「歴史」カテゴリの記事一覧

オープン・ソサエティとか全体主義とかの覚え書き

  • 2010年02月21日 (日)

ジョージ・ソロスが”The Age of Fallibility”の中で使っていた”feed-good society”という言葉について昨晩ひとしきり考えていたが、ここに書くまでには至らず、今日もちょっと書けそうにない。私が理解したところを端的に言ってしまえば、ソロスはこの言葉に、「自分さえよければ」といったような多少なりとも”主体的・能動的”な意味あいよりも、むしろ口当たりの良いものばかりを選好する(消費者至上主義:consumerismに慣れきった)有権者の非主体的な在り方への批判の色を載せ、さらには、そうした受動的な有権者(群集と言い換えてもいいだろう)を十重二十重に取り巻くマスメディア、そしてそのような有権者によって選ばれた政権(ブッシュJr.政権)の政策に批判的な目を向けている(この本は2006年、ブッシュJr.再選後に執筆されている)。

ただしそれはこの本の副次的なテーマの一つに過ぎず、そもそもこの本の(そしてひょっとするとソロスの言論活動の)最も大きなテーマとしてソロスは「オープン・ソサエティ」という概念を何度も何度も手を変え品を変えながら書き綴っている。それも単なる市場開放だとか移民の受け入れだとかいう(相対的に)些末な話としてではなく、それらの淵源となるはずの「人間の思考態度そのもの」を起点として論(というよりはエッセイ)を展開してゆく。外界に対して「開かれた思考」と「閉じた思考」。「開かれた社会」と「閉じた社会」。

むろんそれ自体はなんら新しい概念ではない。でもそれは人が不断に配慮せねば保たれ得ぬものであることは確かであるように私は思う。ところで、なぜ彼ソロスはそれほどまでに「開かれた社会」「開かれた精神」に拘るのか、それは文章を一見して明らかなように彼がナチスとソ連の「全体主義」を身を以て体験したところにあると私は考える。

ここで私の話は一気に飛躍する(だから覚え書きなのです)。

ファシズム・全体主義の時代を生き抜いてきた人たちは(ソロスに限らず)、ごく近いうちに私たちの身近なところから消えてゆく。既に歴史的には(ある程度)相対化されたと言って良かろう二十世紀型のファシズムあるいは全体主義を、当時の生活の中で否応なく主体的に(それぞれの仕方で)経験させられた人たちが時の流れと共に姿を消したのち、現代人たちは新たな「ファシズムな何か・全体主義な何か」をそれとして確かに認識することができるのだろうか、あるいは(もし既にその萌芽でもが存在しているとすると)現にそれを認識できているのだろうか。

と、そのようなことを考えながら結局読み物としてはまだまとまらなかったので、とりあえずつまらないのを承知の上でここに書いてみた。いずれ改めて書く(書きたい)。
ではまた。

原著:George Soros,The Age of Fallibility: Consequences of the War on Terror
邦訳:ジョージ・ソロス『世界秩序の崩壊 「自分さえよければ社会」への警鐘

(2010/02/21一部改稿:主にテニヲハを修正)

斉藤隆夫「粛軍演説」全文(旧仮名旧字体)

  • 2009年12月23日 (水)

先日のエントリ「『キム王朝』と『財政改革』と『選挙の神様』 」で触れた斉藤隆夫の所謂「粛軍演説」について国会会議録サイトの速記録を読むついでにテキスト化した。なお現代仮名遣いのテキストは既にウェブ上にも複数存在するため、改めて同様のものをここに書き出すことに意義は無いと考えている(註1)。そのためここでは敢えて旧仮名遣いをそのまま記すこととし、その上で齋藤の質問演説に対する寺内寿一陸軍大臣の答弁を末尾に付記した。
なお、余談として日本語入力ソフトウェアについ書いておくと、最近のATOKには文語モードがあるので旧仮名遣いでも入力になんの苦労もない(私が使っているのはATOK X3 for Linux)。ただ、それでも漢字の旧字体(例:「旧字体」=「舊字體」)を(スムーズに)変換入力することができないので、ウェブ上に存在するATOK用の辞書(註2)を利用させてもらって効率化している。有り難うございます。

註1:テキスト化することによって、現代仮名旧仮名のいずれの場合にも存在する難読(難変換)漢字等についてウェブ辞書参照の利便を図ることには一片の意義はあるかもしれないと考えている。
註2:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/Data/index.html

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「キム王朝」と「財政改革」と「選挙の神様」

  • 2009年12月15日 (火)

この週末、録画していたドキュメンタリーを何本か見、一冊の本を読んだ。一度見た(読んだ)ものもあったし今回ようやく見たものもある。ひとつは北朝鮮の独裁体制成立にまつわるNHKのドキュメンタリー、ひとつは戰前の国会で”粛軍演説”を行った斉藤隆夫のドキュメンタリー、そして行財政改革に取り組み暗殺された浜口雄幸と井上準之助を取り上げた城山三郎『男子の本懐』。

北朝鮮の独裁体制成立の過程をたどったNHKスペシャルのシリーズ「ドキュメント北朝鮮」は2006年に放映されたドキュメンタリーということなので、丁度北朝鮮による日本人拉致がにわかにクローズアップされた時期に制作・放映されたわけだ。なかなか面白かった。一番印象的だったのは、金日成が(特に権力を確立するよりも前の時期に)彼の後盾であった各国の有力者に接するときのと立ち居振る舞いと金日成に対する金正日の振る舞いとがとても良く似ていたことだった。自信の無さ気な、相手に媚びるような視線・表情・態度がほんとうに瓜二つと言ってよいほどよく似ている。そして彼等二人がそれぞれ権力を確立した後の傲然とした態度がこれまた思わず笑ってしまうくらいに良く似ている。権力を握るまでの過程で見せる弱気とその後の豹変ぶりは、彼らが権力にのみ自己のアイデンティティを見いだしていることを容易に想像させる。その点で言うと、つい先頃までアメリカ合州国大統領として世界で最も強大な権限を握っていたともいえるブッシュ(息子)の、いかに一生懸命いかめしく見せようとしてもその能天気さが隠しようもなく滲み出ていた顔つきがとても可愛らしくすら思えた。

斉藤隆夫のほうもNHKだが、こちらは「そのとき歴史が動いた」というドキュメンタリーとしては出来の良くない番組(そもそもドキュメンタリーではないのかもしれぬ)なので、見た後に演説の詳細をネットで幾らか調べた。帝国議会の議事録がネットで閲覽できるようになっているものの画像ファイルのためテキストが簡単には抽出できないなのでここに引用しづらい。そこでネットで探索してみた所たいへん有り難いことに斉藤隆夫関係の情報をまとておられるサイトがあった。ちなみにwikipediaとは比較にならない程充実したサイトなのにgoogleではちょっとばかり見つけにくかった。
http://blechmusik.xrea.jp/d/saito/
以下、同サイトより昭和11年5月衆議院における斉藤隆夫の「粛軍演説」前半部分を引用してみる。

敢然して国政改革の断行を誓わるるに当りましては、天下何人と雖も之を歓迎しない者はないのであります。併ながら翻って考えて見ますると云うと、国政の改革、国策の樹立、之を唱えることは極めて易いのでありまするが、之を行うことは中々困難であります。固より是等の題目は今日初めて現われたのではない、又現内閣の新発明でも何でもない、従来政府之を唱え、政党之を唱え又有ゆる政治家が之を唱えて国民に向っては何かの期待を抱かせて居たのでありまするけれども、之を具体化して以て其の実行に着手したる者は殆ど見出すことが出来ないのである。
(中略)
吾々は随分長い間行政刷新、即ち行政機構の改革と云うことを聞かされて居る、例えば省の廃合であるとか、或は無任所大臣を新設する、其他中央地方の行政組織を根本的に改革して、之に依って行政を簡易化する、行政を刷新する、行政費を節約する、繁文褥礼の積弊を芟除する、斯う云う議論は随分長い間聞かされて居る、政府も之を唱えるし、政党も亦之を唱えるけれども、今日までそれが実行せられた例はないのであります。
(中略)
或は又近頃各地に於て人権蹂躙の問題が起って居りますが、其事実を聞きますと、実に驚くべきものがある、所謂粛正選挙、選挙取締を励行することは極めて宜い事でありますが故らに……
(「内務大臣どうした」「大臣の出席を求めます」と呼ぶ者あり)
犯罪を製造するが為に法規を濫用して、濫りに人民の自由を拘束する、人民の自由を拘束するばかりではない、強いて虚偽の自白を求むるが為に之を虐待し、之を拷問し、或は人身に傷を負わせ甚しきに至っては拷問の結果、良民を死に至らしめたものがある
(拍手)
何たる野蛮の行為でありましょう

http://blechmusik.xrea.jp/d/saito/s13/
斉藤隆夫の演説記録を読みながら頭に浮かんだ言葉は「十年一日」。齋藤の演説のほんの数年前「構造改革」に取り組んで暗殺された二人の政治家を扱う『男子の本懐』の読後感もまったく同様である。行政改革・財政健全化・国家の成長戦略といった争点は80年前のあの頃も今もまるで変化がない。「選挙の神様」までがよく似ている、安達謙蔵という人物の来歴を眺めていてふとそう思った。

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(2009/12/23追記)
国会速記録から齋藤の粛軍演説全文をテキスト化してみた。
「斉藤隆夫「粛軍演説」全文(旧仮名旧字体)」

ゴードン『日本の200年』

  • 2007年04月26日 (木)
  • キーワードタグ: 歴史

読了。
ふと図書館でみかけて手にとってみた。簡にして要を得た日本近現代通史。

いささかの喰い足りなさはなきにしもあらずだけれど、「あった」「なかった」「広義では」などという不毛かつ浅薄な”歴史認識”ばかりを耳にすることの多い昨今においては一服の清涼剤とも思えた。
ついでながら、学校で習い覚えた歴史だけでは「それがどうしたのだ?」「だから何なのだ?」と思ってしまうようなちょっと気の利いた(生意気な)中高生あたりにもお奨めできる一冊かもしれない(学習者向けの特設ウェブサイトが設けてあるそうなのだが、上巻がもう手許にないのでURL不明。まだあるのかも分からぬ)。外国人の目から眺めた日本史像は否が応でも日本人の痛いところを突いてくる。

あっちへ盲信、こっちへ突撃。そんなことばかりを繰り返してきた日本人がいま身につけるべきは、ときに立ち止まり顧み熟考する習慣なのだ。猿真似帝国主義、猿真似民主主義。そんなものにはもううんざり。目覚めよ、日本人!(笑) 気鋭の歴史学者はまさか阿呆な一読者が自著からそのような刺激を与えられることになるとは思いもしてないだろうが。淡々とした叙述。それが今は心地よい。

原著の刊行は2002年。日本語訳の先立って韓国でも出版された由。”インペリアル・デモクラシー”という概念に興味を覚える。少し調べてみることにする。

あいまあいまに多田富雄と鶴見和子の往復書簡集『邂逅』を読む。フムフムそうだそうだと読みつつも、彼らの言葉というのか言葉遣いにと言うべきか、そのどこかに自分との微妙な違和感というのか趣味の違いらしきものを感知するも今のところなんだかよくわからず。まあのんびり構えておくとする。

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原題 : A MODERN HISTORY OF JAPAN :From Tokugawa Times to the Present  (Oxford University Press,New York,2003)

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田村哲と教育論

  • 2007年02月12日 (月)

先日のエントリで、古森義久の『嵐に書く』に描かれた河上清について私の思うところを書いたところ、以前何度かコメントを頂戴したことのある Dr.Waterman(勝手ながらドクトルと呼ばせていただいているが)より一つのご教示を頂きました。

私が以前書いたエントリでは触れなかったのですが、『嵐に書く』の中には河上清の友人田村哲についての記述があります。同書によれば田村哲は河上とは青山学院の同窓で、河上より早い時期に渡米、アイオワ大学で地球物理学を学んで将来を嘱望されその後アメリカで気象庁に勤めたのち日本に帰国、海軍大学などで教鞭をとった人物で、河上の渡米実現はこの田村哲との縁や後藤新平からの援助に与っていたとされています。

河上と後藤新平の縁を知った私はそのとき、後藤との縁が深かったもう一人の名前を思いうかべたことでした。そのもう一人の人物とは、みなさんご存じあの「気まぐれロボット」の作者星新一のそのまた父親である星一(ホシ ハジメ)。アメリカで苦学して帰国、星製薬を創業して戦前までは「クスリのホシ」として名高い一大企業を築いた人物(彼については星新一『明治・父・アメリカ』『人民は弱し 官吏は強し』に詳しい)

だいぶ以前に私も読んだことのある『明治・父・アメリカ』のなかに、星一(以下、星)がアメリカで “Japan and America” という雑誌を発行したと記されていたことを微かに記憶にとどめていたのですが、今回、その”Japan and America” に田村哲の教育論が掲載されたことがある旨 Waterman博士からご教示いただいきました。星~後藤~河上~田村らの人的ネットワークというのか人の縁というのか、なんだかそんなものを感じることしきりでした。

官吏であった後藤、田村。他方、在野にあって独立独歩の星、河上。それぞれ立場は異なれど、彼らはみなある種の共通点をもっているように私には思われます。それは「じぶんのつるべで思想の水をくむ」人であったこと。この「じぶんのつるべで・・・」というのは後藤の孫鶴見俊輔の言葉です(もっともこの「つるべ」の喩えはもともと哲学者アランからきているとのことですが)。星、後藤、河上、田村、鶴見。私には、彼らにそうした共通項があるように思われてなりません。そして今、現代に生きるわれわれ日本人に欠けているものを見つけたような気がしています。

1903年、すなわち日露戦争開戦直前にJapan and Americaに掲載された田村の論文 ”A Plea for Academic Freedom in Japan”に次のような一文があるそうです。

今こそ学問の自由を重んぜよ。そうすれば、それが、我らが未来の偉大な国民を涵養することになる。この真理の重大なることを十全に理解するためには、我ら学界に在るものが、今日、官吏による干渉と財界による横柄とに辛苦していることを認識するにしくはなかろう。

今からおよそ百年前に書かれた田村の論文は、日本とアメリカの高等教育について論じられているそうですが(私自身は未見)、すでにそれから一世紀を経た今日、日本の教育は”進歩”したのだろうか。

「歴史と伝統を重んじる態度を養う」のは結構なことだと私でも思う。しかし、重んじられるべき歴史と伝統とやらの具体像はいったいどこにあるのだろうか。もし、さきの田村の言が当時の日本の教育事情、学会事情を踏まえたものであるとするならば、まさに今の日本は「歴史と伝統に忠実」であろうとしているようだ。

産業界の強い要請を大義名分とした実学志向の高等教育。必要な研究費は自前でなんとかしろといわんばかりの独立採算制。その根底にあるのは経済的合理性こそがすべてにさきだつという「思想」だろうと私は思っている(学術文芸を支えるだけの財源がないという側面もあろうが)。そしてそれらを、官吏による干渉・財界の横柄ととらえてもそれほど不当ではなかろう。

文科省や財界の言うところにも一片の理はあろう。たしかに先立つものがなくては研究も教育も不可能だろう。自分で辞書すらひいたことのない受け身一辺倒の学生が大量生産されては産業界も困るだろう。私自身もそれを認めるにやぶさかではない。

しかし文部官僚や産業界の居丈高な物言いを見聞する限り、どうも彼らは学術研究や教育の価値をきわめて過小に評価した上でその非効率性を罵倒しているように思える。対価の得られない研究などやめちまえ、教育制度という”生産ライン”を構築しさえすればそれに応じた人間が完成する(出来た製品がつまらないなら生産ラインを再構築・変更すればよい)のだ、と。

むろん非効率なありかたは改善されるべきだろう。正論である。しかし、はたして”短期的な効率性”の追求がそのじつ”長期的な非効率性”をもたらさないと言い切れるだろうか。単位投資額あたりの収益、単位時間当たりの成績を重視するのはけっこうだけれど、その「単位」(の選択)はあくまでも任意のものにすぎないことを忘れていやしないか。短く設定するのも可、長く設定するのも可。物差しの長さ(短さ)にはとりたてて意味はない。ミクロンメーターを使って自分の身長を測定しようとする愚か者にはなるべきでなかろう。あの、数々の画期的な発明をなしたエジソンはどれほどの時間と費用をドブに捨てただろうか。人生のある時期、ある期間にに人並みの成果すらあげ得なかった(=小学校での成績不振)エジソンはまさに”無駄な人間”だったのではないだろうか。

日本とアメリカの高等教育の違いを身をもって経験したであろう田村哲。日米どちらの高等教育が優れているのか、それは私などには分かるはずもない。しかしすべての教育を日本で授かった私にも一つだけわかることがある。それは日本の教育は「じぶんのつるべで水を汲む」「エサの取り方を学ぶ」かたちのものではないということだ。言うまでもないことだが、誰れに教えられずとも自然な形で「じぶんのつるべ」を実践している人もいるだろうとは私も思う。あちこちのブログをのぞくだけでもそれは実感できる(すべてのブログがそうだとは言わないけれど)。思った以上にたくさんの人びとが、自分自身の井戸から自分のつるべでくみ出した思想の水を、惜しげもなくわれわれに差し出しておられる。面識があるわけでもなく、対価を支払ったわけでもないにもかかわらず、だ。

しかしながらまた一方で、どう贔屓目にみての空疎にしか見えないことばが世に溢れているのもまた事実であろう。「歴史と伝統の重視」という言葉はそれだけではいかにも空疎だ。スローガンはスローガンでしかない。それで腹は満たされない。

かつて「ゆとり教育」なるスローガンがあった。そして今、ゆとり教育は教育の荒廃をもたらした主犯として貶められている。もっとも、私には「ゆとり教育」と「規律重視の教育」のどちらが正しいのかわかりはしない。わかるのはどちらも正しくどちらも間違いだろうということだけだ。

ゆとり教育をやれと言われればそっちへ靡き、いやそれは誤りだといわれれば反対方向へ靡く。いつまでそんな「効率の悪い」ことを続けるつもりなのか。もうそろそろその「あれかこれか」「正解はどっち?」「正解がたった一つだけ存在する」というところから卒業してもいいのではないだろうか。だれにも批判されないですむような「正解」を探し続ける子供じみた大人がいったいなにを子供に教えようとするのか、なにを子供に教えうるのか私には解らない。

「じぶんのつるべで水を汲む人間を育てる」という大目標(そのような人間を果たして「育て」られるものかどうかという疑問もあるが・・・)を見据えた上で、敢えて周囲から批判を浴びることを覚悟しつつ「じぶんのつるべで教育方法を探し出」そうとする、そういう大人が今の日本にいないわけではないだろうとわたしは思っている。ただ、そういう人が活躍できるフィールドが今の日本には少ないのだろう。

昨今の”凛とした”政治家の方々に私は「自分のつるべ」で水を汲む姿勢を見ないでもない(錯覚かもしれないが)。ただ、政治家であれ誰であれ、「あなたの汲みだした『水』を飲むか否かは相手次第だよ」ということを忘れないでいて欲しいと思う。且つ、私自身、自らにその水を飲むか否かの選択権があるのだということを忘れないでいたいと思う。

上記田村の論文には次のように記されている。

統制された教育からは、独創的な研究も真の愛国心を持った国民も育たない

なんだか当初書こうとした内容から逸れたのが不本意だけれどひとまずこれにて。末筆ながら、田村の論文についてご教示下さったDr.Watermanのご厚意に感謝申し上げます。

鶴見俊輔ほか『日米交換船』

  • 2007年01月24日 (水)

読んでからいくらか日が経ってしまいましたが少しだけ感想をメモ。

久しく鶴見俊輔は私の視界には入ってくることがなかった。ところが一昨年、新聞で鶴見のインタヴュー記事を見かけて以来、ちょっと気になる人として私のメモリーに書き込まれたのだった。その記事についてあれこれと書き始めればきっと長くなること必定なので他日に譲るが、私は「戦争と私」と題されたその記事の中の「自分のつるべで思想の水を汲む」「思想は学問ではない。自分の偏見を支えとして世界に対して立つ態度に根ざすもの・・・」[※]という一節に引き寄せられたのだった。そしてその記事の中には「日米交換船」という文字もあった。
 ※「戦争と私 (上)」西日本新聞 2005年6月8日付朝刊

上記ようないきさつから今回、この鶴見、加藤典洋、黒川創の手になる『日米交換船』を読んだ。この本の体裁は次の通り。

・加藤による附言 「国と国のあいだで」
・三著者による鼎談 「日米交換船の人びと」
・黒川によるリポート 「交換船の記録」
・鶴見による人物回想  「この人の横顔」
・鶴見と同船者との対談  「三つの会見記」
・あとがきに替えた鶴見の附言 「封印された記憶」

巻末には日米交換船関係年表、その他の参考資料、人名索引が付されている。

この本には、鶴見の祖父に当たる後藤新平を始めとして有名・無名問わず多数の人名が登場するが、ここにその全てを挙げることはやめておく。

(以下覚え書き)

一人の人間が生きることは、一つの国の運命として語られることよりも、広くて深い。そんなことはわかっているといわれるかもしれないが、しかし、こういうことは、何度も、薄い紙に叩かれるように、忘れては思いだし、忘れてはまた紙片に叱られるほか、自分の中に、維持できない。
 ~加藤典洋「国と国のあいだで」より

(鶴見) 私は偶然、ホワイトヘッドの最終講演を聴いていた。ホワイトヘッドは、ずっと話をしていて、終わりになにか一言ぱっと言って、壇を下りちゃったんですよ。もうよたよただった。
 いったい最後になにを言ったんだろうと、ずっと気になっていて、戦後三〇年以上経ってからホワイトヘッドの講演記録を取り寄せたんだ。
 最後の一言は、"Exactness is a fake."
{中略}
(鶴見) バートランド・ラッセルも、おもしろいことを言った。ハーヴァード大学の公開講座で一二回講演したもので、それはAn Inquiry into Meaning and Truth(『意味と真偽性』)という一冊の本になっている。
 そのなかで、「ああ、自分のしゃべていることは全部間違っているんだ」と思うことがあると言ったんです。本になったときは入れていませんけどね。しかし、それは矛盾を含んでいるから、論理的には成り立たないんです。矛盾を含んでいるものが正しいとすると、世界で成立するあらゆる矛盾を含む命題が、全部正しくなってしまう。だが、自分が疲れて家に帰ってきたとき、感情の形で、自分のなかを一瞬そういう判断が横切ることはさけられない。こういうとき、ラッセルは矛盾を含んだ人間として、人間の哲学を説いている。
 ~「鼎談 日米交換船の人びと」より

ここではとくに言及しませんでしたが、黒川氏によるリポート「交換船の記録」は典拠等もきっちり示され、私の印象としては非常に緻密な(交換実施の)復元像だと思います。そのなかには京都大学などで教鞭を執っていたフォスコ・マライーニ(イタリアの降伏後に敵性外国人として日本政府により抑留された)の次のような言葉が引用されています。

「・・・やはり飢えを知らない者に、飢えがどんなものかはわからない。辞書に載っている言葉にすぎず、自分の内にある苦しみではないのだ」(フォスコ・マライーニ Meeting with Japan)

日米交換船 日米交換船
鶴見 俊輔
価格:2520円

レーヴィット『ナチズムと私の生活』

  • 2006年12月26日 (火)

読了。

哲学者カール・レーヴィットの”自分史”。
ユダヤ系ドイツ人であるが故に亡命を余儀なくされ、イタリアから日本(仙台)へ、そしてアメリカへと何度も亡命を余儀なくされた1930年代が記述の大半を占める。一学者を取り巻く政治的状況の変化がヴィヴィッドに描写されている。

元来がハーヴァード大学図書館が募集した懸賞論文向けの手記の由で、難解な哲学用語などはほとんど皆無(なので私でも読めた)。アメリカへ渡る直前に仙台で書かれたのは確からしく、当時日本に滞在していたドイツ人についてのイニシャルトークが含まれる。

ここでレーヴィットはナチス台頭の要因として次のことを挙げる(※1)。
・第一次世界大戦後のドイツ中産階級の崩壊
・一般市民の「政治からの退却」(=個人生活への引きこもり)

こうした見解には特段の独自性はないが、レーヴィット自身や著名な画家であった彼の父親らに関わる具体例から当時のドイツの生活状況を窺い知ることができる。

彼自身はヒトラーが政権に就くまさにその頃のことを、

わたしどもは(・・・)たとえただ一時間だけでも政治に犠牲としてささげようなどとは思わなかった。四人でスキー遠足をやり、バスで投票に向かう少数の市民を嘲った

と回想する。

そして大学当局から抗議を禁じられることになった彼は自らの最終講義を次のような言葉で終える。

まともに講義ができるためにはかならずしも「アーリア人」でなくてもよいこと、肝腎なのはその人がなに〔=人種の一員〕であるかではなくてだれ〔=独自の資質・性格をもった個人〕であるかであること、これを自分の講義を聴いて学びとってくれたと思いたい
  〔 〕は訳者注

かつての師ハイデガーに対する厳しい評価(「色黒の小男」等)もあり。
フッサール(文中では「フッセル」)は素朴な老学究として言及されています。
彼らやM・ウェーバーの写真も複数掲載されている(この手の書物としては比較的に掲載写真が豊富なのが目に留まる)。
特にハイデガーのポートレートを時系列に三葉並べているところにはある種の意図(おそらく著者の意図ではないだろうが ※2)が感じられる。1933年のハイデガーの口髭はまるでヒトラーのそれのようだ。


(※1) ヒトラーに関しては明確な言及は見当たらないけれど、それは決してレーヴィットがヒトラーの役割(悪事)を過小評価しているわけではない(と私は読んだ)。私には、ナチスに加担したかつての師ハイデガー(その学問的業績にではなく人となり)に対してすら極めて辛辣な(冷徹な)評価を下している点からしても、レーヴィットのヒトラー観は敢えて語るまでもないむしろ言葉に出来ないほどの(憎悪を伴う)ものだろうという気がする。

(※2)妻アーダによる「あとがき」によれば、生前の著者本人は出版を意図しておらず、彼の死後に周囲の勧めによってアーダが出版を決意したものだから。

ナチズムと私の生活―仙台からの告発 (叢書・ウニベルシタス)
カール レーヴィット
入手不可

(史料)文部省による天皇機関説排除

  • 2006年12月17日 (日)
  • キーワードタグ: 歴史

戦前の文部省思想局が天皇機関説学者に転向を強要(西日本新聞)
  秘密文書「各大学における憲法学説調査に関する文書」要旨(同)

 一、速急の処置が必要な者。著書や講義内容の絶版、改訂を要求、受諾しない場合は著書の禁止を考慮。憲法講義を担任させない=中島重(関西学院大)、田畑忍(同志社大)、森口繁治、野村淳治(早大、明大)、宮沢俊義(東大)、浅井清(慶大)、中野登美雄(早大)、副島義一

 一、厳重な注意を与えることが必要な者。絶版、改訂を要求、受諾しない場合は憲法講義をやめさせる、または休講させる=佐々木惣一(立命館大)、野村信孝(明大、専大)、竹内雄(明大)、藤井新一(早大、日大)、渡辺宗太郎(京大)、河村又介(九大)、吉田一枝(関西大)、中村進午(立大、日大、拓大、上智大)

 一、(1)機関という語を使用させない(2)不穏当な個所を改めさせ将来を誓約させる−の点について注意を与えることが必要な者=西川一男(国学院大)、志田☆太郎(立正大)、田上穣治(東京商大専門部)

(注)☆は金ヘンに甲

関連記事:「1935年『天皇機関説変えよ』学者への弾圧克明に」(中日新聞)
  ※共同通信配信なので内容は上記西日本新聞とほぼ同一。
   ただしこちらは解説と立花隆氏のコメントつき。

16日、分かった
米議会図書館に保管

と記事にあるが、主語はない。
今回調査したのはどこかの学者さんなのだろうか。それとも共同通信?そのへんにも興味あります。

ハインペル『人間とその現在』

  • 2006年12月16日 (土)

アメリカの覇権政策、日本の保守(?)化・・・。そうした世界の片隅で読む半世紀前に書かれたドイツ史家ヘルマン・ハインペルの著作、『人間とその現在』。一歴史家である著者自身ががその根底にもっている自身の歴史意識・時間意識を掘り下げてゆくところからこの本は始まっている。このあたりはお弟子筋の訳者阿部謹也と共通している。
翻って現代の日本、中身の見えない”歴史と伝統の尊重”が声高に叫ばれている。この本を読みつつ、私は、もしハインペルや阿部謹也が存命であったら果たして何と言うであろうか、などと考えること頻りであった。「あった」「いや、なかった」・・・、そんな次元の(「ある」「ない」「あれか」「これか」という単層的な)”歴史認識”論争なぞは、歴史論争というよりはむしろ只のイデオロギー論争ではなかろうか、と思わずにはいられない。そして、「戦後体制からの脱却」とやらいう政治的スローガンもまた皮相的であるとの批判を免れない。

ハインペルは次のように言う。

ひとつの時代の切れ目を見出す者は、同時にその時代の本質を規定しているのである

ヘルマン・ハインペル『人間とその現在』未來社

いったい、戦後レジームの解体を叫ぶ彼らは、「戦後レジーム・戦後体制」を解体すべきか否かという以前に、
そもそも彼ら自身が「戦後体制」というものをどのように捉えているのかをまともに説明したことがあるだろうか?少なくとも彼らがそうしたことを為したということを私は寡聞にして知らない。
そういえば、「昔は今よりもっと ○ ○ ○」、彼らのそういう言い回しなら飽きるほど聞いた(聞いている)のだけれど、もしその程度のことを”歴史”だと言うのなら、人類はおそらく過去数千年にわたって何の進歩も出来なかったということなのだろうと言うほか無い。(科学が発達した、とでも?仮にそうとしても、いったい何を以て”発達”と言えるのかは大いに疑問の沸くところであるし、或いは道具が複雑になるのが発達だというのなら確かに「科学は発達した」、と、その通りかもしれないが)。

そうした疑問にとらわれている私は、ハインペルが発した50年前の言葉がそのまま現在にも通じていることに強い感銘を覚えた。

ルターは世界をつき離し、カルヴァンは世界を支配する・・・ルターとルター主義は・・・服従のパトスを醸成し・・・カルヴァンとカルヴィニズムは・・・自由のパトスを生み出している・・・ルターから道は・・・レアルポリティークの理念に向かった。イギリス・アメリカ[カルヴァン主義者たち※]においては近代の十字軍兵士、キリスト教の兵士が敵に立向かい、敵は戦争によって罰せられ、戦後に教育されなければならないことになっている。
※[  ]内は引用者注

同上

この本の訳者あとがきにて阿部は言う。

本書がはじめて紹介されてから二十年近くたってようやくハインペルのヨーロッパが私たちに近くなったのではないかと思う。

なお、本書の副題は「ヨーロッパの歴史意識」となっている。さて、対する日本の歴史意識とはいったいどのようなものなのだろうか。それに関して次に私見を述べてみるとする。
そうなのだ。
やはり、日本は柔軟な「木造家屋」なのだ。
数十年でなにもかもが「寿命」を迎える。
そして、そこでは憲法もただの耐久消費財である。

二度の敗戦を経て、敢えて自らに自国の歴史を再構築する責務を課したハインペル。彼の試みは結局挫折したのではないか、と阿部は言う。しかし驚くほど真摯に歴史に対峙するハインペルのような愚直さは、今の日本ではもっとも希少なものだという思いを新たにして私は本を閉じた。
改正教育基本法成立の日の夜更けに野人記す。

人間とその現在―ヨーロッパの歴史意識
ヘルマン ハインペル
入手不可

以下に目次を記しておく。

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ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』

  • 2006年11月17日 (金)

読了。

以前どこかで阿川弘之氏が絶賛していたかに記憶するダワー『敗北を抱きしめて』(原著の発行は1999年)。ようやく読みました。敗戦以後の昭和史を総括したアメリカ人歴史学者の大作。日本の戦後史の基調音がはっきりと聞こえてくる気がしました。以下、しばらく私なりの戦後史観を述べます(とくに憲法改正と在日米軍再編に関して)。


対米従属と憲法改正の整合性

敗戦から今日に至るまで日本の政治はどこまでも一貫した路線を歩んできている。それはアメリカへの従属、この一言に尽きる。いま、「普通の国」になるため(らしい)第9条改正が問題になってもなぜか在日米軍の完全撤退は問題にもされない(在日米軍問題はあくまでも再編成にとどまる)。しかもこの問題に関してはアメリカ対日本政府という構図よりもむしろアメリカ+日本政府対沖縄県(若しくはその他自治体)の対立が目立つばかり。
それはなぜか。日本政府にとっては(もちろんアメリカ政府にとっても)在日米軍の完全撤退・基地撤去など最初から思慮の外であるからだろう。

しかしむしろ現在の9条改正論は「普通の国」になるためではなく、むしろ米軍との一体化を完成させることこそがその眼目だと考える方がすっきり納得できる。警察予備隊誕生のその日からミニ米軍として組織された現在の自衛隊。アメリカ空軍をモデルとした航空自衛隊は言うに及ばず、かつてアジア最大の軍事力を誇った帝国陸海軍の伝統につらなるはずの海上・陸上自衛隊に至るまでその組織・運用はすべて米軍型。旧軍の名残と言えば「金曜カレー」が如き生活習慣くらいのものだ。問題の焦点は、9条による制約のために戦場では米軍の下働きしかできないこと(というよりそもそも”戦場”で活動できない)。9条改正によって文字通りの戦力と認知され武力行使が可能となった上に集団的自衛権も認められれば、自衛隊は方面軍として米軍と完全に一体となった行動が可能となる。

平和維持活動の充実?そんなのは畢竟副次的なものにすぎない。武器使用の制限などは国内法の問題にすぎない。その気があるなら憲法改正など不要。法律の改正で間に合う。なぜなら一歩日本から外に出れば自衛隊はどこの国から見ても既に立派な軍隊なのだから。マッチョな男が制服を着て武器を抱えていつでも戦闘開始できるナリでいながら、「ぼく武器つかいたくないんだよねぇ」などと言っているだけだ。結局、武力を行使する気があるないかにかかわらず自衛隊はまぎれもない軍事組織である。海外で自衛隊を”自衛隊(Self Defence Force)”と呼んでくれるのは事情を知っている彼の国の軍人さんだけであろう。一般人なら「要するに軍隊でしょ」でおしまい。すでに軍隊である以上、日本人以外の人が見れば自衛官と自称する軍人が小銃をぶっ放そうがどうしようが何ら怪しむところはない。軍人が鉄砲撃つのは当然だから。したがって自衛隊による平和的国際貢献活動を充実させる為に自衛隊の憲法上の位置づけを明確にする必要性は薄い。結局のところ9条改正は、すでに完成間近の米軍・自衛隊一体化の総仕上げを意味するものなのである。

自衛隊・米軍の一体化の総仕上げ

ではアメリカが自衛隊を一体化する動機はなにか、またなぜもっと早い段階で一体化を完成させなかったのかという二つの問いが出て来よう。まず一体化の動機に関して言えば、一つにはアメリカに対する日本の無力化と中国に対するプレゼンスの強化が目的であると考えることはさほど突飛なことではなかろう。「すでに無力だ」「日本がアメリカに刃向かうなどあり得ない」と言う向きもあろうが、日本の忠誠心に頼るだけでなく、万一に備えて首根っこを押さえておくことはアメリカにとっては無駄ではなかろう。兵器も電子装備も通信手段もなにもかも、自衛隊に関するものすべてのマスターキーを握るアメリカ。そうして東アジアの東辺に位置する日本は、文字通り伸長著しい中国に対するアメリカの橋頭堡になるのである。

二つめの問いに関しては、アメリカが朝鮮戦争勃発の頃から首尾一貫して日本の再軍備、軍事力強化を主張してきたことを思い起こせばよい。私の知る限りではアメリカが日本の軍事力強化に懸念を示したことは戦後一度もなかった。中曽根政権が日本の不沈空母化に言及した際にアメリカがどう反応したか、湾岸戦争の際に自衛隊派遣を渋る日本をどれほどコケにしたか。アメリカは日本の軍事力強化を望みこそすれ、決して警戒などしなかった。私の考えるところでは、戦争を経験した世代にみられる軍隊とそれに類するものに対する根強い嫌悪感と冷戦構造がアメリカに自制を強いていたのである。現に、典型的反共保守政治家であるはずの吉田茂は、再軍備を要求する目的でアメリカ国務省の高官が来日するにあたっては、反戦デモをやってみせるよう密かに社会党の有力者に依頼したとされる。戦争を知らない世代が国家の中枢に登り詰めた今、日本がアメリカに与えられたかねてからの宿題をようやく完成させる時機が到来したのである。

節操しらずとアメリカの軛

そもそもアメリカは日本を対等なパートナーだとは毛頭考えていない(と私は思う)。解任されたマッカーサーが帰国したのち議会で「日本は12歳の子ども」と(ダワーによれば好意的に)述べたことは旧聞に属するが、その前後の日本人のマッカーサーに対する言動は、戦後の日米関係の本質を浮き彫りにする。中国政策をめぐって対立したトルーマン大統領によって突如解任されたマッカーサーがその離日にあたって、日本の人々やマスコミ、政府、自治体、天皇がどれほど彼の離日を惜しんだことか。マッカーサーの帰国を惜しむ20万人とも言われる人々が沿道を埋め、朝日新聞をはじめとする主要マスコミがマッカーサーの業績を讃美し、東京都は名誉都民の称号授与を検討すると述べ、天皇ですら、すでに無冠の人となったマッカーサーを訪問することに難色を示した側近の忠告を無視してまで自らマッカーサーのもとに訪れて別れを告げたという。敗戦国日本の人々は国民総出で占領軍の総司令官との別れに涙した。ところが帰国したマッカーサーの「日本人は12歳」発言を知った日本人は「裏切られた」と感じたようである。マッカーサー熱は一気に冷め、東京都は名誉都民授与を白紙撤回したのだそうである。文字通りマッカーサーは老兵として第一線からだけでなく日本人の心からも消え去った。いま果たしてイラクの人々は、アメリカ中央軍のアビザイド司令官が離任するとなったときどのような反応を示すだろうか。日本人がマッカーサーに示したほどの好意をみせるだろうか。私には想像がつかない。イラクと日本を一緒にするな、という声が聞こえてきそうだが、日本進駐にあたったときのアメリカ軍の警戒心はイラク侵攻の時のそれと大差はなかったものと思われる。敗戦必至の情勢にもかかわらず繰り返された日本軍の特攻作戦はアメリカ軍が史上初めて経験した自爆攻撃であったという。(その効果はともかくとして)最期まで頑強な抵抗を見せた日本人が、進駐するアメリカ軍にあくまでも抵抗するという予測は決して荒唐無稽なこととは考えられなかったはずである。

イラクの場合は正規軍のあっけない敗北の後に頑強なゲリラ的抵抗と自爆テロ(kamikaze attack)がいまもつづいている。当時の日本はその逆であった。神風攻撃のあとにやってきたのはあっけない敗北であった。アメリカ軍は驚くほどの平穏さを進駐した日本の地に見出した。虚脱した日本人たちは(心理的抵抗はともかくとして)何らの抵抗も見せずにアメリカ軍を受け入れ、目端の利く連中は証拠隠滅と貯蔵物資の横領・隠匿に忙しかったという。そして抵抗を覚悟して警戒していたアメリカ軍を唖然とさせたのは、日本人のあきれるほどの節操のなさであったのだ。

マッカーサー最高司令官とその指揮下にあるGHQスタッフに送られた手紙、ハガキ、陳情書には・・・特定の個人を戦争犯罪人として逮捕・追放し、裁判にかけるべきだとして、名指しで告発するものがあった。
また戦争中に権力を笠にきて威圧的な言動をしていた役人を、地域の住人が告発する手紙もあった。高校生や大学生たちは、軍国主義に加担した教員を指摘した。旧帝国軍人のなかには、戦争中に連合軍の捕虜に虐待を行った日本人兵士の名前を告発する者もいた。いくつかの宗派などの組織が、戦争中に超国家主義の「旗ふり役」をしていたことも指摘された。
他人を告発する動きは広がりを見せ、過去の問題にとどまらず現在のできごとにも向けられていった。・・・「反アメリカ的」な感情をもったり、「反民主主義的」な考えを抱いていた人々も告発された。このような情け容赦のない告発文書が、マッカーサーやGHQのもとに送られてきたのである。こうした事実だけを見るかぎり、きのうまで愛国主義者だった日本人は、一夜にして占領軍への密告者、あるいは情報提供者に変貌してしまったようにもみえる。その他にも、日本はアメリカの属国になるか、あるいは永久にアメリカの植民地になるべきだと主張するような、驚くべき手紙も存在した。もしそうならなければ、日本の民主改革は、やがて元の木阿弥になってしまうだろうと、明言するものもあった。
・・・占領軍で手紙の翻訳にかかわった沖縄出身の日系アメリカ人は、このような告発の手紙を読んでいるうちに、自分は日本人を軽蔑するようになってしまったと袖井教授に語っている。日本人とは、風向きに応じて方向を変える風見鶏のようだ—多くの人々がそのように感じていた。
上292


※ちなみに、こうした”卑怯な日本人”の姿は阿川弘之氏の著作にも描かれています。

とまあ、読み進むうちに近年の様々な問題について「あぁそういうことか」と腑に落ちるところがあちこちにありました。それと戦後の日本がいかにアメリカの意向次第で右往左往してきたのかについても。まさにタタールの軛ならぬ”アメリカの軛”が見えてきます。この本ではその大半を敗戦の日から講和条約成立までの記述に費やし、エピローグで若干その後のことに触れています。感銘を受けたという点では今年私が読んだ本のうちの筆頭に挙げる著作です。

戦後からの脱却が呼号される今、賛否どちらの立場に立つにせよ、戦後史の見取り図を端的に示してくれるこのような著作は必読文献と言っていいと私は思います(私が感銘を受けた本は基本的にすべて”必読文献”になります。あくまでも「私にとっては」ですが。てかもう読んだんだけど・・・)。ほかにも興味深い記述が満載されていますが、ここでは到底書き尽くせません。

一例を挙げれば隠匿物資が問題となって調査委員会の副委員長を務めたものの、のちに自らが隠匿に関わっていたとして辞職した国会議員隠退蔵物資等処理委員会の副委員長(内務政務次官)として隠退蔵物資の調査を手掛けたのが今の世耕弘成内閣広報官(?でしたっけ)首相補佐官である祖父世耕弘一なのだそうで。もちろん岸信介に関する記述も出てきます。ずばり「悪辣な」「右翼」と書かれていますが。

(補足)
隠退蔵物資等処理委員会」は閣議決定にもとづき昭和22年2月経済安定本部(通産省の前身)内に設置。委員長石橋湛山、副委員長世耕弘一。
設置にあたっては既に非公式に隠退蔵物資の摘発に当たっていた世耕の意向が働いていたとされる。
世耕自身が隠退蔵に関与したとの疑惑が生じてて2ヶ月後に解職となり、隠退蔵問題に関しては同年7月から国会内に設置された「隠退蔵物資等に関する特別委員会」が調査にあたることになった。(以上帝国議会及び国会議事録より)

ちなみに、本土決戦に備えて備蓄されていた莫大な貴金属・軍需物資が隠匿・退蔵されたことが戦後の急激なインフレや産業復興の停滞など日本経済の動向に大きな影響を与えたというのがダワーの見解です。

自由と規律

話は変わって、ダワーのこの著作には現在の教育問題に関しても多くの示唆を与えてくれます。

典型的な小学校教科書であった『少年少女のための民主読本』は・・・自由は尊重されるべきであるが、同時にそれは自己本位とは区別されねばならず、責任をともなった上で行使されなければならないとも教えている。
民主主義の中心的概念である平等についても、それは「同じであること」と混同されてはならないのであって、機会の平等の意味なのだとされていた。
・・・概して、敗戦が教師に与えた衝撃は、容易に乗り越えられないほどのものであった。降伏の瞬間まで彼らは天皇制の正統性を教え込む教練軍人のようなものであった。それが一夜にして、それまでとは異なった考え方をしなければならなくなったばかりでなく、以前と同じような熱意を持って、新しい正統教義を教えるよう命じられたのである。

当然のことながらじつにさまざまな対応が現われた。ある者は皮肉まじりの自己嘲笑的な態度でもって、新しい教材や、教員と生徒の間の民主的なギブ・アンド・テイクの関係について生徒に話しかけた。当時中学生だったある人物は、その頃のことを思い出しながら次のように語っている。自分の中学校の先生が教室で「さて今日は何の勉強をしようか?」と尋ね、すぐ次のように言った、「今は民主主義の世の中だからまず君たちの意見を聞かなくてはならないんだよ」。 上317~318

60年も前から頭では分かっていたのですよ。日本人は。ただ行動がそれに伴わなかった。従って私は、いまさら教育基本法を改正すれば何かが改善されるというようなものではないと思うのです。だって頭ではとっくに分かっていることを実行できないところが問題なのですから。強いて言えば改正を唱える人々が(というより我々自身が)自由と規律を体現して見せることの方がよほど教育的ではないのでしょうか。

法と現実

法の改廃が必ずしも実質的な変化をもたらさないこともあり、場合によってはそれまで以上に(世の人びとにとっては)状況が悪化することすらあり得るということが以下の例からも読み取れはしないでしょうか。規制緩和・・・。ゆるくなったからって喜ぶべきかどうかは別問題、というところでしょうか。今に生きる私たちにも思い当たるところが幾つもありそうです。

(事前検閲から事後検閲への変更について)この公式な規制緩和を誤解してはならない。・・・検閲はより厳しく、恣意的で、予測不可能になっていった。とくに印刷媒体については、さらに隠微で陰険になった。出版社、編集者、作家の多くは、検閲が事前から事後になったことで自由になったと感じるどころか、それまで以上の恐怖を感じた。すでに発行されている新聞なり、雑誌、書籍が占領当局に不許可と判断され、回収を命じられた場合、その経済的打撃は痛烈だったからである。経済的不安感があるとき、検閲が曖昧で恣意的であることはSCAPの目的にとくに都合よく作用した。すでに市場に出した商品が検閲にひっかかる危険を敢えて冒せる出版事業者などほとんどいなかったからである。その結果、占領が進むにつれて、用心と自己検閲はますますあからさまになった。 下P217-218

追記)
世耕弘一に関してこの著作とは関係のない記述(他のデータソースからのもの)をこの著作の内容であるかのように書いておりました。お詫びして訂正します。
(ダワーの著作のなかで世耕弘一と隠退蔵物資に触れられている箇所は上巻P127ー128です)
それと孫の方の世耕さんは広報官ではなくで補佐官の誤りでした。

敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人 敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
ジョン ダワー
価格:2730円

敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人 敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人
ジョン ダワー
価格:2730円

〔原題〕john W.dower EMBRACING DEFEAT japan in the Wake of World War Ⅱp

(2007年4月7日一部改稿)

佐木隆三『司法卿江藤新平』

  • 2006年11月16日 (木)

読了。

佐賀の乱の首謀者として斬首された江藤新平。
以前写真で彼と、同時に処刑された島義勇(しま よしたけ)の梟首を見たことを思い出しました。

征韓論派と内治派とが対立した明治六年政変に際して下野し、佐賀に帰っていた江藤。佐賀の乱は、新政府への憤懣を湛えた旧藩士が彼らを担いで起した”反乱”とされています。

この本では、行政からの司法権独立を確保しようとする京都地裁と京都府庁との軋轢に江藤個人への反感も絡んだ、政府部内での権力闘争という側面が強調されています。

のちにプロイセン=モデルの強力な行政権確立を目指すことになる明治新政府内において、司法権の独立性確保を強く主張した江藤。京都府庁の要人らは中央政界との繋がりをも駆使して司法省・京都地裁と対立、そうしたなかで司法権擁護の立場に立つ江藤が標的となり、佐賀の乱ではほとんど即決裁判の形で性急に処刑されたとされています(著者は、江藤を処刑するという大久保の個人的な意向がそのまま判決に反映されており正当な裁判とは言い難いことを強く示唆しています)。

結局のところ、江藤が処刑される直接の原因となった佐賀の乱そのものに大した実体はなく、むしろ些細な騒動について地方から中央へもたらされた報告が誤報に近いものであったのだそうです。

そのようなわけで、この本によればどうもこの乱は、時代に取り残された武士たちの不満が要因ではないようです。私には初耳でした。
読んでから少し間が空いたので細かいところがすでに忘却の彼方なのですが、面白い本でした。

なかでも行政と司法との対立という構図に興味を覚えました。
強力な行政権の象徴的存在であった内務省とそれを牛耳った大久保利通、司法権の独立性を確立せんとした江藤新平。昨今の政治情勢を見るにつけ、私はそうした江藤を「佐賀の理窟倒れ」などとは片付けられない、片付けたくないとの思いを強くします。

(補足)内務省は明治六年政変(江藤らが下野した)直後に新設。初代内務卿はもちろん大久保。

いつになるかわかりませんが
佐賀の乱と損たような(下野した実力者が担がれて旧藩士が反政府蜂起したという)イメージのある西南戦争についても機会を見つけて調べてみたいと思います。

しかし
今の日本はどうなんでしょうか。
三権分立とは言いながら、行政の長である総理大臣に過度に権力が集中しつつあるように思えるのですが・・・。自公連立という変態性はさておき、造反議員排除に象徴されるような強力な統制力を備えた党総裁が行政のトップ。なんだか立法と行政の境界が見えません。
司法に至ってははるか以前からすでに行政からの独立性を失っているように見えますし。

ふと思ったのですが、総理公選などせずともすでに事実上の大統領制、いや独裁制(?)に近似するものが出来上りつつあるのでは?という気がしないでもありません。ま、も少し考えをまとめて(まとまればの話ですが)いつか改めて書いてみたいと思います。「三権分立は維持されている」ということも出来るようで出来ないような・・・)

そういえば日本の政治家が小泉氏以来さかんに「リーダーシップ」を連呼していますが、かのヒトラーもしきりに「リーダーシップ、リーダーシップ」と唱えていた(もちろんドイツ語で)が思い出されます。ドイツ語では「Fuehrerheit」。
(そういえば安倍晋三氏や麻生太郎氏らは大久保利通との血縁関係があったのでした。「大久保のDNA」は脈々と受け継がれているのかも・・・。)

これは暗合!? う~ん
またいずれ

Fuehrer(フューラー)="指導者"。転じて"総統"。
 ※Uウムラウトが出せませんので"ue"と表記しています。ウムラウトは文字のあたまに点々二つ。念の為。

 追記)
!!スペルミスしておりました・・・
Fueler× 正しくはFuehrer  です。
ちなみにfuehrerには”教師”とか”先生”という含意はありません。そちらの方はLehrer。キーボードでは打ち慣れないもので・・・。言い訳でした。

司法卿 江藤新平 (文春文庫) 司法卿 江藤新平 (文春文庫)
佐木 隆三
入手不可

阿部謹也『日本人の歴史意識』

  • 2006年09月29日 (金)

私にとっては些か難解なところもありましたが、随所にハッとさせられる言葉がありました。

  • 日本における「社会」は、明治以後に導入された”近代的社会””世間”という二重構造を持っている。
  • 人間が”個人”としてではなく集合体として観念される” 人間集団の未分化状態 ”は、ヨーロッパではキリスト教の浸透に伴って12世紀に消滅したのに対して日本では ” 世間 ” として現存している。(個人=内面を持つ存在)
  • 欧米人の歴史意識が直線的であるのに対して、日本人の時間意識は円環的である

以上は印象に残ったところを私なりの言葉でメモしたものです。
思うところはいろいろありますが、今日のところはグダグダ書くのはやめておきます。いや、一つだけ書くとすれば、自分自身の身の回りの出来事や一見あたりまえであるかのような種々を自分自身の眼で見据えようとする阿部氏の姿勢にはとても共感を覚えます。いや、おこがましくて共感などとは到底言えないかもしれません。なにせ私の物の見方や考え方は、高校時代に初めて読んだ阿部氏の著作によって身についたようなものですから。なんだか恩師と久しぶりに再会したような気分です。あいかわらず早口で難解でしたが・・・。享年71歳。あまりにも早すぎた死でした。

昨日から今日への時の流れのなかにある自分の一生がそれ自体歴史であるということはみな解っている。・・・(しかし)歴史を自分自身が参加しているドラマだとは思っていない・・・多くの人が好む歴史は観客として眺める歴史(ドラマ)・・・

自分が加わっている時の流れは自分の運命として甘受しなければならないものなのである。

日本人の歴史意識―「世間」という視角から (岩波新書) 日本人の歴史意識―「世間」という視角から (岩波新書)
阿部 謹也
価格:735円

阿部謹也『日本人はいかに生きるべきか』

  • 2006年09月27日 (水)

読了。

興奮しました、久しぶりに。
ドイツ中世史の泰斗として知られる阿部謹也氏の著作。晩年には「世間」とは何かを追求されていたようです。

日本における民主主義や教養とは何か、大学における生涯教育提唱などが主な内容になっています。私自身は日本における個人と社会との関係(世間とは何か、日本に”個人”は存在するのか)に最も興味を覚えました。

いじめの問題にしても、学校側はいじめがないかのような顔をする。みんな仲良くするように教えている。しかし、仲良くするとはどういうことか、なぜ仲良くするのか、そういうことはだれも考えない。上から押しつけるだけなのです。・・・日本も、戦前はずっと個人を抑え込もうとしたのです。ところが戦後は個人を抑え込まないようにしたために、個人が個人でなくなって、エゴになりつつある。

私は「エゴ」の部分を”わがまま者”と読み替えて理解しました。

わが国では法律の中に民主主義の規定がありさえすれば民主主義が実現していると多くの人が考えているように見える。

非難に価することのすべてを口にしてはいけない、しかし賞賛に値することは皆口に出していうべきである
~手工業職人の父親が遍歴の旅に出る息子に送った手紙より

内容がわりと多岐にわたっているので、ひょっとしたら不適切な抜粋引用で文章本来の趣旨を歪めているかもしれません。興味を惹かれた方は読んでご覧になることをお勧めします。

日本人はいかに生きるべきか 日本人はいかに生きるべきか
阿部 謹也
価格:1575円

ガルブレイス『大恐慌』

  • 2006年08月05日 (土)

読了。
1929年ニューヨーク証券取引所での株価大暴落とその後の大不況に関する著作。
詳細は後日。

新訳 大恐慌―1929年は再びくるか!?
ジョン・K. ガルブレイス
入手不可

現在入手可能な版は下記。
大暴落1929 (日経BPクラシックス) 大暴落1929 (日経BPクラシックス)
ジョン・K・ガルブレイス
価格:2310円

最後の海軍大臣 米内光政

  • 2006年03月12日 (日)

日独伊三国軍事同盟にあくまでも反対を貫いた海軍提督。
山本五十六、井上成美を含めて理性的海軍軍人の代表格ということです。
以前から、軍人としてだけではなく一個の人物としても私が興味を持っている人です。

米内光政
税込価格 : \1,260 (本体 : \1,200)
出版 : 光人社
サイズ : 四六判 / 365p
発行年月 : 1979
現在入手不能
但し、文庫版有り(米内光政

ここのところ不眠がち(体を動かさないせいでしょう・・・)で夜通し読書。
読後感は後日。

白州次郎著『プリンシプルのない日本』

  • 2006年03月04日 (土)

白洲次郎著『プリンシプルのない日本』の読後感。

この方の主張はいつものことながら非常に小気味よいです。
その理由は、この方の主張に対する賛否はさまざまであるとしても、とにかく「何故そう思うのか、主張の根拠は何か」がはっきり示されているからだと感じます。まさにprincipleを明確にした上で自らの主張をし、かつそれに対する異論・反論を”聞く”姿勢が示されているからだと思います。

最近の(反対)例で言えば民主党永田議員の腰砕け質問ですかね。
疑惑に関する手がかり(メール)に関する裏付け調査の不備・不足。

なにがしかの手がかり(根拠)をもとに、それに基づいて自らの主張を相手にぶつけることは民主政の基礎だと思いますが、いかんせんその主張が腰の据わったものでなければ子供のケンカと同視されても当然だろうと思います。

政権政党に対する闘志満々、その意気ヨシ、としても、その主張の根拠がアヤフヤでは”若い””稚拙”と批判されてもやむをえないとしか言えないです。
はっきりいえば、(偽?)メールは永田議員にとっては、自らの主張の”根拠””(主張を)裏付けるモノ”ではなく、晴れの舞台で格好良く相手に切り込む為の”ネタ””素材””きっかけ”に過ぎなかったのではないか、と邪推します。

principleがないと肉体も精神も脆い、脆くなるというのが私の持論です。(注:「私にはprincipleがある」という意味ではありません。)

ちょっと白州次郎から話がそれましたが、言わんとするところは永田議員にはprincipleが欠けていたのではないかということです。(今回の失敗をバネにして立派な、腹の括れた議員になられれば結構なことだと思いますが。)

閑話休題

いま、憲法改正がなにかと話題に上ることがありますが、新聞等を読む限りでは、改憲論者・護憲論者双方の主張とも”稚拙な議論”のレベルにとどまっているような気がしてりません。(一例を挙げれば、「押しつけられた憲法」だったら「改正すべき」なの? これって単なる感情論では・・・。)

上記の著作に限らず、白洲の著作には日本国憲法の成立過程の内情に関する叙述が随所に見られます(白洲は日本国憲法を散々こき下ろしている。但し、その主張の根拠が説得的な形で示されているところが現在の改憲論議と大いに異なると思います)。憲法改正問題に関心の向きは是非とも上記の著作を一読をお勧めします。

プリンシプルのない日本―プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか。 プリンシプルのない日本―プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか。
白洲 次郎
価格:1680円

補足
我が身を振り返ってみて、principleを墨守することは、どこかで痩せ我慢に通じるところもあるような気がします・・・。端から見れば「そんな依怙地にならなくても・・・」ということが無いとは言えないようです。もちろん当人(私)も分かってはいるつもり・・・。それでも守りたくなるのがprinciple、ということ・・・で・・・しょう。理屈であって理屈でない、ってことですかね。

だからやっぱり白州次郎は面白い!!

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