「2008年05月」に書かれた記事

鏡の中の鏡の中の鏡

  • 2008年05月05日 (月)

黄金週間ということで、いくらか暇が出来たので溜まりに溜まったあれこれを「ショリショリショリ」と片付けている。が、まだ終わらぬ。

昨日だか一昨日の夜にボンヤリとテレビを眺めていたら、奇妙な報道番組が放映されていたので興味深く拝見。その番組の中で、「国民は怒っているのだぁ!!」らしきテーマ(?)が取り上げられていた。いや、取り上げられていたというよりは「作られていた」というほうが正確かもしれない。

トラックに呼び込んだ一般人に、政治への怒りを表現してもらう(怒ってもらう)という趣向のようであったが、私としてはそのようなものをテレビで見たところで面白くも可笑しくも腹立たしくもなかったわけであり、ただ、「いったいこの番組の制作者は視聴者に何を伝えんとしているのであるか・・・」ということにひたすら頭を悩ませることになったのである。
利権を手放さない与党・官僚及びそれへ「怒り」を向ける野党、そしてそうした政治へこれまた「怒り」を向ける「国民」、そうした国民をテレビに映し出すマスメディア、そうして私は、国民の怒りとやらを「報道」することで何かを作った気になっているマスメディア(番組制作者)に対して若干怒りの感情を含んだ憐憫を感じざるを得なかったのでありました。まあよくも「報道番組」などと自称できたもので、「おれたちゃ怒ってるんだぞお」ということ(だけ)を伝えることが一体どの程度「報道」と言うに値するのか、私にはちょっと分からない。「ブロードキャスター」。
報道番組を自称するバラエティ番組なぞ今さら珍しくは無いのは承知の上だが、「ついにここまで来たか」といささか驚いた黄金週間の一夜であった。「テレビの時代」は終わっちゃってたのね。やっぱり。

(追記)
このタイトルは分かりにくかったですね。

悪の表現自体は悪ではない。善や聖の表現自体が善や聖でないのと同じである。(M・エンデ)

という言葉が念頭にあったのでした。
(過去記事)「エンデ全集8 鏡の中の鏡」
(2008年5月6日)

読書メモ 20080522

  • 2008年05月22日 (木)

自分たちの満足のいくように自然を変えようと、いろいろあぶない橋を渡りながら、しかも身の破滅をまねくとすれば、これほど皮肉なことはない。
レイチェル・カーソン『沈黙の春』(新潮文庫)

(一口メモ)「自然」を「真実」と言い換えても良さそうだ。

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