が身かわいさ票欲しさ目先の欲得目当てから人気者に群がる(一部の)自民党議員たちは、もう見るも無惨と言う他はない。ただ、それでも私は、衆議院選挙を間近に控えた今だからこそ、「イツソノコト麻生(太郎)サンニ早イトコロ政権ヲ取ツテモライタイモノデアルナア」と思っている。
と、そんなこんなを考えた後には、ユングの一言々々がまことに溜飲の下るものに思われるのでありました。
先日のエントリでふれたユングの『現在と未来』についてはいずれ改めて書くつもりだが、それに先だって概要を記しておく。私の手元にあるものは松代洋一編訳の『現在と未来』(平凡社ライブラリー、1996)。この訳書の巻頭には、1979年に刊行された『ユングの文明論』(思索社)の改題・改訂版であると記されている。
この本のどこがそんなに面白いのか」を書きたいのだが、それがなかなか書けないので、ここに編訳者のあとがき等を除いた目次の概要だけ記すことにし、当面は読者のご想像にお任せしたい。
・現代史に寄せて(Aufsaetze zur Zeitgeschichte)
はじめに
ヴォータン
破局のあとで
おわりに
・影との戦い(The Fight with the Shadow)
・インドの夢見る世界(The dreamlike world of India)
・インドに教わること(What India can teach us)
・ヨーガと西洋(Yoga und Westen)
・現在と未来(Gegenwart und Zukunft)
現代社会における個人の危機
集団化の補償としての宗教
宗教問題に対する西欧の態度
個人の自己理解
世界観と心理学のものの見方
自己認識
自己認識の意味
どうですか。面白そうデアリマショウ??
折り目・傍線だらけの本の中からパッと開いた箇所を抜粋してみる。
人間は満足を知らない動物である。たとえすべての労働者が自動車を持ったとしても、やはり生活を切りつめたプロレタリアでしかないのは、まわりを見廻せば自動車を二台持ち、浴室をもう一つ持っている人がいるからだ。
(「宗教問題に対する西欧の態度」より 213ページ)
教会は伝統的で集団的な信仰を代表しているわけだが、それも信者の大多数にあっては、自分自身の内面的な体験に支えられたものではなく、単なる無反省な信念であるにすぎない。反省しはじめたとたんに、いともあっさり信念をなくしてしまうのはよくあるとおりである。
(同上 215ページ)
初出・原題なども併せて記しておけば他の方にも便利だろうと思いはするのですが、今日は時間がとれないので後ほど追記しておくつもり。
いや、「スモーク」ではなかった。たぶん「ひかり」です、目にしみるのは。
このところ眼が痛い。ついでに頭痛も。原因はなんとなくPCのモニタのせいのような気がしている。液晶モニタ。
自宅のPCに長時間向かっているときはそれほど感じないのが、どういうわけか仕事場のPCだと無性に眼が痛くなり、肩が凝りはじめ、しまいには吐き気までしてくるのはどういう訳か。と、ここ数ヶ月というもの、考えるともなく考えていた。しかし原因はよく分からないまま、相変わらず仕事場のPCに向かい、相変わらず眼が痛かった。そして今日、これまたなんとなく「液晶モニタのせいではなかろうか」と思い至った。
自宅と仕事場のPC環境の違いの最たるものは「モニタ」。自宅のは古くて(比較的に)小さいブラウン管モニタ(17インチ)。いっぽう、仕事場のは新しくてちょっと大きめの液晶モニタ(19インチ)。大きめのモニタで目に優しそうな気もするが、液晶モニタはどうやら「眼には優しくない」らしいとネット上のあちこちに書いてあった。
確かにそんな気がする。
昼間酷使された眼は、自宅に帰って「目に優しい」ブラウン管モニタにさえ拒否反応を示し、集中力を削ぎ、根気を失わせる(ような気がする)。少なくともこの数ヶ月のうちに、(もともと悪い)私の視力は確実に低下しているのである。このままではいかん。
と、いうわけで、大きくて目に優しいモニタを探してみる。ブラウン管モニタは既に絶滅危惧種となっており、選択肢は事実上液晶モニタのみ。
目に優しい液晶モニタを物色するも、稀少かつ結構なお値段。2、3万円の液晶モニタの広告を見て「以前と比べていやに安くなったもんだなぁ」と思っていたが、なんのことはない、今だってまっとうな品を手に入れるにはそれなりの対価を支払わなければ手に入らないのであった。
翻って考えてみるに、食べ物もPCモニタも、値段は安いが身体にはよろしくないものばかりが普及しているご時世なのであるか・・・、そんなことを考えた今日は終日雨模様。
安い安いともてはやしたところで、結局誰かがどこかで骨身を削り健康を害して対価を支払っていると考える方が、精神的には健康なのかも知れぬ。
とりとめもないトリートメント。
ただの駄洒落。