怒りのぶどうは甘かった。と、これではなんのことやら意味不明か。先日私はこの作品を悲劇と書いたが、そうではなかった
(いや、そうか!?)。ま、悲劇でも喜劇でもそれはどうでもいい。物語の終盤にこれでもか!これでもか!とうち続く不幸なできごと。ふだん物語に感情を移入させて読むことの少ない私ですら「おいおいおーい」(これは泣き声ではなくて慨嘆)。
最後の最後、まさにどんづまりのところで訪れる救済。そうはいってもハッピーエンドとはとても言えないが。
物語は常にハッピーエンドでなければならない。
不幸な出来事、不条理は現実の世界だけでたくさんじゃ。
しかし、スタインベックは(私にから見れば)きわどい結末をつけてみせた。
と、こんなことを今頃になってこれを読んだ私がクドクド書いてもちょっとね・・・。一言で言えば、「悲劇」というより「叙事詩」であった。ママゴトみたいな私小説なんぞとは一線を画す、いや、次元を画す。いやいや、しかし・・・当時のアメリカでこの作品がどのように評価されたのか気になる。もちろん随分と売れたのは承知してるが。私情をまじえないハードボイルドな文体ながら、明らかに資本主義への批判が読み取れる。いや、もう少し正確にいえば、スタインベックは資本主義批判へと読者を導いている。読者がそう読むであろうことを知って書いている。しかしまたこの作品はどこをどう読んでも「プロレタリア文学」ではない。
おそらくスタインベックの特徴の一つはそのラディカルさにあると見る。彼は、資本主義だとか社会主義だとか、はたまた共産主義だとかその他諸々の、誰が言い出したか言っているのかよく分からないような枠組みには頓着しない。しかし、おそらく彼のようなラディカルな人間は、端から見ればたぶん「胡散臭い」。「あいつは資本家のイヌなんだろーよ」「あいつはアカじゃねえか?」などと出来合いの物差しで計られ、出来合いの枠の中に無理矢理押し込められてしまうだろう。手足がはみ出していようが頭部がだらりと垂れ下がっていようが、そんなことには殆んど誰も頓着しない。とりあえず枠の内にあるように見えればいいのだ。それによって社会の平穏は保たれる。
そんなことを考えて、wikipediaをざっと覗いてみた。日本語版には当たり障りのないことしか書いていなかったが、英語版にはやはり、あった。
Steinbeck complained publicly about government harassment. In a 1942 letter to United States Attorney General Francis Biddle he wrote “Do you suppose you could ask Edgar’s boys to stop stepping on my heels? They think I am an enemy alien. It is getting tiresome. The FBI issued ingenuous denials that Steinbeck was not “under investigation”. In fact, Mr. Steinbeck was indeed the object of intense FBI scrutiny. He was not under investigation, which is a technical term used by the FBI when they seek to collect evidence in connection with a specific crime.
Wikipedia(en)
(以下、拙劣訳)
「スタインベックは政府のいやがらせについて公に抗議し、1942年に彼は連邦司法長官フランシス・ビッドル宛に次のように書き送った。『私のかかとを踏みつけないように[訳注]エドガー・フーバー(連邦捜査局長官)の手の者に言っておいてもらえませんかね。彼らは私を敵性国人とでも考えているようです。うんざりしております』[原註] これに対して連邦捜査局(FBI)は、スタインベック氏について「捜査中ではない」と言下にこれを否定したが、そもそも「捜査中」とはFBI部内の用語法で「ある特定の犯罪への関与を示すような証拠を収集するための捜査」を意味するのであって ーーーしたがってそもそも犯罪に関与したという具体的な嫌疑のないスタインベックについては「捜査中ではない」のは言うまでもないのであったのだがーーー 実のところスタインベックはFBIによる厳重な監視の対象となっていた。」
UBSGW訳
[訳注]:「私のかかとを踏みつけないよう(“stepping on my heels”)」とはもちろん「尾行されている」ことを皮肉っている。
(以上、wikipedia(!)英語版スタインベックの項の一部を私が翻訳したものですからそれなりに読んでください。)
さもありなん。
原著の刊行は1939年。この年は(村上春樹が『ねじまき鳥クロニクル』で取りあげた)ノモンハン事件で関東軍がソ連に大敗、さらに安倍晋三の先達とも云える平沼騏一郎がヨーロッパ情勢の激変に対応できずに「ポキッ」と政権を投げ出した年であり、さらには欧州で第二次世界大戦の戦端がひらかれた年であった。
はたしてこの70年の間に人類はどれほど変わったのか。日本でも、持てる者と持たざる者との二極分化が言われ、警察・軍部を含む行政機構の暴走・迷走が後戻りのできない地点を越えつつあり、「国民総役人根性」が猖獗を極めている。いまの私にとってはなんとも示唆に富む一冊でありました。
福田康夫新政権誕生の日に記す。
(追記1)
このエントリへのコメントにてDr.waterman氏がご指摘下さったとおり、ドイツ(を含む枢軸国)からの移民とその子孫は(しばしば?)FBIの監視対象となったので、これだけを以てスタインベックの”政治的”背景が当局から問題視されたと言うことは出来ない。なお原註によれば彼は妻が共産党に関わることに反対して、自身は民主党に加入したとのこと。
(追記2)
「悲劇」というより「叙事詩」と書いてみたもののどうもしっくりこない思いが残っていたのだ。あとで、まさにこれだっと思える一文を見つけたので記しておく。「悲劇の本質は、決して不幸にあるのではない。ものごとの仮借のない働きの厳粛さのうちにある」(ホワイトヘッド)「白頭庵熱弁〜文明論的熱弁その参」。直リンクはまずいのかもしれないのでトップページのアドレスのみ記す。
http://www.geocities.jp/hakutoshu/civilizationlog3.html#topofthispage