「スタインベック」カテゴリの記事一覧

男一匹犬一匹

  • 2008年1月20日

ひところ暖かい日が続ゐていたがけふは雨。日本列島凍結か・・・。「たいへんだぁたいへんだぁ」
 ・・・・などと、ここで騒いでもはじまらないからやめるとしよう。ほんと寒いぜ。

私のお気に入りの作家の一人であるスタインベックの写真を見るたびに「イヌ顔だなあ」と思っていたんだが、じっさい彼は犬好きだったんだななどと『チャーリーとの旅』(ポプラ社 2007年)を読みながら思ったことだった。晩年の彼がプードル犬チャーリーと「ふたり」で全米を巡った際の紀行文。なぜ「ふたり」なのかはここには書かない。
ノーベル賞作家といい文豪というも、この作家のちょっとトホホ感の漂うユーモアらしきものはたとえば ”うつくしい日本の” OA とか KB あたりにもあるのだろうか。どうも無いような気がするな。
いやいや、ごちそーさま!

なおこの本の原題は "Travels with Charley"(1962) だが、その邦訳はなんだか若き日の著者の職歴にも似て紆余曲折を辿ってきている。bk1のデータベースによると弘文堂(1973) →サイマル出版会(1987) →ポプラ社(2007)へとなっている。
なんにせよ、良書が再び世に出たことを欣快とするものであります。

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『怒りの葡萄』を読み終えて

  • 2007年9月26日

怒りのぶどうは甘かった。と、これではなんのことやら意味不明か。先日私はこの作品を悲劇と書いたが、そうではなかった
(いや、そうか!?)。ま、悲劇でも喜劇でもそれはどうでもいい。物語の終盤にこれでもか!これでもか!とうち続く不幸なできごと。ふだん物語に感情を移入させて読むことの少ない私ですら「おいおいおーい」(これは泣き声ではなくて慨嘆)。
最後の最後、まさにどんづまりのところで訪れる救済。そうはいってもハッピーエンドとはとても言えないが。

物語は常にハッピーエンドでなければならない。
不幸な出来事、不条理は現実の世界だけでたくさんじゃ。
しかし、スタインベックは(私にから見れば)きわどい結末をつけてみせた。

と、こんなことを今頃になってこれを読んだ私がクドクド書いてもちょっとね・・・。一言で言えば、「悲劇」というより「叙事詩」であった。ママゴトみたいな私小説なんぞとは一線を画す、いや、次元を画す。いやいや、しかし・・・当時のアメリカでこの作品がどのように評価されたのか気になる。もちろん随分と売れたのは承知してるが。私情をまじえないハードボイルドな文体ながら、明らかに資本主義への批判が読み取れる。いや、もう少し正確にいえば、スタインベックは資本主義批判へと読者を導いている。読者がそう読むであろうことを知って書いている。しかしまたこの作品はどこをどう読んでも「プロレタリア文学」ではない。

おそらくスタインベックの特徴の一つはそのラディカルさにあると見る。彼は、資本主義だとか社会主義だとか、はたまた共産主義だとかその他諸々の、誰が言い出したか言っているのかよく分からないような枠組みには頓着しない。しかし、おそらく彼のようなラディカルな人間は、端から見ればたぶん「胡散臭い」。「あいつは資本家のイヌなんだろーよ」「あいつはアカじゃねえか?」などと出来合いの物差しで計られ、出来合いの枠の中に無理矢理押し込められてしまうだろう。手足がはみ出していようが頭部がだらりと垂れ下がっていようが、そんなことには殆んど誰も頓着しない。とりあえず枠の内にあるように見えればいいのだ。それによって社会の平穏は保たれる。

そんなことを考えて、wikipediaをざっと覗いてみた。日本語版には当たり障りのないことしか書いていなかったが、英語版にはやはり、あった。

Steinbeck complained publicly about government harassment. In a 1942 letter to United States Attorney General Francis Biddle he wrote “Do you suppose you could ask Edgar’s boys to stop stepping on my heels? They think I am an enemy alien. It is getting tiresome. The FBI issued ingenuous denials that Steinbeck was not “under investigation”. In fact, Mr. Steinbeck was indeed the object of intense FBI scrutiny. He was not under investigation, which is a technical term used by the FBI when they seek to collect evidence in connection with a specific crime.

Wikipedia(en)
(以下、拙劣訳)

「スタインベックは政府のいやがらせについて公に抗議し、1942年に彼は連邦司法長官フランシス・ビッドル宛に次のように書き送った。『私のかかとを踏みつけないように[訳注]エドガー・フーバー(連邦捜査局長官)の手の者に言っておいてもらえませんかね。彼らは私を敵性国人とでも考えているようです。うんざりしております』[原註] これに対して連邦捜査局(FBI)は、スタインベック氏について「捜査中ではない」と言下にこれを否定したが、そもそも「捜査中」とはFBI部内の用語法で「ある特定の犯罪への関与を示すような証拠を収集するための捜査」を意味するのであって ーーーしたがってそもそも犯罪に関与したという具体的な嫌疑のないスタインベックについては「捜査中ではない」のは言うまでもないのであったのだがーーー 実のところスタインベックはFBIによる厳重な監視の対象となっていた。」

UBSGW訳

[訳注]:「私のかかとを踏みつけないよう(“stepping on my heels”)」とはもちろん「尾行されている」ことを皮肉っている。

(以上、wikipedia(!)英語版スタインベックの項の一部を私が翻訳したものですからそれなりに読んでください。)

さもありなん。

原著の刊行は1939年。この年は(村上春樹が『ねじまき鳥クロニクル』で取りあげた)ノモンハン事件で関東軍がソ連に大敗、さらに安倍晋三の先達とも云える平沼騏一郎がヨーロッパ情勢の激変に対応できずに「ポキッ」と政権を投げ出した年であり、さらには欧州で第二次世界大戦の戦端がひらかれた年であった。
はたしてこの70年の間に人類はどれほど変わったのか。日本でも、持てる者と持たざる者との二極分化が言われ、警察・軍部を含む行政機構の暴走・迷走が後戻りのできない地点を越えつつあり、「国民総役人根性」が猖獗を極めている。いまの私にとってはなんとも示唆に富む一冊でありました。

福田康夫新政権誕生の日に記す。


(追記1)
このエントリへのコメントにてDr.waterman氏がご指摘下さったとおり、ドイツ(を含む枢軸国)からの移民とその子孫は(しばしば?)FBIの監視対象となったので、これだけを以てスタインベックの”政治的”背景が当局から問題視されたと言うことは出来ない。なお原註によれば彼は妻が共産党に関わることに反対して、自身は民主党に加入したとのこと。

(追記2)
「悲劇」というより「叙事詩」と書いてみたもののどうもしっくりこない思いが残っていたのだ。あとで、まさにこれだっと思える一文を見つけたので記しておく。「悲劇の本質は、決して不幸にあるのではない。ものごとの仮借のない働きの厳粛さのうちにある」(ホワイトヘッド)「白頭庵熱弁〜文明論的熱弁その参」。直リンクはまずいのかもしれないのでトップページのアドレスのみ記す。

http://www.geocities.jp/hakutoshu/civilizationlog3.html#topofthispage

スタインベック『創作日記』読了

  • 2006年10月6日

読了。

「エデンの東」創作日記。
編集者へ宛てた書簡の体裁をとったスタインベックの日記。
エデンの東を執筆していた彼が毎日ウォーミングアップ代わりに書き付けたものだそうです。実際に編集者(パスカル・コヴィチ)が読むことはなかった、一種の自己内対話。

日記という形式のせいか、一気に読むことは出来ませんでした。文章というのは量でばかりは計れないと実感。やはり書かれた内容に即した読書法というものがあるのでしょうか。

「エデンの東」を既に読んでいれば「あ~、あの場面にはそういう意図があったのか」などと楽屋裏を覗く感じでけっこう楽しめます。

われわれは、自分たちが何をしているかについて、ほとんどまったく知識を持たず、自分自身の暗闇の中で仕事をしている

それ(生きようとする意志)をぼくはほんの僅かしか持っていない。・・・これは死へのあこがれではなく、生れていなければよかったという一種の渇望なのだ。このことを述べたことが何回かあるが、その時ぼくは、・・・率直な不信から一種の憎悪に至までのあらゆる形の攻撃を受けた。・・・その限りで僕は、キャシーのような怪物である。

人間の誤った態度の一つは、小鳥は幸せな時に歌うと想像することだ。人間はそうではない—人間は苦しんでいる時、熱望している時にもっとも美しく歌うのだ。

彼女は怪物だが、それは実はぼくたち皆の中にいる怪物だから、それで彼等は彼女を憎むようになるのだ。人々が興味を持つのは、彼女が異質だからなのではなくて、そう(異質)ではないからなのだ。

この本の最後の方にある、スタインベックと架空の編集者との対話は笑えます。「エデンの東」を脱稿したスタインベックが架空の編集者たちの批評に対して自作の弁護をするという一見まじめな遣り取りですが、そのまじめな分だけユーモアに溢れているように感じました。”ユーモアここにあり”

創作者の自己内対話を読むのもなかなか面白いものがあるようです。
この本を読み、また先日『影の現象学』を読んだことを考え合わせるとどうも今の私の興味関心は”自己内対話”にあるような気がします。
決して意識的にそうしているわけではないのに、ふと気がつくと自分の言動がなにがしか一貫性を持っている。
これもまた無意識のなせるわざでしょうか。

創作日記―“エデンの東”ノート (1976年)
J.スタインベック
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スタインベック『エデンの東』

  • 2006年8月25日

少し前にこの著作について書いてみましたが、もう少しだけ。

全四部構成。(ジェームズ・ディーン主演の映画は第四部のみを映画化したものだそうです)
この作品、今年になって読んだ本のうちで最も気に入った本です。今後とも座右に置いて折々再読したいと思っています。
訳者は土屋政雄さんで、翻訳本であることを忘れるくらいスラッと読める、とてもこなれた文章です。

読んで感じたことをまとめてみようかと思いましたが、どうも意欲が湧きません、今日は。
もし気が向いたらまた書いてみるかもしれません。
今日は尻切れトンボでした・・・・

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スタインベック『エデンの東 下』

  • 2006年8月17日

読了。

”east of Eden”といえばジェームス・ディーンの映画しか知らず(しかも未だに未見)、「ちょっと甘えた少年の成長物語なんだろな~」くらいに思い込んでいましたが、浅はかだったようです・・・。

主要テーマ(原型)は旧約聖書創世記の”カインとアベル”の物語。

神との約束に違背してエデンの楽園を追放された夫婦アダムとエヴァ。その間に生まれた兄弟がカインとアベル。長じて兄カインは農業を営み弟アベルは羊飼いとなる。
あるとき、兄弟は神へ捧げ物をした。カインは農作物を、アベルは子羊を。しかし神はアベルの捧げた子羊だけに目を留め、カインのそれを無視した。嫉妬に狂ったカインの怒りは、神に対してではなく弟アベルに向けられた。
カインはアベルを殺した。その事を知った神によって追放されたカインはエデンの東にあるノド(さすらい)の地に住みついた。カインの末裔は永遠にその罪を背負い続けることになる。

この原型を下敷きにして、アイルランド系移民であるスタインベック家のルーツを交えながら父と子の葛藤(親子間の葛藤というより親(父)の愛を烈しく求める息子自身の内面的葛藤)・呪われた血筋、一人一人の人間の中に併存する善と悪、等々が描かれています。

弟子の準備が調ったときに師が現われる、という意味のことわざがあるそうですが(中国だったかインドだったか失念しました)、この本を読んだ私には、書籍もまた同じようにまさに必要となったときに巡り会う、そんな気がしてなりませんでした。
この本についてはまたいずれ書いてみたいと思います。
関連エントリ:スタインベック『エデンの東 上』

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スタインベック『エデンの東 上』

  • 2006年8月15日

読了。
実はスタインベック初体験。読んで良かったと思える本でした。
詳細は後日。

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関連エントリ:スタインベック『エデンの東 下』

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