「歴史」カテゴリの記事一覧

オープン・ソサエティとか全体主義とかの覚え書き

  • 2010年2月21日

ジョージ・ソロスが”The Age of Fallibility”の中で使っていた”feed-good society”という言葉について昨晩ひとしきり考えていたが、ここに書くまでには至らず、今日もちょっと書けそうにない。私が理解したところを端的に言ってしまえば、ソロスはこの言葉に、「自分さえよければ」といったような多少なりとも”主体的・能動的”な意味あいよりも、むしろ口当たりの良いものばかりを選好する(つまり消費者至上主義:consumerismに慣れきった)有権者の非主体的な在り方への批判の色を載せ、さらには、そうした受動的な有権者(それを群集と言い換えてもいいだろう)を十重二十重に取り巻くマスメディア、ひいてはそのような有権者によって選ばれた政権(ブッシュJr.政権)の政策に批判的な目を向けている(この本は2006年、ブッシュJr.再選後に執筆されている)。

ただしそれはこの本の副次的なテーマの一つに過ぎず、そもそもこの本の(そしてひょっとするとソロスの言論活動の)最も大きなテーマとしてソロスは「オープン・ソサエティ」という概念を何度も何度も手を変え品を変えながら書き綴っている。それも単なる市場開放だとか移民の受け入れだとかいう(相対的に)些末な話としてではなく、それらの淵源となるはずの「人間の思考態度そのもの」を起点として論(というよりはエッセイ)を展開してゆく。外界に対して「開かれた思考」と「閉じた思考」。「開かれた社会」と「閉じた社会」。

むろんそれ自体はなんら新しい概念ではない。でもそれは人が不断に配慮せねば保たれ得ぬものであることは確かであるように私は思う。ところで、なぜ彼ソロスはそれほどまでに「開かれた社会」「開かれた精神」に拘るのか。おそらくその理由の一つは、(ハンガリー出身である)彼がナチスとソ連の「全体主義」をまさしく身を以て体験したところにあると私は考える。

ここで私の話は一気に飛躍する(だから覚え書きなのです)。

ファシズム・全体主義の時代を生き抜いてきた人たちは(ソロスに限らず)、ごく近いうちに私たちの身近なところから消えてゆく。既に歴史的には(ある程度)相対化されたと言って良かろう二十世紀型のファシズムあるいは全体主義を、当時の生活の中で否応なく主体的に(それぞれの仕方で)経験させられた人たちが時の流れと共に姿を消したのち、現代人たちは新たな「ファシズムな何か・全体主義な何か」をそれとして確かに認識することができるのだろうか、あるいは(もし既にその萌芽でもが存在しているとすると)現にそれを認識できているのだろうか。

と、そのようなことを考えながら結局読み物としてはまだまとまらなかったので、とりあえずつまらないのを承知の上でここに書いてみた。いずれ改めて書く(書きたい)。
ではまた。

原著:George Soros,The Age of Fallibility: Consequences of the War on Terror
邦訳:ジョージ・ソロス『世界秩序の崩壊 「自分さえよければ社会」への警鐘

(2010/02/21一部改稿:主にテニヲハを修正)

斉藤隆夫「粛軍演説」全文(旧仮名旧字体)

  • 2009年12月23日

先日のエントリ「『キム王朝』と『財政改革』と『選挙の神様』 」で触れた斉藤隆夫の所謂「粛軍演説」について国会会議録サイトの速記録を読むついでにテキスト化した。なお現代仮名遣いのテキストは既にウェブ上にも複数存在するため、改めて同様のものをここに書き出すことに意義は無いと考えている(註1)。そのためここでは敢えて旧仮名遣いをそのまま記すこととし、その上で齋藤の質問演説に対する寺内寿一陸軍大臣の答弁を末尾に付記した。
なお、余談として日本語入力ソフトウェアについ書いておくと、最近のATOKには文語モードがあるので旧仮名遣いでも入力になんの苦労もない(私が使っているのはATOK X3 for Linux)。ただ、それでも漢字の旧字体(例:「旧字体」=「舊字體」)を(スムーズに)変換入力することができないので、ウェブ上に存在するATOK用の辞書(註2)を利用させてもらって効率化している。有り難うございます。

註1:テキスト化することによって、現代仮名旧仮名のいずれの場合にも存在する難読(難変換)漢字等についてウェブ辞書参照の利便を図ることには一片の意義はあるかもしれないと考えている。
註2:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/Data/index.html


官報號外 昭和十一年五月八日衆議院議事速記録第四號 国務大臣の演説に對する齋藤君の質疑 四〇〜四八頁(帝国議会会議録

議長(富田幸次郎君) 齋藤隆夫君
[齋藤隆夫君登壇]
齋藤隆夫君 我ガ國ノ歴史ニ拭フコトノ出來ナイ一大汚點ヲ添ヘタル彼ノ叛亂事件ノ後ヲ承ケテ廣田内閣ガ成立シ、身ヲ挺シテ國政ノ一新ノ衝ニ當ラルヽコトハ、吾々ノ最モ歡迎スル所デアリ、同時ニ國家ノ爲ニ衷心ヨリ其成功ヲ祈ルモノデアリマス、廣田首相ハ曩ニ大命ヲ拜セラレ、組閣ニ入ルニ先立ツテ天下ニ向カツテ一ノ聲明書ヲ發表シテ、將來ニ對スル決意ヲ明ニセラレタノデアリマスルガ、其聲明書ヲ見マスルト云フト、舊來ノ積弊を芟除シ、庶政ヲ一新シ、確乎不拔ノ國策ヲ樹立シテ、以テ其實現ヲ期ス、昨日此處ニ於テの御演説に於キマシテモ、此趣旨ヲ敷衍セラレテ居ルノデアリマシテ、洵ニ我意ヲ得タルモノデアルノデアリマス、御説ノ如ク今日我國内外ノ情勢ヲ見マスレバ、最早舊來ノ陋習ヲ追ウテ優柔不斷ノ政治ハ許サレナイ、速ニ此陋態ヲ打破シテ一大革新ヲ爲スベキ、國家的、國民的要求ハ澎湃トシテ吾々ノ眼前ニ押寄セテ來テ居ルノデアル(拍手)ソレ故ニ今日何人ガ政治ノ局ニ立ト雖モ、此決心ト此覺悟ヲ以テ當タラネバナラヌコトハ當然ノ次第デアリマス、固ヨリ是迄歴代ノ政府ニ於キマシテモ其考ガナカッタノデハアリマスマイ、其證據ニハ何レノ内閣モ成立直後ニ於キマシテハ、或ハ施政ノ方針ヲ聲明スル、或ハ政綱政策ヲ發表シテ、國民ノ前ニハ政治ノ革新ヲ誓ヒマスルケレドモ、ソレ等ノ方針、ソレ等ノ政綱政策ガ全部ハ愚カ、其幾分タリトモ實行ノ跡ヲ殘サズシテ、一兩年經テバ内閣ハ崩壊シテシマフノデアリマス、是ハ何故デアルカト言エバ、畢竟スルニ総理大臣ヲ初メトシテ、閣僚全體ガ眞ニ今日我國内外ノ情勢ヲ認識シテ、國政改革ヲ斷行スルダケノ熱意モナケレバ氣魄モナイ、勇氣モナケレバ眞劍味モナイ、唯目前ニ現ハルヽ所ノ國務ヲ彌縫シテ以テ一日ノ安キヲ貪ル、斯ノ如キ弛緩セル政治状態ガ過去幾年カノ間繼續致シマシタ結果、遂ニ今日ノ現状ヲ惹起シタノデアリマス、此秋ニ方リマシテ廣田首相ガ組閣ノ大命ヲ拜セラレ、敢然トシテ國政改革ノ斷行ヲ誓ハルヽニ當リマシテハ、天下何人ト雖モ之ヲ歡迎シナイ者ハナイノデアル、併ナガラ翻ツテ考ヘテ見マスルト云フト、國政ノ改革、国策ノ樹立、之ヲ唱ヘルコトハ極メテ易イノデアリマスルガ、之ヲ行フコトハ中々困難デアリマス、固ヨリ是等ノ題目ハ今日初メテ現ハレタノデハナイ、又現内閣ノ新發明デモ何デモナイ、從來政府之ヲ唱ヘ、政黨之ヲ唱ヘ、又有ユル政治家ガ之ヲ唱ヘテ、國民ニ向カツテハ何カノ期待ヲ抱カシテ居タノデアリマスルケレドモ、之ヲ具體化シテ以テ其實行ニ著手[原文ママ]シタル者ハ、殆ド見出スコトガ出來ナイノデアル、申ス迄モナク政治ハ宣言デハナクシテ事實デアル、百ノ宣言有リト雖モ、一ノ實行ナキ所ニ於テ政治ノ存在ヲ認メルコトハ出來ナイノデアリマス(拍手)ソレ故ニコンニチハ斯ル政治上ノ題目ヲ繰返シテ、之ニ陶醉シテ居ル秋デハナイ、速ニ之ヲ具體化シテ以テ其實行ニ取掛ルベキ秋デアリマス、故ニ私ハ此見地ニ立ツテ是ヨリ現内閣施政ノ大要ニ付テ御尋ヲスルノデアリマスルカラ、其御積リヲ以テ御聽取ヲ願ヒタイノデアリマス
 先ヅ第一ハ革新政治ノ内容ニ關スルコトデアリマスルガ、一體近頃ノ日本ハ革新論及ビ革新運動ノ流行時代デアリマス、革新ヲ唱ヘナイ者ハ經世家デハナイ、思想家デハナイ、愛國者デモナケレバ憂國者デモナイヤウニ思ハレテ居ルノデアリマスルガ、然ラバ進ンデ何ヲ革新セントスルノデアルカ、ドウ云フ革新ヲ行ナハントスルノデアルカト云エバ、殆ド茫漠トシテ捕捉スルコトハ出來ナイ、言論ヲ以テ革新ヲ叫ブ者アリ、文章ニ依ツテ革新ヲ
鼓吹スル者アリ、甚シキニ至ツテハ暴力ニ依ツテ革新ヲ斷行セントスル者モアリマスルガ、彼等ノ中ニ於テ眞ニ世界ノ大勢ヲ達觀シ、國家内外ノ實情ヲ認識シテ、假令一ツタリトモ理論アリ、根柢アリ、實行性アル所ノ革新案ヲ提供シタル者アルカト云フト、私ハ今日ニ至ル迄之ヲ見出スコトガ出來ナイノデアル、國家改造ヲ唱ヘルガ、如何ニ國家ヲ改造セントスルノデアルカ、昭和維新ナドト云フコトヲ唱ヘルガ、如何ニシテ維新ノ大業ヲ果サントスルノデアルカ、國家改造ヲ唱ヘテ國家改造ノ何タルヲ知ラナイ、昭和維新ヲ唱ヘテ昭和維新ノ何タルヲ解シナイ、畢竟スルニ生存競爭ノ落伍者、政界ノ失意者乃至一知半解ノ學者等ノ唱ヘル所ノ改造論ニ耳ヲ傾ケル何モノモナイノデアリマス(拍手)而モ此種類ノ無責任ニシテ矯激ナル言論ガ、動モスレバ思慮淺薄ナル一部ノ人々ヲ刺戟シテ、此處ニモ彼處ニモ不穩ノ計劃ヲ釀成シ、不逞ノ兇漢ヲ出スニ至ツテハ、實ニ文明國民ノ恥辱デアリ、且ツ醜體デアルノデアリマス(拍手)併シ私ハ今日此處ニ於テ斯ノ如キ革新論ヲ批判セントスル者デハナイ、此壇上ハ斯ノ如キ種類ノ議論ヲ試ミル處デハナイト云フコトハ十分ニ承知シテ居リマス、私ノ目指ス所ハ廣田首相ガ抱懷セラレテ居ル所ノ革新政治、其内容ヲ聽カントスル者デアリマス、便宜ノ爲ニ政治改革ノ方法ヲ二ツノ方面ヨリ御伺致シマス、第一ハ政治機關ノ改革デアル、卽チ立法、行政、司法此三機關ノ構成ニ關スル所ノ改革デアリマス、第二ハ是等ノ機關ニ依ツテ運用セラルヽ所ノ實際政治ニ對スル所ノ改革デアリマス、
 先ヅ第一ノ政治機關ノ改革、其中ノ立法機關ノ改革ニ付テ廣田首相ハ何カノ意見ヲ持ツテ居ラレルノデアリマスカ、近頃貴族院改革ト云フ議論ガ現ハレテ居リマスガ、是ハ主トシテ貴族院議員ノ間ニ唱ヘラレテ居ルノデアリマシテ、政府ノ意見トシテ現ハレタルモノハ聞カナイ、又衆議院ノ改革ニ付テモ議論ガゴザイマスルガ、是亦政府ノ意見トシテ現ハレタモノハナイ、要スルニ廣田首相ハ是等立法機關ノ改革ニ付テ、何カ手ヲ著ケラレル御積リデアルカ、又手ヲ著ケラレルト云フナラバ、何カ之ニ付テ相當ノ腹案ガアルノデアルカナイカ、之ヲ一ツ伺ヒタイノデアリマス
 次ハ行政機関ノ改革デアリマス、吾々ハ隨分長イ間行政刷新、卽チ行政機構ノ改革ト云フコトヲ聞カサレテ居ル、例ヘバ省ノ廢合デアルトカ、或ハ無任所大臣ヲ新設スル、其他中央地方ノ行政組織ヲ根本的ニ改革シテ、之ニヨツテ行政ヲ簡易化スル、行政ヲ刷新スル、行政費ヲ節約スル、繁文縟禮の積弊ヲ芟除スル、斯ウ云ウ議論ハ隨分長イ間聞カサレテ居ル、政府モ之ヲ唱ヘルシ、政党モ之ヲ唱ヘルケレドモ、今日マデソレガ實行セラレタ例ハナイノデアリマス、昨日總理大臣ハ此處ニ於テ行政機構ノ改革ヲスルト云フコトヲ名言シテ居ラルヽガ、本當ニ腰ヲ入レテ眞劍ニヤル積デアルカナイカ、若シヤルトスルナラバ、何カソコニ一ツノ腹案ガナケレバナラナイノデアルガ、相當ノ腹案ヲ握ツテ居ラレルノデアルカナイカ、司法機関ノ改革ニ付キマシテハ、今日別ニ問題ニナツテ居リマセヌ、後ニ運用ニ付テ一言觸レルコトガアルカモ知レマセヌ、詰リ革新政治ノ第一義デアリマスル所ノ政治機関ノ構成ニ關スル改革、之ニ付テドウ云フ御考を持ツテ居ラレルノデアルカ、先ヅ之ヲ承リタイノデアリマスガ、念ノ爲ニ一言御注意ヲシテ置キマスガ、私ハ決シテ政府ガ改革ヲスルト云フ所ノ決意ヲ聽カントスルノデハナイノデアリマス、私ノ聽カント欲スル所ノモノハ、改革ノ決意デハナクシテ、改革ノ方法デアリ、又改革ノ内容デアルノデアリマス、改革ヲシタイ考ハ持ツテ居ルケレドモ、マダ何ラノ腹案ハナイ、是カラ調査ヲスル、例ニ依ツテ委員デモ設ケテ愼重審議シテ、ソレカラ後ニ改革ヲスルカシナイカヲ決メル、サウ云フ御意見デアルナラバ、別ニ御答エハ要ラヌノデアリマス、私等ハ隨分長イ間サウ云フ答辯ヲ聞カサレテ來タノデアリマス、此上同ジヤウナ答辯ヲ聽ク所ノ忍耐力ハ持ツテ居ラヌ、既ニ改革ヲヤルト云フ以上ハ、其前ニ於テ相當ノ輪廓が出來テ居ラナケレバナラヌ、内容ハ備ワツテ居ラヌケレドモ、改革ヲヤルト云フ所ノ決意ダケデハ、吾々ハ承服スルコトハ出來ナイ、此際一言致シテ置キマスガ、私ノ觀ル所ニ依リマスト云フト、今日我國ノ政治機關、立法、行政、司法ヲ通ジテ是等機關ノ根本ニ付テ、甚シキ改革ヲ加ヘル所ノ點ハ考ヘテ居ラナイノデアリマス、ゴ承知デモゴザイマセウガ、我國ノ政治組織ハ、明治維新以來歐米先進國ノ長ヲ採リ短ヲ捨テ、之ニ我國ノ歴史ト國情ヲ加味シテ作ラレタモノデアリマシテ、其後時代ノ進運ニ應ジテ改正ニ改正ヲ加ヘテ、今日ニ至ツテ居ルノデアリマス、ソレ故ニ制度トシテハ相當ニ完備シテ居リマシテ、之ヲ何レノ文明國ノ制度ニ比ベテモ、決シテ遜色ハナイノデアリマス、故ニ問題ハ制度ノ改革ト云フヨリカ、寧ロ此制度ヲ運用スル人デアル(拍手)人ガ役ニ立タネバ如何ニ制度ノ改革ヲシタ所ガ、決シテ其實績ハ擧ガルモノデハナイノデアリマス(拍手)例ヘバ近頃無任所大臣ヲ新設スルト云フ議論ガアルヤウデアリマスガ、是等ノコトヲ畢竟スルニ是マデノ大臣ガ役ニ立タヌカラデアリマス、内閣大臣タルモノハ鷸蚌ニ於テハ行政長官トシテ、他ノ一方ニ於テハ國務大臣トシテ、大所高所ヨリ國家ノ現状ヲ眺メテ、国政燮理ノ任ニ當ツテ居リマシタナラバ、現行制度ノ下ニ於テハ國務ノ統一ガ取レナイ、豫讚分捕ノ弊ニ堪ヘナイ、斯ウ云フ理由ヲ以テ新ニ無任所大臣ヲ置クナドト云フ議論ガ出テ來ル譯ハナイ、御覽ナサイ、今日ノ制度ニ於キマシテモ、總理大臣ハ内閣ノ首班トシテ國務ヲ統一スルニ足ルベキ權限ヲ完全ニ握ツテ居ルノデアリマス、試ニ内閣官制ヲ見マスルト云フト、其第二條ニ於キマシテ内閣總理大臣ハ各省大臣ノ首班トシテ行政各部ノ統一ヲ保持ス、又第三條ニ於キマシテハ、内閣總理大臣ハ須要ト認ムルトキハ行政各部ノ處分又ハ命令ヲ中止セシムルコトヲ得、内閣總理大臣ハ現内閣官制ニ於テ、是ダケノ權限ヲ授ケラレテ居ルノデアリマス、ソレデ國務ノ統一ガ取レナイト云フナラバ、ソレハ制度ノ罪デハナクシテ、全ク總理大臣其人ノ罪デアル(拍手)或ハ豫算分捕ノ弊ニ堪ヘナイ、豫算ノ爭奪戰ヲヤル、何ンタル事デアルカ、毎年豫算編成ノ時期ニナリマスルト云フト、斯ノ如キ醜態ヲ暴露スルノハ何ガ故デアルカ、畢竟スルニ政府ノ政策ガ決ラナイ、政治上ノ大方針ガ決ラナイカラデアル、若シ政治上ノ大方針ガ決ツテ居リマスルナラバ、各省大臣ガ勝手氣儘ニ豫算ノ要求ヲ爲スベキ譯ハナイ、是等ノ弊害ハ現行制度ノ運用ニ依ツテ、如何樣ニモ芟除スルコトガ出來ルノデアリマス、況ヤ立憲政治ハ何處マデモ責任政治デナクテハナラヌ、内閣ガ政治ノ中心トナツテ、全責任ヲ負ウテ国政燮理ノ任ニ當ル、若シ力ガ足ラナイナラバ、其職ヲ去ルノミデアリマス、然ルニ此道理ヲ辨ヘズシテ、動モスレバ自己ノ無能無力ヲ補フガ爲メニ種々ノ工作ヲヤル、畢竟スルニ弱體内閣ノ慣用手段デゴザリマシテ(笑聲)憲政ノ本義ヲ紊リ、人ノ爲メニ官職ヲ設ケ、国政ヲ玩弄スルノ甚ダシキモノデアリマスルカラシテ(拍手)大イニ戒メネバナラヌノデアリマス、御斷リヲ致シテ置キマスルガ、私ハ決シテ制度ノ改革ニ反對ヲスル者デハナイ、改革スベキ必要ガあるならば、速ニ改革ヲシナクテハナラヌノデアリマスルガ、唯近頃ノ改革熱ニ浮カサレテ、何カ改革ヲシナクテハ面目ガ立タナイ、改革ノ名ヲ得ルガ爲ニ、强ヒテ不自然ナル改革ヲスルコトニ付テハ、私共ハ斷乎トシテ反對ヲスルノデアリマス(拍手)
 次ハ實際政治ノ改革ニ關スルコトデゴザイマスルガ、是ハ極メテ廣汎ニ亙ツテ重大ナル問題デゴザイマスルガ、此實際政治ノ改革ニ付テ廣田首相ハドウ云フ抱負經綸ヲ持ツテ居ラレルノデアルカ、廣田首相ノ聲明ヲ見マスルト云フト、舊來ノ積弊ヲ芟除シ、秕政ヲ一新スルト云フコトガアリマスルガ、若シ舊來ノ政治ニ積弊ガアリ、又秕政ガアリトスルナラバ、前兩内閣ニ歴任セラレタ所ノ廣田首相ノゴトキモ、又確ニ其責任ノ一端ヲ負ハネバナラヌノデアリマスルガ、私ハサウ云フ責任論ハ決シテ致サナイノデアリマス、唯廣田首相ガ認メテ以テ積弊ト稱シ、又秕政ト稱スルモノハ、主ニドウ云フ點ヲ指シテ居ラルヽノデアルカ(「サウサウ」と呼フ者アリ、拍手)何處ヲ目標トシ、何處ヲ狙ツテ居ルノデアルカ、是ガ明ニナラネバ、如何ニ自ラ苦心焦慮セラレタ所ガ、如何ニ意馬ニ鞭タレタ所ガ、到底改革ノ實績ヲ擧グルコトガ出來ルノモノデハナイノデアリマス(拍手)
 今日政治問題トシテ最モ重キヲ置カレテ居ルトコロノモノハ、言フ迄モナク國防ト財政デゴザリマスルガ、國ノ内外ヲ見渡シマスルト云フト、政治ガ改革ノ大斧鉞ヲ揮ハネバナラヌ所ノモノハ、中央地方ヲ通ジテ、大小共ニ算ヘルコトノ出來ナイ程澤山アルノデアリマス、例ヘバ學制改革、吾々ハ隨分ト長イ間學制改革ヲ聞カサレテ居リマスルガ、今以テ實行ガ出來テ居ラヌ、文部大臣ハ是マデ口ニ學制改革ヲ宣傳スル、或ハ其實行ニ手ヲ著ケタコトガアリマスルケレドモ、悉ク失敗ニ歸シテ居ル、御承知デモゴザリマセウガ、學制改革ハ今日世界文明國ニ於テ最モ重大ナル問題トナツテ居ルノデアリマス、ソレハドコカラ來テ居ルカト云フト、詰マリ歐羅巴戰爭カラ來テ居ル、歐羅巴戰爭ハ十九世紀ノ文明、卽チ舊文明、舊文化ヲ根柢カラ破壞シ去ツテ、其缺陷ト其弊害ガ遺憾ナク暴露セラレテ居ル、如何ニシテ之ヲ立直スコトガ出來ルカト、各國ノ識者、政治家ガ研究努力致シタ結果、其根本問題トシテ一決致シタル所ノモノハ、卽チ教育方針ノ改革デアルノデアリマス、文化ノ立直シハ教育ノ立直シデアルト云フコトニ一決ヲシテ、其中獨逸ノ如キハ三年ヲ出デザル中ニ學制改革ヲ斷行シタ、殊ニ近時「ナチス」ノ政治ノ時代ニ至リマシテカラ、一層青年教育ニ力ヲ盡シテ、御承知ノ通リニ青年ノ勞働奉仕團ト云フガ如キ特色ヲ發揮シテ居ルコトハ、世界周知ノ事實デアルノデアリマス、是ハ獨逸バカリデハナイ、其外英吉利デモ、佛蘭西デモ、伊太利デモ、歐羅巴ノ諸国ハ悉ク—-其國情ニ依ツテ教育ノ精神ト内容ハ違ヒマスケレドモ、何レモ獨逸ト相前後シテ學制改革ヲ斷行シテ、青年ノ教育ニ向ツテ最モ力ヲ注イデ居ルコトハ御承知ノ通リデアル、然ルニ我國ノ教育ハ如何ナルモノデアルカト云フト、相變ラズ舊式教育ヲ追ウテ居ツテ、所謂過度ノ詰込取義二偏シテ、精神主義、人格主義ヲ殆ド無視シテ居ル、是ガ爲ニ甚シキニ至ツテハ青年ノ發育マデモ害シテ中途ニ倒レル者ガドレダケアルカ分ラヌ、斯ウ云ウ無理解ナル、斯ウ云フ時代後レノ教育ヲ施シテ居リナガラ、是等ノ青年ニ向カツテ將來ノ日本ヲ背負ツテ立テヨ、所謂躍進日本ノ運命ヲ擔ヘト迫ツタ所デ、是ガ出來ルコトカ出來ナイコトカ、考ヘル迄モナイコトデアル、昨日文部大臣ハ此處ニ於テ從來ノ學門偏重ノ教育ヲ廢シテ、人格主義ノ教育ヲ施スト言ハレタ、是ハ私モ同感デアリマスルガ、斯ウ云フコトハ歴代ノ文部大臣カラシテ屡〃聽イテ云ルノデアリマスルガ、是ガ實行出來ヌ、學制改革ト云フヨウナ大問題ハ、微々タル一朶威神ノ力ヲ以テ出來ルモノデハナイ(笑聲)内閣全體、政府全體ノ壓力ヲ以テ是ニ向ハナケレバ(「謹聽」ト呼フ者アリ)何時マデ經ツテモ是ハ解決スルコトガ出來ナイト思フガ、ドウデアルカ或ハ裁判權ノ運用、是ハ、前ノ議會ニ於キマシテモ一言述ベタコトデアリマスガ、ソレハ何デアルカト云フト、我ガ日本ノ裁判ガ非常ニ遲レルコトデアリマス、凡ソ世界文明國ニ於テ我國ノ裁判程著シク遲延スル處ハナイ、歐羅巴諸国ノ裁判ガドウ云フ工合ニナツテ居ルカト云フコトハ、一々例ヲ擧ゲテ説明スル迄モナク、時々現ハルル所ノ外國電報ニ依ツテモ分ルノデアリマス、前年亞米利加ノ大統領ガ狙撃セラレタ、幸イニ傷ハ負ハナカツタ、或ハ墺地利ノ總理大臣ガ暗殺セラレタ、又近クハ亞米利加ノ社會ヲ聳動セシメタ所ノ彼「リンデー」ノ小兒殺害事件、斯ウ云フ事件デモ犯人ガ發覺スルヤ否ヤ、一二週間ヲ出デズシテ死刑ノ宣告ヲシテ、直チニ執行シテシマフノデアリマス、然ルニ我國ノ裁判ハドウデアルカト云フト、例ヘバ天下知名ノ士ガ或處ニ於テ殺害セラレタ、犯人ハ其場ニ於テ捕ヘラレタ、犯罪ノ證據ハ極メテ歴然タルモノガアルニ拘ラズ、二年モ三年モシナイト云フト、一審ノ裁判スラ濟マナイノデアル、或ル政治家ノ涜職事件ノ如キハ八年掛ツテ居ルガマダ濟マナイ、齋藤内閣辭職ノ原因トナリマシタトコロノ彼ノ帝人事件ノ如キモ、其後二年有餘ニナリマスケレドモ、マダ一審裁判所ノ事實審理スラ濟マナイ、聞ク所ニ依レバ是マデ百囘以上ノ事實審理ヲヤッテ、是カラマダ二百囘以上ノ事實審理、禪語合セテ三百囘以上ノ事實審理ヲヤルニアラザレバ、一審ノ判決ヲ下スコトガ出來ナイト云フガ如キ、吾々ノ常識ヲ以テシテハ想像スルコトガ出來ナイノデアリマス、斯ウ云フ裁判ノヤリ方ヲシテ居ツテ、ドウシテ時代ノ要求ニ應ズルコトガ出來ルカ(拍手)ドウシテ此大切ナル所ノ人權自由ヲ保護スルコトガ出來ルカ、若シ裁判ノ手續ガ複雜デアリマスナラバ、是ハ速ニ改メテ簡易ニスルガ宜シイ、裁判官ノ數ガ足リナイ、金ガナイト云フナラバ、金ヲ要求シ、又政府ハ金ヲ出セバ宜シイノデアリマス、或ル方面ニ於テハドシヽヽ金ヲ出スガ、國民ノ大切ナル所ノ人權自由ヲ保護スル此裁判所ニ於テ、金ガ出セナイ譯ハナイノデアル(拍手)或ハ又近頃各地ニ於テ人権蹂躙ノ問題ガ起コツテ居リマスガ、其事實ヲ聞キマスト、實ニ驚クベキモノガアル、所謂肅正選擧、選擧取締ヲ勵行スル厲行スルコトハ極メテ宜イ事デアリマスガ、故ラニ……(「内務大臣ドウシタ」「大臣ノ出席ヲ求メマス」ト呼フ者アリ)犯罪ヲ製造スルガ爲ニ法規ヲ濫用シテ、濫リニ人民ノ自由ヲ拘束スル、人民ノ自由ヲ拘束スルバカリデハナイ、強イテ虚僞ノ自由※ヲ求ムルガ爲ニ之ヲ虐待シ、之ヲ拷問シ、或ハ人身ニ傷ヲ負ハセ、甚シキニ至ツテハ拷問ノ結果、良民ヲ死ニ至ラシメタモノガアル(拍手)何タル野蠻ノ行爲デアリマセウ(「政務官ハ居リマスカ」ト呼フ者アリ)苟モ立憲政治ノ下ニ於キマシテ、殊ニ昭和ノ聖代ニ於テハアリ得ベカラザル事デアリマス、何レ此事ハ他ノ機會ニ於テ吾々ノ同僚ヨリ、證據ヲ示シテ論爭セラレルコトト思ヒマスカラ、私ハ此以上ハ申シマセヌガ、是等ノコトニ付キマシテモ、政府當局ハ眞劍ニ其事實ヲ調査シテ、從來ノ弊害ヲ一掃スルコトニ努メル大責任ヲ擔フテ居ルノデアリマス、是ハ唯一二ノ例ヲ示シタノニ過ギナイノデアリマスガ、今日司法及ビ行政ノ行ハレマス所ノ實際ノ有樣ヲ見マスト、斯ノ如ハ天下到ル處ニ累々トシテ横ハツテ居ルノデアル、此積弊ヲ根柢ヨリ洗去ツテシマフト云フノガ、卽チ政治革新ノ要諦デアルノデアリマス、時代ノ要求ニ應ジテ革新政治ヲ標榜シテ起タレタル所ノ廣田首相ニ於カレマシテハ、無論今日ノ政治状態ニ付テハ十分ナル御理解ガアルニハ相違アリマセヌガ、此實際政治ノ改革ニ付テ、ドウ云フ考ヲ持ツテ居ラレルノデアルカ、細カシイコトハ必要アリマセヌガ、大體ノ抱負經綸ダケヲ伺ツテ置ケバ宜シイノデアリマス
次ニ國策ノ樹立ニ對シテ御尋ヲ致シタイト思フ、廣田首相ノ聲明ノ中ニハ、確乎不抜ノ國策ヲ樹立シテ以テ之ヲ實現スル、近頃國策ト云フ言葉ガ流行ツテ居リマスルガ、一方ニ政策ト云フ言葉ガアル、國策ト政策トハドウ違フノデアルカ、甚ダ曖昧ニ用ヒラレテ居リマスルガ、私ハ今日言葉ノ詮議立テハ致サナイ、併シ國策ト云フ以上ハ、少クトモ日本國家ノ進ムベキ大方針デアルニ相違ナイ、日本國家ノ進ムベキ大方針ガ、今日ニ於テモ未ダ決マツテ居ラヌ、是カラ研究シテ決メルナドト云フコトハ、私ニ取ツテハ甚ダ受取レナイ、私ノ觀ル所ニ依リマスルト云フト、國家ノ進ムベキ大方針ハ既ニ業ニ決ツテ居ル、遠ク遡ツテ見マスルナラバ、明治維新ノ皇謨ニ現ハレテ居ル所ノ開國進取、是ガ卽チ日本國家ノ進ムベキ大方針デアリマシテ、是ガ時代ノ進運ニ應ジテ擴張セラレタル所ノモノガ、卽チ世界ノ平和ト我ガ民族ノ發展デアルノデアリマス、所ガ此世界ノ平和ト云フコトガ眞ニ得ラルベキモノデアルカナイカ、歐羅巴戰爭ガ生ミ出シマシタ所ノ國際聯盟、世界平和ヲ目的トシテ居ル所ノ國際聯盟モ、國家競爭ノ前ニハ何等ノ威力ヲ發揮スルコトガ出來ナイ、如何ナル條約モ力ノ前ニハ蹂躪セラレテシマフコトハ、昔モ今モ變リハナイ、今日ノ國際關係ヲ支配スル所ノモノハ、正義ノ掛聲デモナケレバ、道義ノ觀念デモナイ、昨日ノ世界ヲ支配シタルモノガ力デアルガ如ク、今日ノ世界、明日ノ世界ヲ支配スルモノ亦力デアル、軍縮會議ハ見事ニ失敗ニ歸シタ、各國ハ軍備ノ競争ヲヤッテ、軍國主義ヲ追ウテ進ンデ居ル、其結果ドウナルカハ推シテ知ルベキノミデアリマス、私ハ昨年此處ニ於テ歐羅巴ノ空ニハ微カニ戰雲ノ閃ガ見エルト申シマシタガ、コンニチハ戰雲ノ閃ドコロデハナイ、既ニ歐羅巴ノ一角ニ於テハ戦争ガ勃發シテ、今ヤ將ニ終結ヲ告ゲントシテ居ル、戦争ガ始マレバ、所謂弱肉強食、正義ヤ人道ノ聲ハ露程ノ效目モナイ、來年ノ此頃ニハドウ云フ事ガ起コツテ居ルカ分ラヌ、故ニ私共ハ世界ノ平和ナドト云フヤウナコトハ、中々未ダ期待シテ居ラナイノデアリマス、吾々ノ望ム所ノモノハ廣キ世界ノ平和デハナクシテ、其一部デアリマスル所ノ此東亞ノ平和デアル、東亞ノ平和ヲ維持スルコトハ、我ガ日本帝國ノ大方針デアリ、又大使命デアリ、又大責任デアルノデアリマス、歴代ノ政府モ此處ニ於テ屡屡其趣意ヲ述ベテ居ル、広田首相モ外務大臣トシテ屡屡此壇上ニ於テ力説セラレテ居ルノデアリマス、所ガ此東亞ノ平和ガ眞ニ得ラルベキモノデアルカナイカ、東亞ノ平和ヲ維持スル所ノ根據ガ今日大磐石ニ確立シテ居ルノデアルカ否ヤ、之ヲ私ハ疑フノデアル、吾々ハ近頃滿蒙ノ國境、或ハ其他ノ處ニ於テ時々起リマスル所ノ、彼ノ局部的ノ、又斷片的ノ事件、斯ウ云フモノニ重キヲ置ク者デハナイ、斯ノ如キ事件ハ其場限リ、如何樣ニモ解決スルコトガ出來ルノデアリマセウガ、之ヲ大局ノ上カラ見マシテ、東亞ノ平和ヲ保持スル所ノ外交上ノ大工作ガ行ナハレテ居ルノデアルカ否ヤ、之ヲ私ハ聽キタイノデアリマス、廣田首相ハ自主的、積極的外交ト云フコトヲ言ウテ居ラレマスルガ、我國ノ外交ガ自主的デナクテハナラヌコトハ當然デアリマス、積極的デアルト云フ所ニ、相當ノ期待ガ掛ケラレテ居ルノデアリマス、然ルニ今日吾々ガ東亞ノ天ヲ眺メマスルト云フト、東亞ノ天ハ極メテ靜デアツテ、且ツ明朗デアル云フ感ジガ起ラナイ、現ニ廣田首相モ昨日此處ニ於テ東亞ノ天ハ明朗ヲ缺クト云フコトヲ云ウテ居ラレルノデアリマス、岡田首相ガ…………(笑聲)廣田首相ガ斯ク申サルヽノデアリマスルカラ是ハ疑ヒナイ、何レニスルモ今日ハ逡巡躊躇シテ居ルベキ秋デハナイ、所謂曠日彌久、日ヲ曠シクシテ久シキニ彌ルベキ秋デハナイ、大悟一番百年平和ノ基礎ニ向ツテ、積極的ニ外交上ノ大工作ヲ施スベキ秋デハナイカ、而シテ外交上ノ工作ハ必ズヤ事實ノ上ニ現ハレテ來ナクテハナラヌ、外交上ノ工作ガ事實ノ上ニ現ハレルト云フコトハドウ云フコトデアルカト云フト、詰リ國防計畫ノ變更デアルノデアリマス、一方ニ於テハ軍備ノ競爭ヲ爲シテ居リナガラ、他ノ一方ニ於テ外交上ノ工作成功セリト言フモノハ悉ク僞リデアル(ヒヤヒヤ)吾々ハサウ云フ虚僞ノ外交ヲ望マナイ、サウ云フ姑息的ナ、サウ云フ彌縫的ナ外交ヲ望マナイ、我々ノ望ム所ノモノハ眞實ノ外交デアル、精神的ナル徹底セル外交デアツテ、其外交ノ結果ガ事實ノ上ニ於テ現ハレテ來ナケレバナラヌ、是レ以外ニ吾吾ノ望ム所ノ外交ノ何物モナイノデアリマス、然ルニ一方ニ於テ軍備ノ競爭ヲヤル、彼ガ軍備ヲ擴張スレバ我モ亦擴張スル、我ガ擴張スレバ彼モ亦擴張スル、彼ガ或ル地點ニ防備ヲ整ヘレバ我モ亦之ニ對抗スル、斯ウ云フ勢ヲ以テ進ンデ居リマシタナラバ、末ハドウナルモノデアルカ、其結果ハ推シテ知ルベキノミデアル、國策ノ樹立ヲ聲明シテ、是ガ實現ヲ期スルト言ハレタ所ノ廣田首相ニ於キマシテハ、コノ刻下ノ重大問題ニ付テ、更ニ一歩ヲ踏ミ出サルベキデハナイカ、之ヲ私ハ伺ツテ置キタイノデアリマス
 尚ホ民族ノ發展及ビ国民生活等ノコトニ付キマシテ御尋ヲ致シタイ事モゴザリマスルガ、他ノ問題ニ付テ御尋ヲスル必要カラ、總理大臣ニ對スル質疑ハ之ヲ以テ一時中止ヲ致シマシテ、是ヨリ軍部大臣ニ向ツテ少シク御尋ヲシテミタイ事ガアルノデアリマス
 二月二十六日帝都ニ起リマシタ所ノ、彼ノ叛亂事件ノ経過ニ付キマシテハ、昨日公開及祕密會ヲ通ジテ、陸軍大臣ヨリ詳細ノ御説明ガアリ、亦之ニ對シテ吾々ノ同僚ヨリ質疑ガゴザリマシテ、私ハ謹ンデ之ヲ拜聽シテ居ツタノデアリマス、然ル所私自身ノ立場カラ申シマスルト、平素考ヘテ居リマスルコトニ付テ、ドウシテモ少シ聽カネバナラヌコトガアル、此機會ヲ逸スルト更ニ他ノ機會ヲ摑ムコトハ甚ダ困難デアリマスルカラ、今少シク自刊ヲ拜借致シマシテ、極メテ大要ニ亙ツテ此関係ニ於テ質問スルコトヲ許サレタイノデアリマス、御斷リヲシテ置キマスルガ、私ハ今囘ノ事件ノ爲ニ、苟且ニモ軍ニ對シテ反感ヲ懷ク者デハナイ、又軍部大臣ヲ指彈セントスル者デモナイ、殊ニ寺内陸軍大臣ハ此事件ノ跡始末ヲスルガ爲ニ、又斯ル事件ヲ未來永久根絶スルガ爲ニ、苦心努力シテ居ラレルコトハ、十分知ツテ居ルノデアリマス、又或ル一部ノ人々ガ妄想スル如ク、吾々ハ之ニ依ツテ苟且ニモ反軍思想ノ鼓吹スルトカ、或ハ軍民離間ヲ策スルトカ云フヤウナ、サウ云フ邪念ハ一切以テ居ラナイノデアリマス、唯刻下ノ將來ニ對シテ聊カ憂フルノ餘リ、敢テ質問ヲ致スノデアリマスカラ、此點ハ誤解ナカランコトヲバ豫メ御斷リシテ置キマス
 凡ソ何事ニ拘ラズ此世ノ中ニ現ハレマスル所ノ事件ノ原因ニ審シテ見マスルト、遠キモノモアレバ近キモノモアル、所謂近因モアレバ遠因モアルノデアリマシテ、之ヲ遡ツテ究メマスルト、全ク際限ノナイコトデゴザリマスルガ、今囘ノ事件ノ如キモソレト同樣デゴザリマシテ、此事件ガ由ツテ起リマシタ所ノ原因ヲ調ベテ見マスレバ、現代ノ政治上、社會上、經濟上、其外諸般ノ事情ガ伏在シテ居ルニ相違ゴザリマセヌガ、私ハ今日是等ノ事情ヲ吟味スルダケノ時ハ持タナイノデアリマスカラ、此事件ノ比較的直接ノ原因トシテ認ムベキ二三ノ事實ヲ指摘シテ、之ニ對シテ陸軍大臣ノ御答ヲ求メテ見タイト思フノデアル
 其第一ハ何デアルカト云フト、軍人ノ政治運動ニ關スルコトデアリマス(拍手)滿洲事件ハ國ノ内外ニ亙ツテ非常ナ影響ヲ及ボシテ居ルコトハ、今更申ス迄モナイコトデアリマスルガ、其中ニ於キマシテ、青年軍人ノ思想上ニ於キマシテモ或ル變化ヲ與ヘタモノト見エマシテ、其後軍部ノ一角、殊ニ青年軍人ノ一部ニ於キマシテハ、国家改造論ノ如キモノガ擡頭致シマシテ、現役軍人デアリナガラ、政治ヲ論ジ、政治運動ニ加ハル者ガ出テ來タコトハ、諍フコトノ出來ナイ事實デアル、此傾向ニ對シテ是マデ軍部當局ハドウ云フ態度ヲ取ツテ居ラレルノデアルカ、之ヲ私ハ聽カント欲スルノデアリマス、申ス迄モナク軍人ノ政治運動ハ上御一人ノ聖旨ニ反シ、國憲、國法ノ嚴禁スル所デアリマス、彼ノ有名ナル明治十五年一月四日、明治大帝ガ軍人ニ賜リマシタ所ノ御勅諭ヲ拜シマシテモ、軍人タル者ハ世論ニ惑ワズ、政治ニ拘ワラズ只々一途ニ己ガ本分タル忠節ヲ守レト仰出ダサレテ居ル、聖旨ノアル所ハ一見明瞭、何等ノ疑ヲ容ルベキ餘地ハナイノデアリマス、或ハ帝國憲法ノ起草者デアリマスル所ノ元ノ伊藤公ハ、其憲法義解ニ於テドウ云フコトヲ載セテ居ラレルカト云フト、「軍人ハ軍旗ノ下ニ在テ軍法軍令ヲ恪守シ專ラ服從ヲ以テ第一義務トス故ニ本章ニ掲グル權利ノ條規ニシテ軍法軍令ト相抵觸スル者ハ軍人ニ通行セス卽チ現役軍人ハ集會結社シテ軍制又ハ政事ヲ論スルコトヲ得ス政事上ノ言論著述印行及請願ノ自由ヲ有セサルノ類是ナリ」又陸軍刑法、海軍刑法ニ於キマシテモ、軍人ノ政治運動ハ絶對ニ之ヲ禁ジテ、犯シタル者ニ付テハ三年以下ノ禁錮ヲ以テ臨ンデ居ル、又衆議院議員ノ選擧法、貴族院多額納税議員互選軌則ヲ見マシテモ、現役軍人ニ對シテハ、大切ナル所ノ選擧權モ被選擧權モ與ヘテ居ラナイノデアリマス、斯ノ如ク軍人ノ政治運動ハ、上ハ聖旨ニ背キ、國憲國法ガ之ヲ嚴禁シ、兩院議員ノ選擧、被選擧權マデモ之ヲ與ヘテ居ラナイ、是ハ何故デアルカト言ヘバ、詰リ陸海軍ハ國防ノ爲ニ設ケラレタルモノデアリマシテ、軍人ハ常ニ陛下ノ統帥權ニ服從シ、國家一朝事有ルノ秋ニ當ツテハ、身命ヲ賭シテ戰爭ニ從ハネバナラヌ、ソレ故ニ軍人ノ教育訓練ハ專ラ此方面ニ集中セラレテ、政事、外交、財政、經濟等ノ如キハ寧ロ軍人ノ知識經驗ノ外ニアルノデアリマス、加之若シ軍人ガ政治運動ニ加ハルコトヲ許スト云フコトニナリマスルト云フト、政爭ノ結果遂ニハ武力ニ愬ヘテ自己ノ主張ヲ貫徹スルニ至ノハ自然ノ勢デアリマシテ、事茲ニ至レバ立憲政治ノ破滅ハ云フニ及バズ、國家動亂、武人專制ノ端ヲ展クモノデアリマスカラシテ、軍人ノ政治運動ハ斷ジテ嚴禁セネバナラヌノデアリマス(拍手)殊ニ青年軍人ノ思想ハ極メテ純眞デハゴザイマスルガ、又單純デアル、ソレ故ニ是等ノ人人ガ政治ニ干渉スルト云フコトハ、極メテ危險性ヲ持ツテ居ルモノデアリマス、私ハ前年カノ五・一五事件ノ公判筆記ヲ讀ミ、又自ラ公判ヲ傍聽致シマシテ、痛切ニ共感ヲ深クシタ者デアルノデアリマス、有體ニ申シマスルト云フト、法廷ニ於ケル被告人等ノ態度ハ、極メテ堂々タルモノデアツタノデアリマス、犯罪ノ動機、犯罪ノ事實ヲ何等包ミ隱サズシテ陳述スル所ハ、流石青年軍人ノ面目實ニ躍如タルモノガアツタノデアリマス、是ハ固ヨリ彼等ノ爲シタル事ガ、決シテ破廉恥的ノ性質ヲ有スルモノデハナク、一ニ國家社會ヲ思フ所ノ熱情ヨリ迸リタル、所謂憂國慨世ノ國士的ノ行動デアリマスルカラシテ、内ニ顧ミテ自ラ疚シキ所ハナイノミナラズ、難ニ臨ンデ卑怯千萬ノ振舞ヲシテハナラナイ、軍人精神ノ發露トシテハ當然ノコトデアルノデアリマス、併ナガラ惜シムベキコトニハ、如何ニモ其思想ガ單純デアリマシテ、複雜セル國家社會ヲ認識スル所ノ限界ガ如何ニモ狹隘デアルコトデアル、ソレハ其筈デアリマセウ、彼等ハ何レモ二十二三歳カラ三十歳ニ足ラナイ所ノ青年デゴザイマシテ、軍持ニ關シテハ一應ノ修養ヲ積ンデ居ルニハ相違アリマセヌガ、政事、外交、財政、経済等ニ付キマシテハ、無論基礎的學問ヲ爲シタルコトハナク、況ヤ何等ノ經驗モ持ツテ居ラナイノデアル、然ルニ是等ノ青年軍人ガ平素無責任ニシテ誇張的デアリマスル所ノ言論機關ノ記事論説ヲ讀ミ、或ハ怪文書ノ如キモノヲ手ニスル、或ハ一部ノ不平家、一部ノ陰謀家ノ言論ニ耳ヲ傾ケ、或ハ處士横議ノ士ト交ハリ、或ハ世ノ流言蜚語ヲ信ジテ、如何ナル考ヲ起シタカト云フト、今日ノ政黨、財閥、支配階級ハ悉ク腐敗堕落シテ居ル、之ヲ此儘ニ放任シテ置イタナラバ國家ハ滅亡シテシマフ、之ヲ救フニハ彼ノ大化ノ革新ニ倣ウテ、日本國家ノ大改造ヲヤルヨリ外ニ途ハナイ、從來ノ外交ハ軟弱デアル、倫敦條約ハ屈辱デアル、 (一字空白)天皇親政、皇室中心ノ政治ヲ行ハネバナラヌ、是ガ爲ニ軍人内閣ヲ拵ヘネバナラヌ、直接行動ニ愬ヘネバナラヌ、犯罪ノ動機ハ何デアルカト問ハルヽト、權藤某ノ自治典範ヲ讀ンデ感動シタ、北某ノ日本改造法案ヲ讀ンデ感動シタ、朝日某ノ斬奸状ヲ讀ンデ刺戟サレタ、其思想ノ單純デアルコトハ思イ知ラルヽノデアリマス、ソレデアリマスルカラ公判廷ニ於ケル彼等ノ陳述ヲ聽イテ居リマスルト、悉ク不徹底ナコトバカリデアツテ、要點ニ達シテ居ルモノハ何等認メルコトハ出來ナイ、例ヘバ倫敦条約ハ統帥權ノ干犯デアルト云フコトヲ云ウテ居リマスガ、憲法上カラ見テ何處ガ統帥權ノ干犯ニナルカト云フコトハ少シモ究メテ居ラヌ、 (一字空白)天皇親政、皇室中心ノ政治ト云フヤウナコトヲ言フガ、一體ドウ云フ政治ヲ行ハントスルノデアルカト云フト、サッパリ分ツテ居ラヌ、唯或者ガ今日ノ政黨、財閥、支配階級ハ腐ツテ居ルト言フト、一圖ニ之ヲ信ズル、倫敦条約ハ統帥權ノ干犯デアルト言フト、一圖ニ之ヲ信ズル、国家ノ危機目前ニ迫ル、直接行動ノ外ナシト言ヘバ、一圖ニ之ヲ信ズル、斯クノ如クシテ、軍人教育ヲ受ケテ忠君愛國ノ念ニ凝リ固マツテ居リマスル所ノ直情徑行ノ青年ガ、一部ノ不平家、一部ノ陰謀家等ノ言動ヲ其儘鵜呑ミニシテ、複雜セル國家社會ニ對スル認識ヲ誤リタルコトガ、此事件ヲ惹起スルニ至リタル所ノ大原因デアツタノデアリマス(拍手)ソレ故ニ青年軍人ノ思想ハ極メテ純眞デハアリマスルガ、又同時ニ危險デアリマス、禍ノ本ハ總テ此處カラ胚胎シテ居ルノデアリマスカラ、此思想ヲ一洗スルニアラザレバ、將來ノ禍根ヲ芟除スルコトハ到底出來ナイト私ハ思ツテ居リマスガ(拍手)陸軍大臣ハ此點ニ付テドウ云フ考ヲ持ツテ居ラレルノデアルカ、之ヲ一ツ承ツテ置キタイノデアリマス
 ソレカラ次ハ是等ノ青年軍人ノ思想ガ、或ハ陰謀トナリ、或ハ直接行動トナツテ世ニ現ハレタ、其行動ニ對スル軍部當局ノ態度デアリマス、第一ハ昭和六年ニ現ハレタ所ノ所謂三月事件、第二ハ道然ニ現ハレマシタ所ノ十月事件、此事件ノ内容ハ申シマセヌガ、事件ノ性質其モノハ、其後ニ現ハレタ所ノ五・一五事件及ビ今囘ノ叛亂事件ト同一ノモノデアリマシテ、同一ノ系統ニ屬スルモノデアルノデアリマス、然ルニ此兩事件ニ對シ、軍部當局ハ如何ナル處置ヲ執ラレタカト云フト、之ヲ病カラ闇ニ葬ツテシマツテ、少シモ徹底シタ處置ヲ執ツテ居ラレナイノデアリマス(拍手)凡ソ禍ハ之ヲ初ニ斷切ルコトハ極メテ容易デアリマス、容易デアルト同時ニ、將來ノ禍ヲ防グ所ノ唯一ノ途デアルニ拘ワラズ、之ヲ曖昧ノ裡ニ葬リ去ツテ、將來ノ禍根ヲ一掃スルコトガ出來ルト思フ者ガアッタナラバ、ソレハ非常ナル誤デアルノデアリマス、昔ノ諺ニモ寸ニシテ斷タザレバ尺ノ憾アリ、尺ニシテ斷タザレバ丈ノ憾ミアリ、假令一木ト雖モ之ヲ双葉ノトキニ伐取ルコトハ極メテ容易デアリマスガ、其根ガ深ク地中ニ蟠居スルニ至ツテハ、之ヲ倒スコトハ中々容易ナコトデハナイ、彼ノ頼山陽ガ、中古政權ガ武門ニ歸シタル其原因ヲ論ジテ、歴代朝廷ガ源平二氏ニ對スル所ノ姑息偸安、優柔不斷ノ態度ヲ指摘シテ、異日搏噬攘奪ノ禍此ニ基クヲ知ラズト喝破シテ居ルガ、事柄ハ違ヒマスケレドモ、道理ハ同ジデアリマス、若シ彼ノ三月事件ニ付テ、軍部當局ガ其原因ヲ芟除シテ、所謂拔本塞源ノ徹底的ノ處分ヲセラレタナラバ、必ズヤ十月事件ハ起ラナカツタニ相違ナイ(拍手)又遲レタリト雖モ、十月事件ニ付テ同樣ノ處置ヲセラレタナラバ、後ノ五・一五事件ハ必ズ起ラナカツタニ相違ナイ(拍手)此兩事件ニ對スル軍部ノ態度ガ、延イテ五・一五事件ヲ惹起スルニ當ツテ大イナル原因ノ一ツニ算ヘテモ私ハ差支ナイト思フ、更ニ進ンデ五・一五事件ニ對スル態度デアリマス、苟モ軍人タル者ガ黨ヲ結ンデ白晝公然總理大臣ノ官邸ニ亂入シ、天皇陛下ノ親任セラルヽ所ノ一国ノ總理大臣ヲ銃殺スル、國ヲ衞ルガ爲ニ授ケラレタル所ノ兵器ヲ以テ、國政燮理ノ大任ニ當ツテ居リマスル所ノ、國家最高ノ重臣ヲ暗殺スル、其罪ノ重大デアルコトハ固ヨリ申ス迄モナイコトデアリマス(拍手)然ルニ此重大事件ニ對シテ、國家ノ裁判權ハ遺憾ナク發揮セラレテ居ルノデアルカ、當時海軍ヽ法會議ニ於キマシテ、山本檢察官ハ畢生ノ力ヲ揮ウテ堂々數萬言ノ大論告ヲ爲シタ、卽チ事件ノ重大性ト、直接行動ノ許スベカラザルコトヲ痛論シテ、動機ノ如何ニ拘ラズ國法ハ破ルコトハ出來ナイ、軍紀ハ紊スコトハ出來ナイ、軍紀ヲ紊リ、国法ヲ破リタル者ニ對シテハ、法ノ命ズル制裁ヲ加フルコトハ國家ノ存立上萬已ムヲ得ナイト論ジテ、其首魁ト目セラルヽ三名ニ對シテハ死刑ノ要求ヲ爲シタノデアリマス(「ヒヤヒヤ」拍手)海軍刑法ニ依リマスルト、叛亂罪ノ首魁ハ死刑ニ處ス、死刑一點張デゴザリマシテ、選擇刑ハ許サレテ居ラナイノデアリマス、然ルニ此論告ニ對シテ如何ナル事態ガ現ハレタカト云フト、或ル一部ニ於キマシテハ猛烈ナル反對運動ガ起ツタ、監督ノ上司ハ之ヲ抑制スル所ノ力ガナイ、山本檢察官ノ身上ニハ刻一刻ト危險ガ迫ル、多數ノ憲兵ヲ以テ檢察官ノ住宅ヲ取卷イテ之ヲ保護スル、家族一同ハ遠方ニ避難スル、斯ウ云フ事態ノ下ニ於テ、裁判ノ獨立、裁判ノ神聖ガドウシテ維持スルコトガ出來ルカ(拍手)果タセル哉裁判ノ結果ヲ見マスルト、死刑ノ要求ガ十三年ト十五年ノ禁錮ト相成ツテ居リマス、輕キハ一年、二年ノ懲役ニ處セラレテ、而モ執行猶豫ノ宣告ガ附イテ居ルノデアリマス、然ルニ同ジ事件ニ関係シテ居リマス所ノ民間側ノ被告ニ對シテハ、ドウ云フ裁判ガ下サレテ居ルカト見マスルト、彼等ハ固ヨリ犬養首相ノ殺害ニ手ヲ下シタルモノデハナイ、唯或ル發電所ニ爆彈ヲ投ジタケレドモ、是ハ未發ニ終ツテ何等ノ結果ヲ惹起シテ居ラナイ、ソレニモ拘ラズ其首魁ハ無期懲役ニ處セラレテ居ルノデアリマス(拍手)同ジ事件ニ連累シテ、其爲シタル役目ハ違フト雖モ、或者ハ一国ノ總理大臣ヲ殺害シタルニモ拘ワラズ、其人ガ軍人デアリ、且ツ軍事裁判所ニ管轄セラルヽガ爲ニ、比較的輕イ刑ニ處セラレ、或者ハ僅カニ發電所ニ未發ノ爆彈ヲ投ジタダケデアルニモ拘ワラズ、其人ガ普通人デアリ、普通裁判所ノ管轄ニ屬スル者デアルガ故ニ、重キ刑罰ニ處セラレタ、申ス迄モナク司法權ハ (一字空白)天皇ノ御名に依ツテ行ハレルノデアリマス、天皇ノ御名ニ依ツテ行ハレル裁判ハ徹頭徹尾獨立デアリ、神聖デアリ、至公至平デナケレバナラナイノデアリマス、然ルニ人ト場所ニ依ツテ行ハレル裁判宣告ニ斯クノ如キ差等ヲ生ズル、是デ國家ノ裁判權ガ遺憾ナク發揮セラレタリト言フコトガ出來ルカ、是デ刑罰ノ目的デアリマス所ノ、犯罪豫防ノ效果ヲ完全ニ収メルコトガ出來ルカ、軍務當局者ハ眞劍ニ考ヘナケレバナラヌ所ノ重大問題デアルノデアリマス(拍手)
要スルニ斯クノ如キ次第デアリマシテ、三月事件ニ對スル軍部ノ態度ガ十月事件ヲ喚ビ出シ、十月事件ニ對スル軍部ノ態度ガ五・十五事件ヲ呼ビ出シ、五・十五事件ニ對スル軍部ノ態度ガ實ニ今囘ノ一大不詳事件ヲ惹起シタノデアルト、斯樣ニ私ハ觀察ヲ下シテ居ルノデアリマスガ、若シ此觀察ニ過チガアレバ正シテ戴キタイノデアリマス(拍手)
 更ニ今囘ノ事件ニ對シマシテハ、色々御尋爲タイコトガゴザイマスケレドモ、大體昨日ノ本會及ビ祕密會ニ於ケル質問應答ニ依ツテ分リマシタカラ、唯一點ダケ伺ツテ置キタイ事ガアリマス、ソレハ何デアルカト云フト、此事件ニ關係致シマシタ所ノ青年将校ハ二十名デアルノデアリマス、公表セラレタル所ノ文書ニ依ルト二十名デアル、所ガ此以外ニヨリ以上ノ軍部首腦者ニシテ此事件ニ關係シテ居ル者ハ一人モ居ナイデアラウカ(拍手)固ヨリ事件ニ直接關係シテハ居ラヌデアリマセウ、併ナガラ平素是等ノ青年将校ニ向ツテ或ル一種ノ思想ヲ吹込ムトカ、彼等ガ斯ル事件ヲ起スニ當ツテ、精神上ノ動機ヲ與ヘルトカ、或ハ斯ル事件ノ起ルコトヲ暗ニ豫知シテ居ル、或ハ俗ニ謂フ所ノ裏面ニ於テ絲ヲ引イテ居ル、斯ウ云フ者ハ一人モナカツタノデアルカ、私ノ觀ル所ニ依リマスルト云フト、世間ハ確カニ之ヲ疑ツテ居ルノデアリマス、陸軍大臣ハ過般ノ地方官會議ニ於キマシテ、左樣ナコトヲ宣傳スル者ハ反軍思想ヲ鼓吹スル者デアル、非國民ノ軍民離間的態度デアルト言ウテ一蹴セラレテ居リマスルガ、斯樣ナコトヲ故カラ宣傳スル者ガアルカナイカ、ソレハ知リマセヌ、併ナガラサウ云フ疑ヲ持ツテ居ル者ハ確カニアルノデアリマス、而シテ其疑ガ無理デアルカト云フト、サウデモナササウデアル、例ヘバ先程引用致シマシタ所ノ山本檢察官ノ論告ニ於テ、斯ウ云フコトガアル「凡ソ事ノ成ルハ成ルノ日ニ成ルニ非ズ、由ツテ來ル所ガアルノデアリマス、本件モ又其由ツテ來ル所久シク、一朝一夕ニ起ツタモノデハナイノデアリマス、被告人古賀清志ノ當公廷ニ於ケル陳述ニ依リマスレバ、古賀ハ某事件ニ參加シタル經驗ニ依リマシテ、今囘被告人等ノ企圖シマシタル、戒嚴ニシテ宣告セラルヽノ情況ニ立至レルトキハ、當然之ヲ收拾シテ呉レル相當ノ大勢力ノ存スルモノデアルコトヲ知リ」云々、或ハ「尚ホ此機會ニ於テ一言シテ置キタイコトハ、部下指導ニ關スル上司ノ態度ニ付テヾアリマス、此點ニ關シ、本件発生當時某官憲ガ上司ニ提出シタル意見書中ニ所見ガアリマス、曰ク、上司中往々彼等ノ所見ニ對シ、極メテ曖昧模糊タル態度ヲ執リ、彼等ヲシテ上司ハ其行動ヲ認容シ居リタルモノノ如ク誤信セシメタルヤノ形跡ナキニ非ズ」「上司タル者、下級者ヲ指導スルニ際シ、明ニ是ハ是トシ、非ハコレヲ非トシテ、其方向ヲ誤マラザラシムル如ク努ムルコトガ極メテ必要デアル」山本檢察官ガ神聖ナル法廷ニ立ツテ、斯ノ如キコトヲ明言シテ居ル、卽チ古賀清志等ガ彼ノ五・十五事件ヲ起シテ、彼等ノ計畫スル戒嚴ヲ宣告セシメタナラバ、何レノ所ヨリカ大勢力ガ現ハレテ來テ、之ヲ收拾シテ呉レル、斯ウ云フ確信ヲ以テ彼等ハ旗擧ゲヲシタノデアル、或ハ上司タル者ハ、部下ノ者ニ對シテハ事ノ是非曲直ヲ明ニシテ、彼等ヲ迷ハシメナイヤウニシナクテハナラヌニ拘ラズ、言語及ビ態度ヲ曖昧ニシテ、何トナク上司ガ彼等ノ行動ヲ容認シテ居ルカノ如ク誤解セシメテ居ルト云フ事實ヲ、四五年前ノ五・十五事件ノ公判ニ於テ山本檢察官ガ既ニ論ジテ居ルノデアリマス、故ニ斯ノ如キ疑ヲ起スト云フ者ハ、唯非國民デアルトカ、或ハ軍民離間ヲ策スル者デアルトカ言ウテ一蹴シタダケデハ國民ノ疑ハ霽レルモノデハナイ(拍手)若シサウ云フコトガアツタナラバ、是ハ極メテ重大事件デアリマス、故ニ事件ノ跡始末ヲスルニ付テハ、先以テ此方面カラシテ洗ヒ去ルニアラザレバ、事件ノ根本的清掃ト云フモノハ斷ジテ出來ルモノデハナイト思フノデアリマス(「ヒヤヒヤ」拍手)
 以上私ガ申述ベマシタ所ノコトヲ約言致シマスルト云フト、事件ノ原因ハ大體二ツアリマス、卽チ一ツハ青年軍人ノ思想問題デアル、又一ツハ事前監督及ビ事後二對スル軍部當局ノ態度デアリマス、近來青年軍人ノ一部、極メテソレハ一小部分デゴザリマセウガ、一小部分ノ青年軍人ノ思想ガ、一種ノ反動思想ニ傾イテ居ルト云フコトハ事實ラシイノデアリマス、時々起リマスル所ノ事件ノ原因及ビ國民不安ノ原因ハ實ニ茲ニアルノデアル、元來我ガ國民中ニハ動モスレバ外國思想ノ影響ヲ受ケ易イ文子ガアルノデアリマス、歐羅巴戰爭ノ後ニ於テ「デモクラシイ」ノ思想ガ旺盛ニナリマスルト云フト、我モ我モト「デモクラシイ」ニ趨ル、其後歐洲ノ一角ニ於テ赤化思想ガ起リマスルト云フト、又之ニ趨ルモノガアル、或ハ「ナチス」「フアツシヨ」ノ如キ思想ガ起ルト云フト、又之ニ趨ル者ガアル、思想上ニ於テ國民的自主獨立ノ見識ノナイコトハオ互ニ戒メネバナラヌコトデアリマス(拍手)今日極端ナル所ノ左傾思想ガ有害デアルト同ジク、極端ナル所ノ右傾思想モ亦有害デアルノデアリマス、左傾ト云ヒ右傾ト稱シマスルガ、進ミ行ク道ハ違イマスルケレドモ、歸スル所ハ今日ノ國家組織、政治組織ヲ破壊セントスルモノデアル、唯一ツハ愛國ノ名ニ依ツテ之ヲ行ヒ、他ノ一ツハ無酸大衆ノ名ニ依ツテ之ヲ行ハントシテ居ルノデアリマシテ、其危險ナルコトハ同ジコトデアルノデアリマス、我ガ日本ノ國家組織ハ建國以来三千年牢固トシテ動クモノデハナイ、終始一貫シテ何等變リハナイ、又政治組織ハ明治大帝ノ偉業ニ依ツテ建設セラレタル所ノ立憲君主政、是ヨリ外ニ吾々國民トシテ進ムベキ道ハ絶對ニナイノデアリマス(拍手)故ニ軍ノ首腦部ガ宜ク此精神ヲ體シテ、極メテ穩健ニ部下ヲ導カレタナラバ、青年軍人ノ間ニ於テ怪シムベキ不穩ノ思想ガ起ル譯ハ斷ジテナイノデアル、若シ夫レ軍部以外ノ政治家ニシテ、或ハ軍ノ一部ト結託通牒シテ政治上ノ野心ヲ行ハントスルガ如キ者ガ若シアルナラバ、是ハ實ニ看過スベカラザルモノデアリマス(拍手)苟モ立憲政治家タルモノハ、國民ヲ裴景トシテ、正々堂々ト民衆ノ前ニ立ツテ、國家ノ為ニ公明正大ナル所ノ政治上ノ争ヲ爲スベキデアル、裏面ニ策動シテ不穩ノ陰謀ヲ企テルガ如キハ、立憲政治家トシテ許スベカラザルコトデアル、況ヤ政治圈外ニアル所ノ軍部ノ一角ト通牒シテ自己ノ野心ヲ遂ゲントスルニ至ツテハ、是ハ政治家ノ恥辱デアリ、墮落デアリ(拍手)又實ニ卑怯千萬ノ振舞デアルノデアル、
此點ニ付キマシテハ軍部當局者ニ於キマシテモ相當ニ注意ヲセラルヽ必要ガアルノデハナイカト思ハレル、其外事前ノ監督、事後ノ處置ニ對シテハ、私共現寺内陸軍大臣ヲ絶對ニ信頼シテ居リマスルカラシテ、是等ニ付テ質問ヲスル所ノ必要ハゴザリマセヌガ、要スルニ一刀兩斷ノ處置ヲ爲サネバナラヌ(拍手)御承知デモゴザリマセウガ、支那ノ兵法ノ六韜、三略ノ中ニモ「怒ルベクシテ怒ラザレバ奸臣起ル、倒スベクシテ倒サザルバ大賊現ル」私ハ全國民ニ、私ハ全國民ニ代ツテ軍部當局者ノ一大英斷ヲ冀望スル者デアリマス(拍手)尚ホ最後ニ一言致シテ置キタイコトハ、此事件ニ對スル所ノ國民的感情デアリマス、此事ハ各方面ノ報告ニ依ツテ、固ヨリ軍部當局者ハ十分ニ御承知ノコトデゴザリマセウガ、私ノ見ル所ニ依リマスルト云フト、今囘ノ事件ニ對シテハ、中央ト云ハズ、地方ト云ハズ、上下有ユル階級ヲ通ジテ衷心非常ニ憤慨シテ居リマス(拍手)非常ニ殘念ニ思ツテ居ルノデアリマス、殊ニ國民的尊敬ノ的トナラレタ所ノ高橋蔵相、齋藤内府、渡邊總監ノ如キ、誰ガ見タ所ガ温厚篤實、身ヲ以テ國ニ許ス所ノ (一字空白)陛下ノ重臣ガ、國ヲ護ルベキ統帥權ノ下ニ在ル所ノ軍人ノ銃劍ニ依ツテ虐殺セラルヽニ至ツテハ(拍手)軍ヲ信頼スル所ノ國民ニ取ツテハ實ニ耐ヘ難キ苦痛デアルノデアリマス(拍手)ソレニモ拘ワラズ彼等ハ今日ノ時勢、言論ノ自由ガ拘束セラレテ居リマス所ノ今日ノ時代ニ於テ、公然之ヲ口ニスルコトハ出來ナイ、僅ニ私語ノ間ニ之ヲ洩シ、或ハ目ヲ以テ之ヲ告グル等、專制武斷ノ封建時代ト何ノ變ル所ガアルカ(拍手)啻ニソレバカリデナイ、例ヘバ今囘叛亂後ノ内閣組織ニ當リマシテモ、事件ニ付テ重大ナル所ノ責任ヲ擔ウテ居ラレル所ノ軍部當局ハ、相當ニ自重セラレルコトガ國民的要望デアッタニモ拘ラズ、或ハ某々ノ省内ニハ政黨人入ルベカラズ、某々ハ軍部ノ思想ト相容レナイカラシテ之ヲ排斥スル、最モ公平ナル所ノ肅正選擧ニ依ツテ國民ノ總意ハ明ニ表白セラレ(拍手)之ヲ基礎トシテ政治ヲ行フノガ (一字空白)明治大帝ノ降シ賜ヒシ立憲政治ノ大精神デアルニ拘ラズ(拍手)一部ノ單獨意思ニ依ツテ國民ノ總意ガ蹂躪セラルヽガ如キ形勢ガ見ユルノハ、甚ダ遺憾千萬ノ至リニ堪ヘナイノデアリマス(拍手)ソレデモ國民ハ沈默シ、政黨モ沈默シテ居ルノデアル、併ナガラ考ヘテ見レバ、此状態ガ何時マデ續クカ、人間ハ感情的ノ動物デアル、國民ノ忍耐力ニハ限リガアリマス、私ハ異日國民ノ忍耐力ノ盡キ果ツル秋ノ來ラナイコトヲ衷心希望スルノデアリマス(拍手)滿洲事件以來、國ノ内外ニ非常ナ變化ガ起リマシテ、世ハ非常時デアルト唱ヘラレテ居ルノデアリマス、此非常時ヲ乘切ルモノハ如何ナル力デアルカ、場合ニ依ツテハ軍隊ノ力ニ依頼セネバナラヌ、併ナガラ軍隊ノミノ力デハナイ、又場合ニ依ツテハ銃劍ノ力ニ竢タネバナラヌ、併シ銃劍ノミノ力デハナイ、上下有ユル階級ヲ通ジテ一知和合シタル全國民ノ精神的團結力(拍手「ヒヤヒヤ」)是ヨリ外ニ此難局ヲ征服スル所ノ何物モナイノデアリマス(拍手)因ヨリ軍部當局ハ是位ナコトハ百モ千モ御承知ノコトデゴザリマスルガ、近頃ノ世相ヲ見マスルト云フト、何トナク或ル威力ニ依ツテ國民ノ自由ガ彈壓セラレルガ如キ傾向ヲ見ルノハ、國家ノ將來ニ取ツテ洵ニ憂フベキコトデアリマスカラシテ(拍手)敢テ此一言ヲ殘シテ置クノデアリマス
 重ネテ申シマスルガ、吾々ガ軍ヲ論ジ軍政ヲ論ズルノハ卽チ國政ヲ論ズルノデアリマス、決シテ是ガ爲ニ軍ニ對シテ反感ヲ懷クノデハナイ、軍民離間ヲ策スル者デモナケレバ、反軍思想ヲ鼓吹スル者デモアリマセヌカラシテ、此誤解ハ一切除去セラレテ、時々起ル所ノ—-時々起ル所ノ—-時々軍部ノ一角カラ起ル所ノ、反軍思想デアルトカ、或ハ軍民離間デアルトカ云フヤウナ言葉ニ付テハ、將來一層ノ御注意アランコトヲ希望シテ置キマス(拍手)私ノ質問ハ大體是位デゴザイマスルガ、忌憚ナク詳細ニ御答辯アランコトヲ希望致シマス(拍手)

(註)

意馬
心の働きが盛んで静まらないことを、走る馬にたとえていう語(大辞泉)

以下、齋藤の質問に対する陸軍大臣寺内寿一の答弁。

官報號外 昭和十一年五月八日衆議院議事速記録第四號 国務大臣の演説に對する齋藤君の質疑 四九〜五〇頁(帝国議会会議録

[國務大臣伯爵寺内壽一君登壇]
國務大臣(伯爵寺内壽一君) 只今齋藤君ノ御質問、軍部ニ關シマスル御質問、洵ニ熱誠適切ナル御所論ヲ承リマシテ、私ハ其論旨ニ付キマシテハ同感デゴザイマス(拍手)此事件ノ將來ニ付キマシテハ、昨日來兩囘此壇上ニ立チマシテ申上ゲタ通リデゴザイマス、尚ホ將來私共ハ陸軍ノ全力ヲ擧ゲテ、現下ノ非常時局ニ當タリマシテ宏謨ヲ翼贊シ奉ル爲メ、其最善ト信ズル所ニ從ツテ御奉公ノ誠ヲ致シタイト思ヒマス
 尚ホ一言、第一ニ御尋ニナリマシタ軍人ノ政治ニ關スル件、之ニ付テ一言申上ゲテ置キマス、御話ノ通リ吾々ノ政治ニ關スル信念ハ、先程述ベラレマシタ勅諭ノ、世論ニ惑ハズ、政治ニ拘ラズ、唯一途ニ己ガ本分ニ忠節ヲ守リ云々、是ガ信念デゴザイマス、軍部ニ置キ於キマシテハ、政治ハ不肖私ヲ通ジテ干與スル點ニ付キマシテハ、過日モ能ク全軍ニ徹底スルヤウニ申述ベマシタコトハ、新聞紙等ニ於テ既ニ大體御承知ノ事ト存ジマス(拍手)尚ホ現役軍人ト政治干與ニ關シマスル法的根據ト致シマシテハ、先程モ其一端ヲ御述ベニナリマシタガ、衆議院議員選擧法及ビ是ニ準ズル法令竝ニ陸軍刑法、軍隊内務書等ノ法令諸條規ニ於テ、其禁止ヲ明示セラレタル事項、卽チ各種議員ノ選擧權、被選擧權ノ行使、或ハ演説若クハ文書ヲ以テ意見ヲ公ニスル等ハ、現役軍人ニ禁止セラレタル政治干與ナリ、之ヲ以テ私ノ答辯ヲ終リマス(拍手)

「キム王朝」と「財政改革」と「選挙の神様」

  • 2009年12月15日

この週末、録画していたドキュメンタリーを何本か見、一冊の本を読んだ。一度見た(読んだ)ものもあったし今回ようやく見たものもある。ひとつは北朝鮮の独裁体制成立にまつわるNHKのドキュメンタリー、ひとつは戰前の国会で”粛軍演説”を行った斉藤隆夫のドキュメンタリー、そして行財政改革に取り組み暗殺された浜口雄幸と井上準之助を取り上げた城山三郎『男子の本懐』。

北朝鮮の独裁体制成立の過程をたどったNHKスペシャルのシリーズ「ドキュメント北朝鮮」は2006年に放映されたドキュメンタリーということなので、丁度北朝鮮による日本人拉致がにわかにクローズアップされた時期に制作・放映されたわけだ。なかなか面白かった。一番印象的だったのは、金日成が(特に権力を確立するよりも前の時期に)彼の後盾であった各国の有力者に接するときのと立ち居振る舞いと金日成に対する金正日の振る舞いとがとても良く似ていたことだった。自信の無さ気な、相手に媚びるような視線・表情・態度がほんとうに瓜二つと言ってよいほどよく似ている。そして彼等二人がそれぞれ権力を確立した後の傲然とした態度がこれまた思わず笑ってしまうくらいに良く似ている。権力を握るまでの過程で見せる弱気とその後の豹変ぶりは、彼らが権力にのみ自己のアイデンティティを見いだしていることを容易に想像させる。その点で言うと、つい先頃までアメリカ合州国大統領として世界で最も強大な権限を握っていたともいえるブッシュ(息子)の、いかに一生懸命いかめしく見せようとしてもその能天気さが隠しようもなく滲み出ていた顔つきがとても可愛らしくすら思えた。

斉藤隆夫のほうもNHKだが、こちらは「そのとき歴史が動いた」というドキュメンタリーとしては出来の良くない番組(そもそもドキュメンタリーではないのかもしれぬ)なので、見た後に演説の詳細をネットで幾らか調べた。帝国議会の議事録がネットで閲覽できるようになっているものの画像ファイルのためテキストが簡単には抽出できないなのでここに引用しづらい。そこでネットで探索してみた所たいへん有り難いことに斉藤隆夫関係の情報をまとておられるサイトがあった。ちなみにwikipediaとは比較にならない程充実したサイトなのにgoogleではちょっとばかり見つけにくかった。

以下、同サイトより昭和11年5月衆議院における斉藤隆夫の「粛軍演説」前半部分を引用してみる。

敢然して国政改革の断行を誓わるるに当りましては、天下何人と雖も之を歓迎しない者はないのであります。併ながら翻って考えて見ますると云うと、国政の改革、国策の樹立、之を唱えることは極めて易いのでありまするが、之を行うことは中々困難であります。固より是等の題目は今日初めて現われたのではない、又現内閣の新発明でも何でもない、従来政府之を唱え、政党之を唱え又有ゆる政治家が之を唱えて国民に向っては何かの期待を抱かせて居たのでありまするけれども、之を具体化して以て其の実行に着手したる者は殆ど見出すことが出来ないのである。
——— (中略) ———
吾々は随分長い間行政刷新、即ち行政機構の改革と云うことを聞かされて居る、例えば省の廃合であるとか、或は無任所大臣を新設する、其他中央地方の行政組織を根本的に改革して、之に依って行政を簡易化する、行政を刷新する、行政費を節約する、繁文褥礼の積弊を芟除する、斯う云う議論は随分長い間聞かされて居る、政府も之を唱えるし、政党も亦之を唱えるけれども、今日までそれが実行せられた例はないのであります。
——— (中略) ———
或は又近頃各地に於て人権蹂躙の問題が起って居りますが、其事実を聞きますと、実に驚くべきものがある、所謂粛正選挙、選挙取締を励行することは極めて宜い事でありますが故らに……
(「内務大臣どうした」「大臣の出席を求めます」と呼ぶ者あり)
犯罪を製造するが為に法規を濫用して、濫りに人民の自由を拘束する、人民の自由を拘束するばかりではない、強いて虚偽の自白を求むるが為に之を虐待し、之を拷問し、或は人身に傷を負わせ甚しきに至っては拷問の結果、良民を死に至らしめたものがある
(拍手)
何たる野蛮の行為でありましょう

http://blechmusik.xrea.jp/d/saito/s13/
斉藤隆夫の演説記録を読みながら頭に浮かんだ言葉は「十年一日」。そして、齋藤の演説のほんの数年前に「構造改革」に取り組んだが故に暗殺された二人の政治家を取り上げた『男子の本懐』の読後感もまったく同様である。行政改革・財政健全化・国家の成長戦略といった争点は80年前のあの頃も今もまるで変化がない。「選挙の神様」までがよく似ている、安達謙蔵という人物の来歴を眺めていてふとそう思った。

男子の本懐 (新潮文庫) 男子の本懐 (新潮文庫)
amazon価格:660円

(2009/12/23追記)
国会速記録をもとに齋藤の粛軍演説全文をテキスト化してみた。:「斉藤隆夫「粛軍演説」全文(旧仮名旧字体)」

ゴードン『日本の200年』

  • 2007年4月26日
  • キーワードタグ: 歴史

ふと図書館でみかけて手にとってみた。簡にして要を得た日本近現代通史。

いささかの喰い足りなさはなきにしもあらずだけれど、「あった」「なかった」「広義では」などという不毛かつ浅薄な”歴史認識”ばかりを耳にすることの多い昨今においては一服の清涼剤とも思えた。学校で習い覚えた歴史だけでは「それがどうしたのだ?」「だから何なのだ?」と思ってしまうようなちょっと気の利いた(生意気な)中高生あたりにもお奨めできる一冊かもしれない(学習者向けの特設ウェブサイトが設けてあるそうなのだが、上巻がもう手許にないのでURL不明。まだあるのかも分からぬ)。外国人の目から眺めた日本史像は否が応でも日本人の痛いところを突いてくる。

あっちへ盲信、こっちへ突撃。そんなことばかりを繰り返してきた日本人がいま身につけるべきは、ときに立ち止まり顧み熟考する習慣なのだ。猿真似帝国主義、猿真似民主主義。そんなものにはもううんざり。目覚めよ、日本人!(笑) 気鋭の歴史学者はまさか阿呆な一読者が自著からそのような刺激を与えられることになるとは思いもしてないだろうが。淡々とした叙述。それが今は心地よい。

原著の刊行は2002年。日本語訳の先立って韓国でも出版された由。”インペリアル・デモクラシー”という概念に興味を覚える。少し調べてみることにする。

あいまあいまに多田富雄と鶴見和子の往復書簡集『邂逅』を読む。フムフムそうだそうだと読みつつも、彼らの言葉というのか言葉遣いにと言うべきか、そのどこかに自分との微妙な違和感というのか趣味の違いらしきものを感知するも今のところなんだかよくわからず。まあのんびり構えておくとする。

日本の200年〈上〉―徳川時代から現代まで 日本の200年〈上〉―徳川時代から現代まで
amazon価格:2940円

日本の200年〈下〉―徳川時代から現代まで 日本の200年〈下〉―徳川時代から現代まで
amazon価格:2940円

原題 : A MODERN HISTORY OF JAPAN :From Tokugawa Times to the Present  (Oxford University Press,New York,2003)

邂逅 邂逅
amazon価格:2310円

田村哲と教育論

  • 2007年2月12日

先日のエントリで、古森義久の『嵐に書く』に描かれた河上清について私の思うところを書いたところ、以前何度かコメントを頂戴したことのある Dr.Waterman(勝手ながらドクトルと呼ばせていただいているが)より一つのご教示を頂きました。

私が以前書いたエントリでは触れなかったのですが、『嵐に書く』の中には河上清の友人田村哲についての記述があります。同書によれば田村哲は河上とは青山学院の同窓で、河上より早い時期に渡米、アイオワ大学で地球物理学を学んで将来を嘱望されその後アメリカで気象庁に勤めたのち日本に帰国、海軍大学などで教鞭をとった人物で、河上の渡米実現はこの田村哲との縁や後藤新平からの援助に与っていたとされています。

河上と後藤新平の縁を知った私はそのとき、後藤との縁が深かったもう一人の名前を思いうかべたことでした。そのもう一人の人物とは、みなさんご存じあの「気まぐれロボット」の作者星新一のそのまた父親である星一(ホシ ハジメ)。アメリカで苦学して帰国、星製薬を創業して戦前までは「クスリのホシ」として名高い一大企業を築いた人物(彼については星新一『明治・父・アメリカ』『人民は弱し 官吏は強し』に詳しい)

だいぶ以前に私も読んだことのある『明治・父・アメリカ』のなかに、星一(以下、星)がアメリカで “Japan and America” という雑誌を発行したと記されていたことを微かに記憶にとどめていたのですが、今回、その”Japan and America” に田村哲の教育論が掲載されたことがある旨 Waterman博士からご教示いただいきました。星~後藤~河上~田村らの人的ネットワークというのか人の縁というのか、なんだかそんなものを感じることしきりでした。

官吏であった後藤、田村。他方、在野にあって独立独歩の星、河上。それぞれ立場は異なれど、彼らはみなある種の共通点をもっているように私には思われます。それは「じぶんのつるべで思想の水をくむ」人であったこと。この「じぶんのつるべで・・・」というのは後藤の孫鶴見俊輔の言葉です(もっともこの「つるべ」の喩えはもともと哲学者アランからきているとのことですが)。星、後藤、河上、田村、鶴見。私には、彼らにそうした共通項があるように思われてなりません。そして今、現代に生きるわれわれ日本人に欠けているものを見つけたような気がしています。

1903年、すなわち日露戦争開戦直前にJapan and Americaに掲載された田村の論文 ”A Plea for Academic Freedom in Japan”に次のような一文があるそうです。

今こそ学問の自由を重んぜよ。そうすれば、それが、我らが未来の偉大な国民を涵養することになる。この真理の重大なることを十全に理解するためには、我ら学界に在るものが、今日、官吏による干渉と財界による横柄とに辛苦していることを認識するにしくはなかろう。

今からおよそ百年前に書かれた田村の論文は、日本とアメリカの高等教育について論じられているそうですが(私自身は未見)、すでにそれから一世紀を経た今日、日本の教育は”進歩”したのだろうか。

「歴史と伝統を重んじる態度を養う」のは結構なことだと私でも思う。しかし、重んじられるべき歴史と伝統とやらの具体像はいったいどこにあるのだろうか。もし、さきの田村の言が当時の日本の教育事情、学会事情を踏まえたものであるとするならば、まさに今の日本は「歴史と伝統に忠実」であろうとしているようだ。

産業界の強い要請を大義名分とした実学志向の高等教育。必要な研究費は自前でなんとかしろといわんばかりの独立採算制。その根底にあるのは経済的合理性こそがすべてにさきだつという「思想」だろうと私は思っている(学術文芸を支えるだけの財源がないという側面もあろうが)。そしてそれらを、官吏による干渉・財界の横柄ととらえてもそれほど不当ではなかろう。

文科省や財界の言うところにも一片の理はあろう。たしかに先立つものがなくては研究も教育も不可能だろう。自分で辞書すらひいたことのない受け身一辺倒の学生が大量生産されては産業界も困るだろう。私自身もそれを認めるにやぶさかではない。

しかし文部官僚や産業界の居丈高な物言いを見聞する限り、どうも彼らは学術研究や教育の価値をきわめて過小に評価した上でその非効率性を罵倒しているように思える。対価の得られない研究などやめちまえ、教育制度という”生産ライン”を構築しさえすればそれに応じた人間が完成する(出来た製品がつまらないなら生産ラインを再構築・変更すればよい)のだ、と。

むろん非効率なありかたは改善されるべきだろう。正論である。しかし、はたして”短期的な効率性”の追求がそのじつ”長期的な非効率性”をもたらさないと言い切れるだろうか。単位投資額あたりの収益、単位時間当たりの成績を重視するのはけっこうだけれど、その「単位」(の選択)はあくまでも任意のものにすぎないことを忘れていやしないか。短く設定するのも可、長く設定するのも可。物差しの長さ(短さ)にはとりたてて意味はない。ミクロンメーターを使って自分の身長を測定しようとする愚か者にはなるべきでなかろう。あの、数々の画期的な発明をなしたエジソンはどれほどの時間と費用をドブに捨てただろうか。人生のある時期、ある期間にに人並みの成果すらあげ得なかった(=小学校での成績不振)エジソンはまさに”無駄な人間”だったのではないだろうか。

日本とアメリカの高等教育の違いを身をもって経験したであろう田村哲。日米どちらの高等教育が優れているのか、それは私などには分かるはずもない。しかしすべての教育を日本で授かった私にも一つだけわかることがある。それは日本の教育は「じぶんのつるべで水を汲む」「エサの取り方を学ぶ」かたちのものではないということだ。言うまでもないことだが、誰れに教えられずとも自然な形で「じぶんのつるべ」を実践している人もいるだろうとは私も思う。あちこちのブログをのぞくだけでもそれは実感できる(すべてのブログがそうだとは言わないけれど)。思った以上にたくさんの人びとが、自分自身の井戸から自分のつるべでくみ出した思想の水を、惜しげもなくわれわれに差し出しておられる。面識があるわけでもなく、対価を支払ったわけでもないにもかかわらず、だ。

しかしながらまた一方で、どう贔屓目にみての空疎にしか見えないことばが世に溢れているのもまた事実であろう。「歴史と伝統の重視」という言葉はそれだけではいかにも空疎だ。スローガンはスローガンでしかない。それで腹は満たされない。

かつて「ゆとり教育」なるスローガンがあった。そして今、ゆとり教育は教育の荒廃をもたらした主犯として貶められている。もっとも、私には「ゆとり教育」と「規律重視の教育」のどちらが正しいのかわかりはしない。わかるのはどちらも正しくどちらも間違いだろうということだけだ。

ゆとり教育をやれと言われればそっちへ靡き、いやそれは誤りだといわれれば反対方向へ靡く。いつまでそんな「効率の悪い」ことを続けるつもりなのか。もうそろそろその「あれかこれか」「正解はどっち?」「正解がたった一つだけ存在する」というところから卒業してもいいのではないだろうか。だれにも批判されないですむような「正解」を探し続ける子供じみた大人がいったいなにを子供に教えようとするのか、なにを子供に教えうるのか私には解らない。

「じぶんのつるべで水を汲む人間を育てる」という大目標(そのような人間を果たして「育て」られるものかどうかという疑問もあるが・・・)を見据えた上で、敢えて周囲から批判を浴びることを覚悟しつつ「じぶんのつるべで教育方法を探し出」そうとする、そういう大人が今の日本にいないわけではないだろうとわたしは思っている。ただ、そういう人が活躍できるフィールドが今の日本には少ないのだろう。

昨今の”凛とした”政治家の方々に私は「自分のつるべ」で水を汲む姿勢を見ないでもない(錯覚かもしれないが)。ただ、政治家であれ誰であれ、「あなたの汲みだした『水』を飲むか否かは相手次第だよ」ということを忘れないでいて欲しいと思う。且つ、私自身、自らにその水を飲むか否かの選択権があるのだということを忘れないでいたいと思う。

上記田村の論文には次のように記されている。

統制された教育からは、独創的な研究も真の愛国心を持った国民も育たない

なんだか当初書こうとした内容から逸れたのが不本意だけれどひとまずこれにて。末筆ながら、田村の論文についてご教示下さったDr.Watermanのご厚意に感謝申し上げます。

鶴見俊輔ほか『日米交換船』

  • 2007年1月24日

読んでからいくらか日が経ってしまいましたが少しだけ感想をメモ。

久しく鶴見俊輔は私の視界には入ってくることがなかった。ところが一昨年、新聞で鶴見のインタヴュー記事を見かけて以来、ちょっと気になる人として私のメモリーに書き込まれたのだった。その記事についてあれこれと書き始めればきっと長くなること必定なので他日に譲るが、私は「戦争と私」と題されたその記事の中の「自分のつるべで思想の水を汲む」「思想は学問ではない。自分の偏見を支えとして世界に対して立つ態度に根ざすもの・・・」 という一節に引き寄せられたのだった。そしてその記事の中には「日米交換船」という文字もあった。上記ようないきさつから今回、この鶴見、加藤典洋、黒川創の手になる『日米交換船』を読んだ。この本の体裁は次の通り。

  • 加藤による附言 「国と国のあいだで」
  • 三著者による鼎談 「日米交換船の人びと」
  • 黒川によるリポート 「交換船の記録」
  • 鶴見による人物回想  「この人の横顔」
  • 鶴見と同船者との対談  「三つの会見記」
  • あとがきに替えた鶴見の附言 「封印された記憶」

巻末には日米交換船関係年表、その他の参考資料、人名索引が付されている。

この本には、鶴見の祖父に当たる後藤新平を始めとして有名・無名問わず多数の人名が登場するが、ここにその全てを挙げることはやめておく。(以下覚え書き)

一人の人間が生きることは、一つの国の運命として語られることよりも、広くて深い。そんなことはわかっているといわれるかもしれないが、しかし、こういうことは、何度も、薄い紙に叩かれるように、忘れては思いだし、忘れてはまた紙片に叱られるほか、自分の中に、維持できない。 

『日米交換船』より加藤典洋「国と国のあいだで」

(鶴見) 私は偶然、ホワイトヘッドの最終講演を聴いていた。ホワイトヘッドは、ずっと話をしていて、終わりになにか一言ぱっと言って、壇を下りちゃったんですよ。もうよたよただった。 いったい最後になにを言ったんだろうと、ずっと気になっていて、戦後三〇年以上経ってからホワイトヘッドの講演記録を取り寄せたんだ。
 最後の一言は、"Exactness is a fake."

———{中略}———

(鶴見) バートランド・ラッセルも、おもしろいことを言った。ハーヴァード大学の公開講座で一二回講演したもので、それはAn Inquiry into Meaning and Truth(『意味と真偽性』)という一冊の本になっている。そのなかで、「ああ、自分のしゃべていることは全部間違っているんだ」と思うことがあると言ったんです。本になったときは入れていませんけどね。しかし、それは矛盾を含んでいるから、論理的には成り立たないんです。矛盾を含んでいるものが正しいとすると、世界で成立するあらゆる矛盾を含む命題が、全部正しくなってしまう。だが、自分が疲れて家に帰ってきたとき、感情の形で、自分のなかを一瞬そういう判断が横切ることはさけられない。こういうとき、ラッセルは矛盾を含んだ人間として、人間の哲学を説いている。 

同上 「鼎談 日米交換船の人びと」

ここではとくに言及しませんでしたが、黒川氏によるリポート「交換船の記録」は典拠等もきっちり示され、私の印象としては非常に緻密な(交換実施の)復元像だと思います。そのなかには京都大学などで教鞭を執っていたフォスコ・マライーニ(イタリアの降伏後に敵性外国人として日本政府により抑留された)の次のような言葉が引用されています。

「・・・やはり飢えを知らない者に、飢えがどんなものかはわからない。辞書に載っている言葉にすぎず、自分の内にある苦しみではないのだ」(フォスコ・マライーニ ”Meeting with Japan”)

日米交換船 日米交換船
amazonでは入手不可

レーヴィット『ナチズムと私の生活』

  • 2006年12月26日

哲学者カール・レーヴィットの”自分史”。ユダヤ系ドイツ人であるが故に亡命を余儀なくされ、イタリアから日本(仙台)へ、そしてアメリカへと何度も亡命を余儀なくされた1930年代が記述の大半を占める。一学者を取り巻く政治的状況の変化がヴィヴィッドに描写されている。

元来がハーヴァード大学図書館が募集した懸賞論文向けの手記の由で、難解な哲学用語などはほとんど皆無(なので私でも読めた)。アメリカへ渡る直前に仙台で書かれたのは確からしく、当時日本に滞在していたドイツ人についてのイニシャルトークが含まれる。

ここでレーヴィットはナチス台頭の要因として次のことを挙げる(※1) 。

  • 第一次世界大戦後のドイツ中産階級の崩壊
  • 一般市民の「政治からの退却」(=個人生活への引きこもり)

こうした見解には特段の独自性はないが、レーヴィット自身や著名な画家であった彼の父親らに関わる具体例から当時のドイツの生活状況を窺い知ることができる。

彼自身はヒトラーが政権に就くまさにその頃のことを次のように回想している。

わたしどもは(中略)たとえただ一時間だけでも政治に犠牲としてささげようなどとは思わなかった。四人でスキー遠足をやり、バスで投票に向かう少数の市民を嘲った

そして大学当局から抗議を禁じられることになったレーヴィットは自らの最終講義を次のような言葉で終える。

まともに講義ができるためにはかならずしも「アーリア人」でなくてもよいこと、肝腎なのはその人がなに〔=人種の一員〕 であるかではなくてだれ〔=独自の資質・性格をもった個人〕であるかであること、これを自分の講義を聴いて学びとってくれたと思いたい

かつての師ハイデガーに対する厳しい評価(「色黒の小男」等)もあり、またフッサール(文中では「フッセル」)は素朴な老学究として言及がある。この本にはハイデガー、フッサールやM・ウェーバーの写真も複数掲載されている(この手の書物としては比較的に掲載写真が豊富なのが目に留まる)。なかでもハイデガーのポートレートを時系列に三葉並べているところには、(おそらく著者の意図ではない※2)ある種の意図が感じられる。1933年のハイデガーの口髭はまるでヒトラーのそれのようだ。

※1: ヒトラーに関しては明確な言及は見当たらないけれど、それは決してレーヴィットがヒトラーの役割(悪事)を過小評価しているわけではない(と私は読んだ)。私には、ナチスに加担したかつての師ハイデガー(その学問的業績にではなく人となり)に対してすら極めて辛辣な(冷徹な)評価を下している点からしても、レーヴィットのヒトラー観は敢えて語るまでもないむしろ言葉に出来ないほどの(憎悪を伴う)ものだろうという気がする。

※2: 私がそう考える理由の一つは、妻アーダによる「あとがき」によれば、生前の著者本人は出版を意図しておらず、彼の死後に周囲の勧めによってアーダが出版を決意したものだから。

ナチズムと私の生活―仙台からの告発 (叢書・ウニベルシタス)
amazonでは入手不可

(史料)文部省による天皇機関説排除

  • 2006年12月17日
  • キーワードタグ: 歴史

戦前の文部省思想局が天皇機関説学者に転向を強要(西日本新聞)
  秘密文書「各大学における憲法学説調査に関する文書」要旨(同)

 一、速急の処置が必要な者。著書や講義内容の絶版、改訂を要求、受諾しない場合は著書の禁止を考慮。憲法講義を担任させない=中島重(関西学院大)、田畑忍(同志社大)、森口繁治、野村淳治(早大、明大)、宮沢俊義(東大)、浅井清(慶大)、中野登美雄(早大)、副島義一

 一、厳重な注意を与えることが必要な者。絶版、改訂を要求、受諾しない場合は憲法講義をやめさせる、または休講させる=佐々木惣一(立命館大)、野村信孝(明大、専大)、竹内雄(明大)、藤井新一(早大、日大)、渡辺宗太郎(京大)、河村又介(九大)、吉田一枝(関西大)、中村進午(立大、日大、拓大、上智大)

 一、(1)機関という語を使用させない(2)不穏当な個所を改めさせ将来を誓約させる−の点について注意を与えることが必要な者=西川一男(国学院大)、志田☆太郎(立正大)、田上穣治(東京商大専門部)

(注)☆は金ヘンに甲

関連記事:「1935年『天皇機関説変えよ』学者への弾圧克明に」(中日新聞)
  ※共同通信配信なので内容は上記西日本新聞とほぼ同一。
   ただしこちらは解説と立花隆氏のコメントつき。

16日、分かった
米議会図書館に保管

と記事にあるが、主語はない。
今回調査したのはどこかの学者さんなのだろうか。それとも共同通信?そのへんにも興味あります。

ハインペル『人間とその現在』

  • 2006年12月16日

アメリカの覇権政策、日本の保守(?)化・・・。そうした世界の片隅で読む半世紀前に書かれたドイツ史家ヘルマン・ハインペルの著作、『人間とその現在』。一歴史家である著者自身ががその根底にもっている自身の歴史意識・時間意識を掘り下げてゆくところからこの本は始まっている。このあたりはお弟子筋の訳者阿部謹也と共通している。
翻って現代の日本、中身の見えない”歴史と伝統の尊重”が声高に叫ばれている。この本を読みつつ、私は、もしハインペルや阿部謹也が存命であったら果たして何と言うであろうか、などと考えること頻りであった。「あった」「いや、なかった」・・・、そんな次元の(「ある」「ない」「あれか」「これか」という単層的な)”歴史認識”論争なぞは、歴史論争というよりはむしろ只のイデオロギー論争ではなかろうか、と思わずにはいられない。そして、「戦後体制からの脱却」とやらいう政治的スローガンもまた皮相的であるとの批判を免れない。

ハインペルは次のように言う。

ひとつの時代の切れ目を見出す者は、同時にその時代の本質を規定しているのである

ヘルマン・ハインペル『人間とその現在』未來社

いったい、戦後レジームの解体を叫ぶ彼らは、「戦後レジーム・戦後体制」を解体すべきか否かという以前に、そもそも彼ら自身が「戦後体制」というものをどのように捉えているのかをまともに説明したことがあるだろうか?少なくとも彼らがそうしたことを為したということを私は寡聞にして知らない。
そういえば、「昔は今よりもっと ○ ○ ○」、彼らのそういう言い回しなら飽きるほど聞いた(聞いている)のだけれど、もしその程度のことを”歴史”だと言うのなら、人類はおそらく過去数千年にわたって何の進歩も出来なかったということなのだろうと言うほか無い。

そうした疑問にとらわれている私は、ハインペルが発した50年前の言葉がそのまま現在にも通じていることに強い感銘を覚えた。

ルターは世界をつき離し、カルヴァンは世界を支配する・・・ルターとルター主義は・・・服従のパトスを醸成し・・・カルヴァンとカルヴィニズムは・・・自由のパトスを生み出している・・・ルターから道は・・・レアルポリティークの理念に向かった。イギリス・アメリカ[カルヴァン主義者たち※]においては近代の十字軍兵士、キリスト教の兵士が敵に立向かい、敵は戦争によって罰せられ、戦後に教育されなければならないことになっている。
※[  ]内は引用者注

同上

この本の訳者あとがきにて阿部は言う。

本書がはじめて紹介されてから二十年近くたってようやくハインペルのヨーロッパが私たちに近くなったのではないかと思う。

なお、本書の副題は「ヨーロッパの歴史意識」となっている。さて、対する日本の歴史意識とはいったいどのようなものなのだろうか。それに関して次に私見を述べてみるとする。
そうなのだ。
やはり、日本は柔軟な「木造家屋」なのだ。
数十年でなにもかもが「寿命」を迎える。
そして、そこでは憲法もただの耐久消費財である。

二度の敗戦を経て、敢えて自らに自国の歴史を再構築する責務を課したハインペル。彼の試みは結局挫折したのではないか、と阿部は言う。しかし驚くほど真摯に歴史に対峙するハインペルのような愚直さは、今の日本ではもっとも希少なものだという思いを新たにして私は本を閉じた。
改正教育基本法成立の日の夜更けに野人記す。

人間とその現在―ヨーロッパの歴史意識
ヘルマン ハインペル
amazonでは入手不可

以下に目次を記しておく。

(続きを読む…)

ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』

  • 2006年11月17日

以前どこかで阿川弘之氏が絶賛していたかに記憶する ダワー『敗北を抱きしめて』(原著の発行は1999年)。ようやく読みました。敗戦以後の昭和史を総括したアメリカ人歴史学者の大作。日本の戦後史の基調音がはっきりと聞こえてくる気がしました。以下、しばらく私なりの戦後史観を述べます(とくに憲法改正と在日米軍再編に関して)。


対米従属と憲法改正の整合性

敗戦から今日に至るまで日本の政治はどこまでも一貫した路線を歩んできている。それはアメリカへの従属、この一言に尽きる。いま、「普通の国」になるため(らしい)第9条改正が問題になってもなぜか在日米軍の完全撤退は問題にもされない(在日米軍問題はあくまでも再編成にとどまる)。しかもこの問題に関してはアメリカ対日本政府という構図よりもむしろアメリカ+日本政府対沖縄県(若しくはその他自治体)の対立が目立つばかり。
それはなぜか。日本政府にとっては(もちろんアメリカ政府にとっても)在日米軍の完全撤退・基地撤去など最初から思慮の外であるからだろう。

しかしむしろ現在の9条改正論は「普通の国」になるためではなく、むしろ米軍との一体化を完成させることこそがその眼目だと考える方がすっきり納得できる。警察予備隊誕生のその日からミニ米軍として組織された現在の自衛隊。アメリカ空軍をモデルとした航空自衛隊は言うに及ばず、かつてアジア最大の軍事力を誇った帝国陸海軍の伝統につらなるはずの海上・陸上自衛隊に至るまでその組織・運用はすべて米軍型。旧軍の名残と言えば「金曜カレー」が如き生活習慣くらいのものだ。問題の焦点は、9条による制約のために戦場では米軍の下働きしかできないこと(というよりそもそも”戦場”で活動できない)。9条改正によって文字通りの戦力と認知され武力行使が可能となった上に集団的自衛権も認められれば、自衛隊は方面軍として米軍と完全に一体となった行動が可能となる。

平和維持活動の充実?そんなのは畢竟副次的なものにすぎない。武器使用の制限などは国内法の問題にすぎない。その気があるなら憲法改正など不要。法律の改正で間に合う。なぜなら一歩日本から外に出れば自衛隊はどこの国から見ても既に立派な軍隊なのだから。マッチョな男が制服を着て武器を抱えていつでも戦闘開始できるナリでいながら、「ぼく武器つかいたくないんだよねぇ」などと言っているだけだ。結局、武力を行使する気があるないかにかかわらず自衛隊はまぎれもない軍事組織である。海外で自衛隊を”自衛隊(Self Defence Force)”と呼んでくれるのは事情を知っている彼の国の軍人さんだけであろう。一般人なら「要するに軍隊でしょ」でおしまい。すでに軍隊である以上、日本人以外の人が見れば自衛官と自称する軍人が小銃をぶっ放そうがどうしようが何ら怪しむところはない。軍人が鉄砲撃つのは当然だから。したがって自衛隊による平和的国際貢献活動を充実させる為に自衛隊の憲法上の位置づけを明確にする必要性は薄い。結局のところ9条改正は、すでに完成間近の米軍・自衛隊一体化の総仕上げを意味するものなのである。

自衛隊・米軍の一体化の総仕上げ

ではアメリカが自衛隊を一体化する動機はなにか、またなぜもっと早い段階で一体化を完成させなかったのかという二つの問いが出て来よう。まず一体化の動機に関して言えば、一つにはアメリカに対する日本の無力化と中国に対するプレゼンスの強化が目的であると考えることはさほど突飛なことではなかろう。「すでに無力だ」「日本がアメリカに刃向かうなどあり得ない」と言う向きもあろうが、日本の忠誠心に頼るだけでなく、万一に備えて首根っこを押さえておくことはアメリカにとっては無駄ではなかろう。兵器も電子装備も通信手段もなにもかも、自衛隊に関するものすべてのマスターキーを握るアメリカ。そうして東アジアの東辺に位置する日本は、文字通り伸長著しい中国に対するアメリカの橋頭堡になるのである。

二つめの問いに関しては、アメリカが朝鮮戦争勃発の頃から首尾一貫して日本の再軍備、軍事力強化を主張してきたことを思い起こせばよい。私の知る限りではアメリカが日本の軍事力強化に懸念を示したことは戦後一度もなかった。中曽根政権が日本の不沈空母化に言及した際にアメリカがどう反応したか、湾岸戦争の際に自衛隊派遣を渋る日本をどれほどコケにしたか。アメリカは日本の軍事力強化を望みこそすれ、決して警戒などしなかった。私の考えるところでは、戦争を経験した世代にみられる軍隊とそれに類するものに対する根強い嫌悪感と冷戦構造がアメリカに自制を強いていたのである。現に、典型的反共保守政治家であるはずの吉田茂は、再軍備を要求する目的でアメリカ国務省の高官が来日するにあたっては、反戦デモをやってみせるよう密かに社会党の有力者に依頼したとされる。戦争を知らない世代が国家の中枢に登り詰めた今、日本がアメリカに与えられたかねてからの宿題をようやく完成させる時機が到来したのである。

節操しらずとアメリカの軛

そもそもアメリカは日本を対等なパートナーだとは毛頭考えていない(と私は思う)。解任されたマッカーサーが帰国したのち議会で「日本は12歳の子ども」と(ダワーによれば好意的に)述べたことは旧聞に属するが、その前後の日本人のマッカーサーに対する言動は、戦後の日米関係の本質を浮き彫りにする。中国政策をめぐって対立したトルーマン大統領によって突如解任されたマッカーサーがその離日にあたって、日本の人々やマスコミ、政府、自治体、天皇がどれほど彼の離日を惜しんだことか。マッカーサーの帰国を惜しむ20万人とも言われる人々が沿道を埋め、朝日新聞をはじめとする主要マスコミがマッカーサーの業績を讃美し、東京都は名誉都民の称号授与を検討すると述べ、天皇ですら、すでに無冠の人となったマッカーサーを訪問することに難色を示した側近の忠告を無視してまで自らマッカーサーのもとに訪れて別れを告げたという。敗戦国日本の人々は国民総出で占領軍の総司令官との別れに涙した。ところが帰国したマッカーサーの「日本人は12歳」発言を知った日本人は「裏切られた」と感じたようである。マッカーサー熱は一気に冷め、東京都は名誉都民授与を白紙撤回したのだそうである。文字通りマッカーサーは老兵として第一線からだけでなく日本人の心からも消え去った。いま果たしてイラクの人々は、アメリカ中央軍のアビザイド司令官が離任するとなったときどのような反応を示すだろうか。日本人がマッカーサーに示したほどの好意をみせるだろうか。私には想像がつかない。イラクと日本を一緒にするな、という声が聞こえてきそうだが、日本進駐にあたったときのアメリカ軍の警戒心はイラク侵攻の時のそれと大差はなかったものと思われる。敗戦必至の情勢にもかかわらず繰り返された日本軍の特攻作戦はアメリカ軍が史上初めて経験した自爆攻撃であったという。(その効果はともかくとして)最期まで頑強な抵抗を見せた日本人が、進駐するアメリカ軍にあくまでも抵抗するという予測は決して荒唐無稽なこととは考えられなかったはずである。

イラクの場合は正規軍のあっけない敗北の後に頑強なゲリラ的抵抗と自爆テロ(kamikaze attack)がいまもつづいている。当時の日本はその逆であった。神風攻撃のあとにやってきたのはあっけない敗北であった。アメリカ軍は驚くほどの平穏さを進駐した日本の地に見出した。虚脱した日本人たちは(心理的抵抗はともかくとして)何らの抵抗も見せずにアメリカ軍を受け入れ、目端の利く連中は証拠隠滅と貯蔵物資の横領・隠匿に忙しかったという。そして抵抗を覚悟して警戒していたアメリカ軍を唖然とさせたのは、日本人のあきれるほどの節操のなさ であったのだ。

マッカーサー最高司令官とその指揮下にあるGHQスタッフに送られた手紙、ハガキ、陳情書には・・・特定の個人を戦争犯罪人として逮捕・追放し、裁判にかけるべきだとして、名指しで告発するものがあった。
また戦争中に権力を笠にきて威圧的な言動をしていた役人を、地域の住人が告発する手紙もあった。高校生や大学生たちは、軍国主義に加担した教員を指摘した。旧帝国軍人のなかには、戦争中に連合軍の捕虜に虐待を行った日本人兵士の名前を告発する者もいた。いくつかの宗派などの組織が、戦争中に超国家主義の「旗ふり役」をしていたことも指摘された。
他人を告発する動きは広がりを見せ、過去の問題にとどまらず現在のできごとにも向けられていった。・・・「反アメリカ的」な感情をもったり、「反民主主義的」な考えを抱いていた人々も告発された。このような情け容赦のない告発文書が、マッカーサーやGHQのもとに送られてきたのである。こうした事実だけを見るかぎり、きのうまで愛国主義者だった日本人は、一夜にして占領軍への密告者、あるいは情報提供者に変貌してしまったようにもみえる。その他にも、日本はアメリカの属国になるか、あるいは永久にアメリカの植民地になるべきだと主張するような、驚くべき手紙も存在した。もしそうならなければ、日本の民主改革は、やがて元の木阿弥になってしまうだろうと、明言するものもあった。
・・・占領軍で手紙の翻訳にかかわった沖縄出身の日系アメリカ人は、このような告発の手紙を読んでいるうちに、自分は日本人を軽蔑するようになってしまったと袖井教授に語っている。日本人とは、風向きに応じて方向を変える風見鶏のようだ—多くの人々がそのように感じていた。
上292

とまあ、読み進むうちに近年の様々な問題について「あぁそういうことか」と腑に落ちるところがあちこちにありました。それと戦後の日本がいかにアメリカの意向次第で右往左往してきたのかについても。まさにタタールの軛ならぬ”アメリカの軛”が見えてきます。この本ではその大半を敗戦の日から講和条約成立までの記述に費やし、エピローグで若干その後のことに触れています。感銘を受けたという点では今年私が読んだ本のうちの筆頭に挙げる著作です。

戦後からの脱却が呼号される今、賛否どちらの立場に立つにせよ、戦後史の見取り図を端的に示してくれるこのような著作は必読文献と言っていいと私は思います(私が感銘を受けた本は基本的にすべて”必読文献”になります。あくまでも「私にとっては」ですが。てかもう読んだんだけど・・・)。ほかにも興味深い記述が満載されていますが、ここでは到底書き尽くせません。

一例を挙げれば隠匿物資が問題となって調査委員会 の副委員長を務めたものの、のちに自らが隠匿に関わっていたとして辞職した国会議員 隠退蔵物資等処理委員会の副委員長(内務政務次官)として隠退蔵物資の調査を手掛けたのが今の世耕弘成内閣広報官(?でしたっけ)首相補佐官である祖父世耕弘一なのだそうで。もちろん岸信介に関する記述も出てきます。ずばり「悪辣な」「右翼」と書かれていますが。

ちなみに、本土決戦に備えて備蓄されていた莫大な貴金属・軍需物資が隠匿・退蔵されたことが戦後の急激なインフレや産業復興の停滞など日本経済の動向に大きな影響を与えたというのがダワーの見解です。

自由と規律

話は変わって、ダワーのこの著作には現在の教育問題に関しても多くの示唆を与えてくれます。

典型的な小学校教科書であった『少年少女のための民主読本』は・・・自由は尊重されるべきであるが、同時にそれは自己本位とは区別されねばならず、責任をともなった上で行使されなければならないとも教えている。
民主主義の中心的概念である平等についても、それは「同じであること」と混同されてはならないのであって、機会の平等の意味なのだとされていた。
・・・概して、敗戦が教師に与えた衝撃は、容易に乗り越えられないほどのものであった。降伏の瞬間まで彼らは天皇制の正統性を教え込む教練軍人のようなものであった。それが一夜にして、それまでとは異なった考え方をしなければならなくなったばかりでなく、以前と同じような熱意を持って、新しい正統教義を教えるよう命じられたのである。

当然のことながらじつにさまざまな対応が現われた。ある者は皮肉まじりの自己嘲笑的な態度でもって、新しい教材や、教員と生徒の間の民主的なギブ・アンド・テイクの関係について生徒に話しかけた。当時中学生だったある人物は、その頃のことを思い出しながら次のように語っている。自分の中学校の先生が教室で「さて今日は何の勉強をしようか?」と尋ね、すぐ次のように言った、「今は民主主義の世の中だからまず君たちの意見を聞かなくてはならないんだよ」。 

上317~318

60年も前から頭では分かっていたのですよ。日本人は。ただ行動がそれに伴わなかった。従って私は、いまさら教育基本法を改正すれば何かが改善されるというようなものではないと思うのです。だって頭ではとっくに分かっていることを実行できないところが問題なのですから。強いて言えば改正を唱える人々が(というより我々自身が)自由と規律を体現して見せることの方がよほど教育的ではないのでしょうか。

法と現実

法の改廃が必ずしも実質的な変化をもたらさないこともあり、場合によってはそれまで以上に(世の人びとにとっては)状況が悪化することすらあり得るということが以下の例からも読み取れはしないでしょうか。規制緩和・・・。ゆるくなったからって喜ぶべきかどうかは別問題、というところでしょうか。今に生きる私たちにも思い当たるところが幾つもありそうです。

(事前検閲から事後検閲への変更について)この公式な規制緩和を誤解してはならない。(中略)検閲はより厳しく、恣意的で、予測不可能になっていった。とくに印刷媒体については、さらに隠微で陰険になった。出版社、編集者、作家の多くは、検閲が事前から事後になったことで自由になったと感じるどころか、それまで以上の恐怖を感じた。すでに発行されている新聞なり、雑誌、書籍が占領当局に不許可と判断され、回収を命じられた場合、その経済的打撃は痛烈だったからである。経済的不安感があるとき、検閲が曖昧で恣意的であることはSCAPの目的にとくに都合よく作用した。すでに市場に出した商品が検閲にひっかかる危険を敢えて冒せる出版事業者などほとんどいなかったからである。その結果、占領が進むにつれて、用心と自己検閲はますますあからさまになった。 

下P217-218
追記)
世耕弘一に関してこの著作とは関係のない記述(他のデータソースからのもの)をこの著作の内容であるかのように書いておりました。お詫びして訂正します。
(ダワーの著作のなかで世耕弘一と隠退蔵物資に触れられている箇所は上巻P127ー128です)。また孫の方の世耕さんは広報官ではなくで補佐官の誤りでした。

敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人 敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
amazon価格:2730円

敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人 敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人
amazon価格:2730円

〔原題〕john W.dower EMBRACING DEFEAT japan in the Wake of World War Ⅱp

(2007年4月7日一部改稿)
(2010年5月5日一部をフットノートに移動)

佐木隆三『司法卿江藤新平』

  • 2006年11月16日

佐賀の乱の首謀者として斬首された江藤新平。以前写真で彼と、同時に処刑された島義勇(しま よしたけ)の梟首を見たことを思い出しました。

征韓論派と内治派とが対立した明治六年政変に際して下野し、佐賀に帰っていた江藤。佐賀の乱は、新政府への憤懣を湛えた旧藩士が彼らを担いで起した”反乱”とされています。

この本では、行政からの司法権独立を確保しようとする京都地裁と京都府庁との軋轢に江藤個人への反感も絡んだ、政府部内での権力闘争という側面が強調されています。

のちにプロイセン=モデルの強力な行政権確立を目指すことになる明治新政府内において、司法権の独立性確保を強く主張した江藤。京都府庁の要人らは中央政界との繋がりをも駆使して司法省・京都地裁と対立、そうしたなかで司法権擁護の立場に立つ江藤が標的となり、佐賀の乱ではほとんど即決裁判の形で性急に処刑されたとされています(著者は、江藤を処刑するという大久保の個人的な意向がそのまま判決に反映されており正当な裁判とは言い難いことを強く示唆しています)。

結局のところ、江藤が処刑される直接の原因となった佐賀の乱そのものに大した実体はなく、むしろ些細な騒動について地方から中央へもたらされた報告が誤報に近いものであったのだそうです。

そのようなわけで、この本によればどうもこの乱は、時代に取り残された武士たちの不満が要因ではないようです。私には初耳でした。
読んでから少し間が空いたので細かいところがすでに忘却の彼方なのですが、面白い本でした。

なかでも行政と司法との対立という構図に興味を覚えました。
強力な行政権の象徴的存在であった内務省とそれを牛耳った大久保利通、司法権の独立性を確立せんとした江藤新平。昨今の政治情勢を見るにつけ、私はそうした江藤を「佐賀の理窟倒れ」などとは片付けられない、片付けたくないとの思いを強くします。

いつになるかわかりませんが佐賀の乱と損たような(下野した実力者が担がれて旧藩士が反政府蜂起したという)イメージのある西南戦争についても機会を見つけて調べてみたいと思います。

しかし今の日本はどうなんでしょうか。三権分立とは言いながら、行政の長である総理大臣に過度に権力が集中しつつあるように思えるのですが・・・。自公連立という変態性はさておき、造反議員排除に象徴されるような強力な統制力を備えた党総裁が行政のトップ。なんだか立法と行政の境界が見えません。
司法に至ってははるか以前からすでに行政からの独立性を失っているように見えますし。

ふと思ったのですが、総理公選などせずともすでに事実上の大統領制、いや独裁制(?)に近似するものが出来上りつつあるのでは?という気がしないでもありません。ま、も少し考えをまとめて(まとまればの話ですが)いつか改めて書いてみたいと思います。「三権分立は維持されている」ということも出来るようで出来ないような・・・)

そういえば日本の政治家が小泉氏以来さかんに「リーダーシップ」を連呼していますが、かのヒトラーもしきりに「リーダーシップ、リーダーシップ」と唱えていた(もちろんドイツ語で)が思い出されます。リーダーシップ、ドイツ語では「Fuehrerheit」。(そういえば安倍晋三氏や麻生太郎氏らは大久保利通との血縁関係があったのでした。「大久保のDNA」は脈々と受け継がれているのかも・・・。)

これは暗合!? う~ん
またいずれ

Fuehrer(フューラー)="指導者"。転じて"総統"。
 ※Uウムラウトが出せませんので"ue"と表記しています。ウムラウトは文字のあたまに点々二つ。念の為。

 追記)

!!スペルミスしておりました・・・
Fueler× 正しくはFuehrer  です。
ちなみにfuehrerには”教師”とか”先生”という含意はありません。そちらの方はLehrer。キーボードでは打ち慣れないもので・・・。言い訳でした。

司法卿 江藤新平 (文春文庫) 司法卿 江藤新平 (文春文庫)
amazonでは入手不可

阿部謹也『日本人の歴史意識』

  • 2006年9月29日

私にとっては些か難解なところもありましたが、随所にハッとさせられる言葉がありました。

  • 日本における「社会」は、明治以後に導入された”近代的社会””世間”という二重構造を持っている。
  • 人間が”個人”としてではなく集合体として観念される” 人間集団の未分化状態 ”は、ヨーロッパではキリスト教の浸透に伴って12世紀に消滅したのに対して日本では ” 世間 ” として現存している。(個人=内面を持つ存在)
  • 欧米人の歴史意識が直線的であるのに対して、日本人の時間意識は円環的である

以上は印象に残ったところを私なりの言葉でメモしたものです。
思うところはいろいろありますが、今日のところはグダグダ書くのはやめておきます。いや、一つだけ書くとすれば、自分自身の身の回りの出来事や一見あたりまえであるかのような種々を自分自身の眼で見据えようとする阿部氏の姿勢にはとても共感を覚えます。いや、おこがましくて共感などとは到底言えないかもしれません。なにせ私の物の見方や考え方は、高校時代に初めて読んだ阿部氏の著作によって身についたようなものですから。なんだか恩師と久しぶりに再会したような気分です。あいかわらず早口で難解でしたが・・・。享年71歳。あまりにも早すぎた死でした。

昨日から今日への時の流れのなかにある自分の一生がそれ自体歴史であるということはみな解っている。・・・(しかし)歴史を自分自身が参加しているドラマだとは思っていない・・・多くの人が好む歴史は観客として眺める歴史(ドラマ)・・・

自分が加わっている時の流れは自分の運命として甘受しなければならないものなのである。

日本人の歴史意識―「世間」という視角から (岩波新書) 日本人の歴史意識―「世間」という視角から (岩波新書)
amazon価格:735円

阿部謹也『日本人はいかに生きるべきか』

  • 2006年9月27日

ドイツ中世史の泰斗として知られる阿部謹也氏の著作。晩年には「世間」とは何かを追求されていたようです。日本における民主主義や教養とは何か、大学における生涯教育提唱などが主な内容になっています。私自身は日本における個人と社会との関係(世間とは何か、日本に”個人”は存在するのか)に最も興味を覚えました。

いじめの問題にしても、学校側はいじめがないかのような顔をする。みんな仲良くするように教えている。しかし、仲良くするとはどういうことか、なぜ仲良くするのか、そういうことはだれも考えない。上から押しつけるだけなのです。・・・日本も、戦前はずっと個人を抑え込もうとしたのです。ところが戦後は個人を抑え込まないようにしたために、個人が個人でなくなって、エゴになりつつある。

私は「エゴ」の部分を”わがまま者”と読み替えて理解しました。

わが国では法律の中に民主主義の規定がありさえすれば民主主義が実現していると多くの人が考えているように見える。

非難に価することのすべてを口にしてはいけない、しかし賞賛に値することは皆口に出していうべきである
~手工業職人の父親が遍歴の旅に出る息子に送った手紙より

内容がわりと多岐にわたっているので、ひょっとしたら不適切な抜粋引用で文章本来の趣旨を歪めているかもしれません。興味を惹かれた方は読んでご覧になることをお勧めします。

日本人はいかに生きるべきか 日本人はいかに生きるべきか
amazonでは入手不可

ガルブレイス『大恐慌』

  • 2006年8月5日

最後の海軍大臣 米内光政

  • 2006年3月12日

日独伊三国軍事同盟にあくまでも反対を貫いた海軍提督。山本五十六、井上成美を含めて理性的海軍軍人の代表格ということです。以前から、軍人としてだけではなく一個の人物としても私が興味を持っている人です。

実松譲『米内光政』光人社1979

ここのところ不眠がち(体を動かさないせいでしょう・・・)で夜通し読書。
読後感は後日。


米内光政について再び書きました。(2006.3.12)
「米内光政その2」

(2010/04/01追記)
現在入手可能な版は下記。未見。

海軍大将米内光政正伝―肝脳を国の未来に捧げ尽くした一軍人政治家の生涯 海軍大将米内光政正伝―肝脳を国の未来に捧げ尽くした一軍人政治家の生涯
amazon価格:2415円

白州次郎著『プリンシプルのない日本』

  • 2006年3月4日

白洲次郎著『プリンシプルのない日本』の読後感を。この方の主張はいつものことながら非常に小気味よいです。その理由は、この方の主張に対する賛否はさまざまであるとしても、とにかく「何故そう思うのか、主張の根拠は何か」がはっきり示されているからだと感じます。まさにprincipleを明確にした上で自らの主張をし、かつそれに対する異論・反論を”聞く”姿勢が示されているからだと思います。

最近の(反対)例で言えば民主党永田議員の腰砕け質問ですかね。疑惑に関する手がかり(メール)に関する裏付け調査の不備・不足。

なにがしかの手がかり(根拠)をもとに、それに基づいて自らの主張を相手にぶつけることは民主政の基礎だと思いますが、いかんせんその主張が腰の据わったものでなければ子供のケンカと同視されても当然だろうと思います。政権政党に対する闘志満々、その意気ヨシ、としても、その主張の根拠がアヤフヤでは”若い””稚拙”と批判されてもやむをえないとしか言えないです。はっきりいえば、(偽?)メールは永田議員にとっては、自らの主張の”根拠””(主張を)裏付けるモノ”ではなく、晴れの舞台で格好良く相手に切り込む為の”ネタ””素材””きっかけ”に過ぎなかったのではないか、と邪推します。principleがないと肉体も精神も脆い、脆くなるというのが私の持論です。(注:「私にはprincipleがある」という意味ではありません。)

ちょっと白州次郎から話がそれましたが、言わんとするところは永田議員にはprincipleが欠けていたのではないかということです。(今回の失敗をバネにして立派な、腹の括れた議員になられれば結構なことだと思いますが。)

閑話休題
いま、憲法改正がなにかと話題に上ることがありますが、新聞等を読む限りでは、改憲論者・護憲論者双方の主張とも”稚拙な議論”のレベルにとどまっているような気がしてりません。(一例を挙げれば、「押しつけられた憲法」だったら「改正すべき」なの? これって単なる感情論では・・・。)

上記の著作に限らず、白洲の著作には日本国憲法の成立過程の内情に関する叙述が随所に見られます(白洲は日本国憲法を散々こき下ろしている。但し、その主張の根拠が説得的な形で示されているところが現在の改憲論議と大いに異なると思います)。憲法改正問題に関心の向きは是非とも上記の著作を一読をお勧めします。

プリンシプルのない日本―プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか。 プリンシプルのない日本―プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか。
amazon価格:1680円

補足
我が身を振り返ってみて、principleを墨守することは、どこかで痩せ我慢に通じるところもあるような気がします・・・。端から見れば「そんな依怙地にならなくても・・・」ということが無いとは言えないようです。もちろん当人(私)も分かってはいるつもり・・・。それでも守りたくなるのがprinciple、ということ・・・で・・・しょう。理屈であって理屈でない、ってことですかね。

だからやっぱり白州次郎は面白い!!

Home >> カテゴリ >> 歴史

フィード(更新通知)
窓口(Mail)

このページの先頭へ戻る