「行政」カテゴリの記事一覧

痴呆地方の大合唱

  • 2009年09月17日 (木)

今日9月16日、鳩山新政権の発足した。新閣僚のメンツを見る限りとても清新な印象だとは思えないが、あの安倍内閣ですら「清新」イメージで売っていたのを考えてみれば、強いてそう言って言えなくもないのか。8月末の総選挙以降今日まで、ときどき新政権移行についてのニュースを見聞してきた。それらについての感想らしきものをここにメモしておく。

ほんの2.3年前まで、日本列島では構造改革の大合唱が聞こえ、誰も彼もがそれを「良きこと」のように言い習わしていた。むろんそうでないものもありはした、いはしたけれどそうした声はたいてい多勢の声にかき消されがちであったと私は記憶している。構造改革を念仏のように唱えて前々回の総選挙に大勝した小泉首相の時代には構造改革が主旋律を奏でて、安倍時代には国家主義がそれに取って代わり、参議院選挙での自民党大敗をしおに政府与野党地方自治体上から下までセーカツシャ・チホーの大合唱、リーマンショックその後の景気後退も相まって「地方の・・・ために」「庶民の・・・・のために」という言い分に異論をぶつけることがはばかられるような空気が、そこはかとなくただよっている。いつものことながら、「あれかこれか」「右か左か」「猿かチンパンジーか」をヒステリックに騒ぎ立てて、我が田に水を引こうとする理屈ばかりが耳に入ってくる。「地方の疲弊は深刻なんじゃ!」「そうしないと生活できんのじゃ!」と言われたら「はぁ、そうですか」と答えるしかないわけだが、それならばその「地方」「生活」とはいったい何なのだ?ということをもう一度考えてみたいと思う。

民主党が政府の無駄遣い撲滅を旗印として本年度の予算執行の一部停止を持ち出したことに対して地方は予定通り執行する、いまさら(金は)返さない等々愚図愚図とした文句を言っている。返さない・返せない理屈はいくらでもつけることができるわけなので、それについてあれこれ言うことはしない。ただ、地方の首長にせよ議会にせよ、子供じみた物言い・振る舞いはいいかげん目に余る。

定期便ゼロの危機 日航が松本空港撤退検討
経営再建中の日本航空が、12年3月末までに県営信州まつもと空港(松本空港)の路線運営からの撤退を検討していることが明らかになった16日、関係者に衝撃が走った。同空港で定期路線便を就航させているのは日航だけで、撤退となれば、300億円以上をかけて造った県民の空港から、定期便が姿を消す事態になる。
 松本空港の定期便は、大阪(伊丹)便が毎日、札幌便が週4日、福岡便が週3日あり、いずれも日航グループの日本エアコミューターが運航している。だが、今年7月の利用率は伊丹便で39・5%(前年同月51・6%)、福岡便で45・3%(同46・2%)と低迷。札幌便も76・0%(同84・7%)にとどまる。
(中略)
 県内の関係者は戸惑いを隠せない。村井仁知事は16日、「まったく聞いていないのでコメントしようもない。松本空港と日本航空は、これまで運命共同体的にやってきた。不採算の便が議論になるのは当然だが、縮小すればいいというものではない」と話した。
 県交通政策課の小林利弘課長は「日航が持っていた国内の航空ネットワークが地方に果たした役割は大きい。国、地方も含めて、これをどう維持するのかという議論も進めて欲しい」と訴える。雇用への影響についても「松本空港には地元の従業員も多い。影響は大きい」と心配する。
(以下略)

asahi.com

談合が発覚して指名停止になった土建業者が「現下の経済情勢下、従業員への影響が大きいので指名停止を解除してもらいたい」などと居直るいま、この松本空港の記事の中にも雇用・従業員への影響甚大をあげて難色を示している。ご承知の通り、似たようなことはこの件に限らずともいま日本全国津々浦々首長議会住民が口にする(と報道されている)。理屈はどこにでもつく・つけれられる。需要が少なく経営が成り立たないと分かっていながら無理矢理公金を投入して建設した空港が日本にはいったいいくつあるのだろうか。また空港以外に同じように甘い需要予測・過大な経済効果予測・公共投資という名目の土建業者経由政治資金調達がらみの案件はどれほどあったのだろうか。おそらく数え切れないほどある。そして経営余力の乏しくなった民間企業が撤退を口にしたとたんに「不採算の便が議論になるのは当然(経営の効率化はそりゃ大切)だが、縮小すればいいというものではない(俺らんとこでやられちゃ困るぜ)」とくる。いささか意地悪な書き方をしてしまったが、この知事さんの正直な気持ちであろうと思う。そしてこれは何も長野県だけの話でないのはおよそ想像がつく。放漫財政・国や官僚のやっていることと寸分違わぬ天下り、地方でもやっていることは当然のことながら「ミニ日本」であって、とてもではないが国ばかりを批判できそうもない。しかしなぜか今、「地方」を語れば桶屋が儲かる。

まとまりがなくなってきたので切り上げるとする。
金がないから財源をよこせ、という前にリストラ・緊縮財政・天下り廃止など地方自治体・議会がやるべきことは山ほどある。
「分権なんざ百年早い。顔あらって出直せしてこい

すると自治体は恐らくこう言うだろう。「じゃ、財源が無いから行政サービス切り下げます」と。
そして住民はといえば、「財源のない自治体の行政サービスが低下するのは当然だが、切り下げればいいというものではない」と乾いた声でぼやくも、その言葉を聞いてくれる者はもはやどこにもいない、ということになるのだろう。

末弘厳太郎「役人学三則」

  • 2009年09月06日 (日)

第二条 およそ役人たらんとする者は法規を楯にとりて形式的理屈をいう技術を習得することを要す。

第三条 およそ役人たらんとする者は平素より縄張り根性の涵養に努むることを要す。

末弘厳太郎「役人学三則」(青空文庫)
***
第四条 およそ役人たらんとする者は決して自分の非を認めぬ石頭であることを要す。
第五条 およそ役人たらんとする者は自らのしくじりを他人に帰して保身を”謀る”厚顔さを身に付くるを要す。
(以下略)
と、こうして書いてみていると「役人」の部分を「チンピラ」と書き換えてもそのまま通じそうだなという気がしてくる。
いや、もちろん「役人すなわちチンピラ」であるなどと言うつもりは毛頭無い。というのも、この手のチンピラのような役人はしばしば見受けられる(地域的特性か?)いっぽう、役人のようなチンピラ(!)にはまだ会ったことがないから。

善人と役人

  • 2008年08月19日 (火)
  • キーワードタグ: 役人

近時、日本に限らず韓国あたりでも公務員は人気職種であるという。安定した給与と確実な身分保障と優遇された年金の三点セットは、経済成長の見込み乏しい現代日本においては魅力的であるのかもしれない。

ところで、ここで私見を述べさせていただけるとするならば、向こう半世紀のあいだ、日本経済が本当の意味で(庶民が好況を実感できるほどに)復調することは無いと私は断言する。とはいえここにその根拠を記すことは叶わない(長くなるし)。よって断言ではなく「予言」ということにしておく。私のこの予言は決して悲観論ではない。単なる事実認識及びそこから私が引き出した結論である(くだけた物言いをすれば「まぁそんなとこだろ、ハハ」というところ)。ついでにもう一つ断言しよう。善人、役人になるべからず。なぜか。それを今から書いてみるとする。

私がそんなことを思いついたきっかけは今朝の新聞記事である。

福岡市西区に土地を所有していた首都圏在住の元国家公務員の男性が、道路建設のために福岡県道路公社が用地の取得を進めた際、同市内に戸籍を置いていたにもかかわらず行方不明扱いされ、土地を買収されていた(以下略)
「道路用地『ずさん買収』 所有者を失踪扱い 福岡市出身の男性 福岡県公社を提訴」(西日本新聞)

この記事の概略は、道路建設のための用地買収にあたって、所在の知れない地権者を探し出す手間を惜しんだ公社が、地権者を(法的に)亡き者として道路建設を進めたということであった。上の引用に続いてこのようにある。

男性側は、登記簿の住所地には勤めていた行政機関の施設があり、また、男性が本籍地を福岡市中央区にしていることから「公社が行政機関や区役所に照会すれば所在は分かったはず」と主張している。
これに対し、福岡県道路公社業務推進課は「県内の全市町村に照会したがつかめなかった。提訴については訴状の内容を把握しておらず、コメントできない」としている。

公社の言い分は、言葉を変えればこうなる。
「どこにいるのか調べることが私にはできなかった。だから死んだことにしてもらったのであります」

長年所在の知れない人物を一旦「死んだことにする」という法制度(原則)そのものに私は異論が無い。ただ、通り一遍の調査・照会・捜査をして人を殺す(死んだことにする)こと、そして、そんな仕事をする人間たちには強い異議を申し立てたいと思う。

なぜそのような事態が生じうるのか、なぜそのような「仕事」がまかり通るのか、と問われるならば、私はこう言ってみたい。「百人集めりゃ野獣の集団~ 善人百人集めてみたらお役所で、悪人百人集めてみれば暴力団~」。
西諺に云う、「元老院議員は名士なれど元老院は野獣なり」。

・・・。

(まだ人生いや文章これから、というところだが、息切れしてきたのでもうやめる。予定していた結論はタイトル通りだがそこまで辿り着けなかった、無念。)

最後に一言。
こういう役人(役人じみた人間)は、おうおうにして失態をごまかすためにだけ全力を尽くす。そしてそうしたことに公金が費やされ、彼ら役人にはこれまた公金から給与が支給され続ける。
「まるで封建時代・・・」という物言い(悪口)があるが、責任とって切腹、という風習があった分、お役人に限っては封建時代の方が今よりましだったのかもしれぬな。

(ふう、当初の目論見とはまるで別のところに辿り着いてしまった。息切れ、というか久しぶりに泳いで足がツって溺れた、というのが今の心境・・・。敢えてタイトルはそのままにしておく。)

ハシゴ論もどき

  • 2008年01月04日 (金)

「一貫した主張」だとか「首尾一貫」といえばおよそ「良いこと」だと考えるのがフツウのことなのだろうけれど、これらの「フツウのこと」を一度は疑ってみるというのが私の”一貫した”思考態度である。したがって私自身は「一貫性」「首尾一貫した態度」を必ずしも否定的に評価する者ではない。ただ、「一貫した一貫性」だとか「いつでもどこでも首尾一貫している」などというものが仮にあった(いた)としたら、そうしたものには大いに疑問を感じるのだということなのだ。ん、これではわかりにくかもしれない。

人がある事象(物事)を理解しようとするとき、そこに首尾一貫した法則を見いだすことができれば話はたいそう簡単だ。水は低きに流れ、水は火を消す。一貫した法則、原理原則、論理性、お定まりのルール、べつに何と呼んでもよい。ところで、大昔のこと、水が火をあおり、石が燃えたとき、きっと人は驚いただろう。そして未だ人知の及ばぬことは腐るほどある(はず)。今も昔も「現代人」はなかなか自分の無知を理解しがたい。「現代人の盲目」はつねに人間につきまとう。昔の人の無知を憫笑しつつ己の知性に誇りを抱く。それどころか「かのクニでは・・・」などと同時代人にすら教えを垂れることさえある。おそらく無知の知の実践者は「永遠のマイノリティ」というべきかもしれぬ。もっとも、そうでなければこまる。誰もが鍬を棄て思索にふけってしまうようになれば食うものも食えなくなるのだから(これは野人の僻目か?)。

それはともかくとして、論理性なんてものは単なるハシゴではないだろうか。事象を理解するための(二階に昇るための)ただの道具。建物(事象)に立てかけ、仮設してスルリスルリと昇っていくための道具。ときには例外的超人がハシゴを使わず一気に上の階に(下の階でもよし)跳躍することもあるが、べつに彼はその一部始終を解説する必要はない、彼がそれを望まなければ。おそらくアインシュタインは自らの跳躍を物理学の法則で解説し、ドストエフスキーは物語という道具を用いて解説した。そういう風には考えられないか。まずヴィジョンありき。

たとえ偉大な科学者たちが首尾一貫を旨とする論理を用いることで、ある事象を解説できたのだとしても、それは論理すなわちハシゴを積み重ねてゆくことによって上の階に到達できたのだと言うわけにはいくまい。もし誰かが「ハシゴを積み重ねてゆけば上に辿り着ける」と言ったとしたら、彼は「魔法の杖を一振りすれば願い事がなんでも叶う」と信じるオカルティストと呼ばれて然るべきだろう。そしてじつは、合理主義者を自称するオカルティストはそれほど珍しくないかもしれぬ。

ハシゴを魔法の杖と信じるオカルティストと並び称されるべきは「事実コレクター」だろうか。(それ自体真偽不明の)事実の欠片を集めれば集めるほど真実に近づけると信じ切った狂信者たち。むろん彼らが後生大事にしたがる欠片が本当に真実の欠片であるなら望みはまだあるのかもしれないが、多くの場合真実の欠片なんてものはこの世に存在しない。「真実は一つ」とはなにもこの世のあらゆる事象に各々にただ一つの真実がそなわっているということを意味しているわけではない(そんなこともあるのかもしれないが)。おそらく「真実は一つ」という言葉は、真実とは「一にして全」なのだということを表現している。人間が掴みうることのない生の実相、人間の営みの総体(全体)は常に真実である(そうであって欲しい)、と、そういうことを表現しているのではないだろうか。そういう風には考えられないのか。結局のところ、「真実は一つ」という言葉はひとつの信仰告白以上のものではない、というのが私の考えである。私たちにできるのは、自らの認識力には限界があるということを受け入れ、観念したうえで、牛のようなのろのろとした足どりで行けるところまで行くということのように思われてならない。

このように只でさえ困難な道のりを、まるで足りない頭でひねり出した筋書き通りに進もうとするなんてことは、一言で言えば愚行ということになるだろう。愚か者にかぎって口を開けば大言壮語、とはよくある話。見たいものだけを見、聞きたいものだけを聞き、辻褄を合わせ、地図を描き直し、果てはまるであさっての方向へ突っ走る阿呆。周囲に何もないひらけた場所でハシゴを立てようと四苦八苦、ようやく立ったところで二つ目のハシゴを重ねようとまた四苦八苦。さらに三つ目のハシゴを・・・。重ねれば重ねるほどに不安定になっていく一連のハシゴ。こんなものはほんの一突きであっというまに崩れ去るのは眼に見えている。そんな馬鹿なことをやっているということにすら気づかない奇妙な合理主義者、合理性「原理」主義者がこの世にいないと言えるだろうか。疑問。

論理のうちに人間を住まわせることはできない(これだと「当然だろ」と言われそうだな)ということをどのように表現したものかと考えていたところちょうど良いのに出会った。

「与えられた事態にある態度をとる人間の最後の自由、をとることはできない」
(フランクル『夜と霧 ~ドイツ強制収容所の体験記録』みすず書房 P166)

与えられたどのような事態に対しても各人がそれぞれ(きわめて限定的な選択肢の中からではあれ)任意の態度を選択できるという「人間の最後の自由」を奪いとることは誰にもできない。

人間に与えられたこうした自由を考慮しない、歪(いびつ)な「論理の階梯」は、ときとして人をあらぬところへ連れ去るのである。ユダヤ人虐殺に見られる人間の傲慢さは、いまも、そこかしこにある。

ところで、
当然だと思っていたことがそうでなくなるからこそ「コペルニクス的転回」と言うはずなのだが。小さな穴でもその気になれば結構いろんなものが見えてくる。
「北方事件:佐賀県警が鑑定細工か」(毎日jp)
こんなものは些細な綻びに過ぎないだろう。推して知るべし。

不作為の罪

  • 2007年12月14日 (金)
  • キーワードタグ: 役人

あれもこれもせねばならぬというとっちらかった状況にちと苛立ちを感じているときは、たいていそのどれもが中途半端になって、墓穴というほどではないにせよ落とし穴を掘ってしまうことになる。そういうことは分かっちゃいるが、泡立ってくる感情を制御するのはなかなか厄介。修行が足りない。おいらのケツもまだまだ青いということだ。

既に前のエントリ「こうやくいかん」で書いたように、「約束したじゃねえかよ」とネチネチ責めることは、問題そのものの解決や再発の防止に毛ほどもよい影響をもたらさないどころかむしろ悪影響すら考えられるのであるからして、じっくり考えて欲しいものだ(他力本願ですまない)。むろん過去数十年に渡って溜め込んできた膨大なゴミの山をあらためて整理しなおしてそれぞれ数千万のグループに分別するということがどれほど困難、いや絶望的なことであるかくらいのことは私にも分かる。したがってデータの云々とは別の次元の解決法も考慮されなければならないのだろう。なにせ積極的な(前向きな)対策といえばそれしかないのだ。データの再整理に関しては、これはもうやり残した夏休みの宿題どころのハナシではない。過去のツケをうやむやにしてしまうはずがどうしたはずみか表面化してしまった。お天道様はだませない、のだ。

いったい社会保険庁は過去数十年間なにを「仕事として」きたのであろうか。

この年金記録問題はどうやら過失によるものではなく不作為の罪というべきだろう。「放っておけばいずれ片がつく」「黙っていればバレはしない」という組織的判断が下されたと考えなないことには理解し難い事件を、大手マスコミは今日まで大臣たちのパフォーマンスやら末端職員の横領事件(そもそも事件化すらされていなかったのだそうだが)というところに、そして「政府与党の公約違反」程度のことに矮小化し続けている。そう、矮小化し続けているのだ。これは私の筆の誤りではないよ。

むろんそれらが取るに足らないことだと言いたいわけではない。ただ、問題はそれだけにとどまらないのではないかと言いたいだけである。問題を先送りし続け、ほっかむりを決め込み、自分たちだけの利を追い求める。自らが果たさねばならぬ責務にはまるで盲自である一方でおのれのちっぽけなプライドとポジションを保つことを基準としてすべてを図ってきた。かりにそれによって他人がどのような悲惨な状況に陥ろうと、あるいは他人に時間的・金銭的・肉体的その他諸々の損失を与えようとも「オレ様の利益に比べればちっぽけなものだーい」と知らず知らずのうちにでも思っているのだと考えなければとても理解不能なことども。ましてこの年金問題は膨大な人間と莫大な金銭が関係している。大騒ぎにならぬほうがむしろ奇妙なくらいのものだ。このような不作為が同庁あるいは厚生労働省だけの特殊例だという証明が決して不可能であるところからかんがみるに、この年金問題以外にも同様の不作為があちらこちらに滞留していないと言うことはできないことになる。現に薬害問題が同時進行中のようだ。これもまた酷いはなしであって思わず拳が固くなる。

今の日本、国じゅうが背信と裏切りとで覆い尽くされている。せめて我が身の周囲だけでもそうしたものとは無縁のものにしたいと強く強く思う。しかしこれもほどほどにしておかねば結局自分自身が怒りに呑み込まれかねない。これには是非気をつけておかねば。なぜなら怒りは無駄に体力を消耗させるから。俺もまた自分だけの利益を考えてるとはたしかに言えるわけだ。

こうやくいかん

  • 2007年12月14日 (金)

もうとっくに視界から消えていた話題がまたぞろわさわさと薮の中から飛び出してきました。年金記録問題のことです。しかしあれです、「ないものはない」「(記録精査は)エンドレスです (=実現不可能だぁ)」とは舛添さんしか言えないでしょうね。いや、舛添さんというよりはタレント議員だけが許される発言。これがフツーの議員さん、まして2世、3世のおぼっちゃま大臣の発言であったら逆風どころか暴風雨になったでしょう。今の日本では本当のことを発言することは「道化師」だけに許されている特権なのでしょうね。ははは。

膨大な年金記録の照合をそもそも半年や一年で解決できないことは分かりきっていたわけですが、就任したばかりの首相にしろ厚生大臣にしろ「どうします?」と問われて「無理です」とはそりゃ言えない。「解決します!」としか言えるはずがない。それをいまさら公約公約違反違反と責めたところで、あまりに白々しいのではないだろうか。なにせ記録の完全照合が無理難題であることは自明のことだったのだから。この問題が明るみに出た当初からそれが遂行不可能なミッションであることを多くの人が指摘していた。私ですら書いた。
(過去記事)「年金記録照合が1年でやれるのか?」
その大意に「やれソース」だ「データ」だ「証明せよ」などと疑い深い現代人向けに(疑い深くて当然だ!)細かい数字をくっつけると次のようになる(毎日新聞と私とは縁もゆかりもないことをあらかじめお断りしておく)。

宙に浮く年金記録約5000万件の内訳(・・・)うち945万件(全体の18.5%)については氏名などの転記ミスがある記録で、相当数は今後手書きの原簿と照合をしても持ち主の特定が困難(・・・)「氏名」「性別」「生年月日」の3条件を、コンピューター上で5095万件の3条件と突き合せているが、まだ5095万件のうち1975万件は条件が一致していない。(・・・)

要するに「やばい、無理かなとは思ってたけどやっぱり無理でした」ということにすぎない。結論は最初から見えており、今回のはなしはそれを数字で表現しただけということだ。当たり前田のクラッカー、延べ2億件近い、それもそのひとつひとつがそもそも怪しげなデータが電子計算機のプログラム如きでどうにかなるものではなかった。

この記事によると3条件では名寄せできないものの内訳は次のようになっている。

▽死亡者の記録とみられる280万件(5.4%)
▽結婚などによる氏名変更510万件(10.0%)
▽氏名の漢字カナ誤変換240万件(4.7%)
▽その他945万件

これにしても死亡・結婚・誤変換であったと判明したのではなく、「たぶんそうじゃないかなぁ」という目星がついたというだけのはなし。数字が並ぶといかにも確からしく見えてしまうものだがそのじつ、上の数字はまるで確かではない。仮説・推測の羅列というだけのことだ。さらに最後の項目945万件とあるが、これなどは「まるででたらめでした」と数字が語っている。

手書き記録を入力する際、社保庁職員が誤った情報を打ち込んだものや、採用条件を満たすため年齢を偽って申請した人の記録などとみられる。こうした記録は原簿と照合しても情報を一致させるのが難しく

これは実際上、難しいのではなく無理だとはっきり言うべきだろうが、不可能であることを「証明することができない」からぼかしているだけと見える。与件がそもそもめちゃくちゃ(「誤り」ではなく「無い」に等しい)なら解決は不可能と言うしかない。

数字が並んでいかにも「調査らしく」見えるけれど、言っていることは単に
  やっぱり全部は無理
  一年以内なんてとんでもない
それだけのこと。

標高10万メートルの山に登ることを厳命された人が大金はたいてちっぽけな酸素ボンベを買い整え、レーザー測距機その他で山の高さを測定して「一年以内に頂上に辿り着きます、ぜったい!」と言ったところで信じる者などいるはずもない。

登りますと言わざるを得ないものをつかまえて登ると言わせ、「やっぱ無理そう」と彼が尻込みしたところで「おまえ登るて言うたやないか、あん」とはそりゃないだろ。

とはいうても、調べます言うたのもあんた、ちゃんと管理するから俺に金あずけなはれ言うたのもあんた。
自業自得。
ほんとに金まだあるんかね? とっくに使いこんだんちゃうのん?

間違いに気づいたら言い訳せんと逃げ道つくらんと「ごめん、まちごうとったわ」言わんとさ、あとが苦しゅうなるもんな。あれこれ小細工四の五の言い訳、たいへんよ。無駄な労力神経使うて得るもんはまるでなし。
「すまん」と言うてきっちり後始末、それでええんじゃなかろか。

さすがはATOK、賢いなあ・・・。買って良かった。
お、タイトルだけが「浮いて」しまった。膏薬と公約をね、「マッチング」させる予定だったのだが。。。

意識朦朧布団屁轟。

火事場で痴話喧嘩

  • 2007年11月28日 (水)

九州島はいつのまにやらアウトローのコロッセウムに指定されたらしい。毎日のように刃物や拳銃を振り回す自称 ”侠” どもが、一般市民の恐怖をよそに利権を求めて暴れ狂い、果ては一般市民を病院で殺害。近代法治国家が聞いて呆れる。

離れ小島か無人島ででもどうぞ、とでも言うしかないのかね。
そういえば、九州は中央から”遠”くはなれた”島”ではある。そんなもんだから「勝手にやってろよ」とでも。
佐賀の病院射殺事件の直後に中央(警察庁)のお偉方が”巡幸”されたらしいが、それぎりらしい。
血の気の多い(らしい)九州人が殺し合えばちったあ日本が平和になるのかも知れぬ。どんな平和が訪れるのかは知らないが。

野獣同士の殺し合いはさておき、一般人の犠牲者が出ているにもかかわらずお役所は例のごとく縄張りを巡って綱引きをするのに忙しいとはなんとも見上げた根性である。たいしたもんだ。骨の髄までお役人。「狙った相手は…依然謎 佐賀の入院患者殺人」(中日新聞サイト 11/27)

S:「おいおい、ホースはおれの担当のはずだぜ」
F:「って、おまえが遅れて現着したんだろ。どうせまた迷子になったんじゃないのかよ」
S:「うるさい。順番からいえば今回はおれのはずじゃないか」
F:「いいからおまえはポンプ押せよ、体力しかない肉体派なんだし」
S:「いんや、おれだってやればできるさ。順番まもらなきゃだめじゃないかよぉ!!」

などと火事場でアレコレ。その間にも火の手は周囲へ延焼し火勢を強めてパンパンパン。
「福岡・久留米市で暴力団関係者射殺、近くで刺殺事件も」(朝日新聞サイト 11/27
恐るべきはアウトローのみならず役人もということだ。
くだらないセクショナリズム、能力を考慮しないマネージメント。役所ではありふれた本末転倒がここにもあった。肉体派の無茶な取調べですべてが無に帰さなければよいが、などとふと思う。

そういえば今朝の新聞に銃刀法改正、厳罰化の記事が出ていた。施行は年末だそうだがそうなると”駆け込み”発砲事件が増えるのか? もはや九州島への渡航自粛勧告でも出した方がよいのかもしれない。

どちらさんも喧嘩やるなら場所選ぶなどという余裕はどこにもないらしい。
寄る辺のない下々の者どもはシェルターにでも篭るしかないのか?。しかしすでに病院すら戦場と化しているんではね・・・。
海の彼方のテロ対策には熱心すぎるほどの政治家さんたちもなぜか自分の庭で起こった「テロ」には無頓着。庭でテロリスト集団飼っておいて「テロと戦います」なんて笑い話にもならんよなあ。それとも彼らにも裏で「燃料補給」してやってんだろうか。やはり担当官庁は警察庁になってしまうのか?
まさかね。


つまらん。読もう。

通報するときは”演出”が必要?

  • 2007年07月20日 (金)

既にいくつかの全国紙でも報じられた一件だが、
一刑事に対して市長に関する不穏情報がもたらされ、上司にも伝達されたものの、

「差し迫った緊迫感はない」

として対応が取られぬまま、(結果として?)市長が射殺される事態に至ったのだという。

これに関連する地元新聞の続報。
「直属上司も情報把握 通報放置『不適切と言えず』」(長崎新聞)【ウェブ魚拓】
※この新聞社、直リンク「厳禁」だそうなのでリンクは控えます。
”伊藤長崎市長射殺事件”でgoogle検索すればトップあたりに引っ掛かるはずです。

このこと自体の当否は別にしても、これが発覚したのち、部下にのみ責任を負わせようとした上層部はまるで旧日本軍のそれと同様ではないか

やはりこの組織にも「廉恥心」や「知性」などというものが欠落しているらしい。
「全容の解明」であるとか「社会正義の実現」などという言葉は如何にも頼もしいが、その実「ミス」や「勘違い」を誤魔化すためならば
「部下に責任をしょいこませ」
「ウソにウソを重ねて」
「強きを助け弱きをくじく」
旧軍若しくはアウトローなみの非知性的暴力集団であるかのようだ。

もし彼らが看板通りの頼もしい存在であろうとするならば、「失敗から学ぶ姿勢」と「虚心に事実を見る目」を是非とも取り戻すべきではないか。わたしは切実にそう願っている。もちろん亡くなられた市長の命は取り戻すべくもないのだが。

その職務の性質上、「失態を糊塗し続けることなぞ出来ない相談」だということをあなたがた以上によく知る者はいない。そうだろう?

それともなにか?通報するときには、
取り乱し、
錯乱し、
助けを乞い願って、

「差し迫った緊迫感」を”演出”したほうがよかったのか?
もしそうだというのなら市民に対してはあらかじめその旨周知しておくのが「親切」というものじゃありませんか?>おまわりさん

ところで、個々人の能力なり不手際なりをフォローできない警察「組織」の存在価値ってのはいったいどこにあるんでしょうね(愛知長久手の殉職事件のときにもこれを強く感じた)。ここでいう「フォロー」は「隠蔽」や「ほっかむり」ではないことは言うまでもなかんべ。

現場警察官もまた被害者、か?

こういうの、ほんとになんとかなりませんかね・・・?
誰しも忍耐には限界つうのがありますしね。
私も(警官じゃないけど)待ってたんですが。徒労ですか?

(つづく)けど(次回未定)

職質追跡PTSD訴訟

  • 2007年03月29日 (木)

以前いくつかのエントリ(職質追跡でPTSDと国賠請求ほか)で取り上げたことのある訴訟。棄却されたことに意外性は感じないものの・・・。

「女子中学生 PTSD訴訟 『活発な娘に戻して』 県警に敗訴の両親会見」(西日本新聞)(キャッシュ)

判決は職務質問の違法性も、女子生徒に対する追跡の過剰性も認めなかった

県側代理人の安永宏弁護士は取材に対し「証拠の評価が適切な判決。この職務質問を違法と言われたら警察の現場が大混乱する」と話した。

意外な結果だとは思れないが、なんだかね・・・。

このPTSD訴訟に関して佐賀県のサイトにこんなものが。
「こちら知事室です」

ついでと言ってはなんですが佐賀県つながりでこの記事も。
「佐賀3女性殺害:検察が上告断念 松江被告の無罪確定へ」(毎日インタラクティブ)

こういうものも地域格差と言うべきか。末期的・・・。
ゴジラが地域社会を踏み荒らした挙句に最後っ屁。組織の力の前に無力な個人が泣きくれる。これは佐賀だけの話なのだろうか。
いまの日本はほんまに近代国家か??

(追記)

吉崎裁判官は言い渡し後、「職責を全うしようとした警察官と、犯罪と無関係な女子生徒の間に起きた極めて残念な事件。将来の警察活動で同様の事態が生じないよう検討が望まれる」と県警に忠告

yomiuri online 九州発キャッシュ

けじめ?そんな決まりないもん!

  • 2006年12月15日 (金)
  • キーワードタグ: 政治

署員の放置自転車持ち出しを立件せず(yahoo news) 

内部告発があり、(県警)監察官室が・・・再捜査を指示

内部告発があったことを自浄能力として評価するか?
内部告発がなければ揉み消す体質を問題とすべきか?

タウンミーティングやらせ質問 首相給与100万円返納(神戸新聞)
野党指摘にムッ、安倍首相(yahoo news)

「お金で済ます問題ではない」との野党議員の指摘に「失礼ではないか」と気色ばむ・・・首相は「(公務員のけじめのつけ方は)減給などの処分方法が決まっている」と反論

世論誘導ととられても不思議ではない「余計なお世話」
公金をアホみたいに気前よく広告代理店に支払う役人
言論を金で買う?公民館ででもやればいいのにね
客が集まらない?

それもすべて日本の民度の高さ(低さ)の表れなんだからしょうがないよ。自戒。
ついでに言えば懲戒制度がなければけじめもつけられない、つける気もない公人しかいないのもね。

しかし、率直に言って「それはないでしょ」と思った次第です。
「盗人にも三分の理」なのでしょうが「それは盗人猛々しいですよ」と言っておきたいと思います。
「盗人とは失礼な!!」などとまた怒られましょうかね・・・。失敬。

追記)「うちだけ突出できない」(yahoo news)

ひとが自分の意向に反して何ごとかをする場合には、そのなすことがらが<それ自身としては>善であるにしても、実は、善をなすのではないのである
(『世界の大思想3 アウグスティヌス』河出書房 1966)

嘘をつきました ごめんなさい by佐賀県警

  • 2006年11月23日 (木)

実際は横断禁止でないのに「横断禁止」と誤った実況見分調書を作成。このため、家裁が男性側の過失を認定するという問題が起き

さらに

実況見分調書に必要な写真を撮り損なったにもかかわらず、証拠の開示を求めた遺族に対し、「写真はある」とうそを言い続けていた

として

遺族は刑事・民事両裁判が終わったことし7月、・・・捜査の疑問点を挙げた監察申し入れ書を提出・・・県警は9月にまとめた回答書で、「カメラの故障により写真が撮れていなかったにもかかわらず、遺族に対し写真があるかのごとく説明していた」などと初動捜査と遺族への対応が不適切だったと謝罪

のだとか。

これを読む限りでは今ひとつよくわからないところもありますが、県警が嘘をついていたことについて謝罪したということのようです。

引用記事(佐賀新聞)

関連記事~職質追跡でPTSDと国賠請求

  • 2006年10月19日 (木)

関連記事の紹介です。

落合先生のブログと同様、こちらも私がよく読ませてもらっている「元検弁護士のつぶやき」からです。
「ほんまに職質かいな?」

 私が地元住民なら徹底した調査の上、納得できる説明をしてもらわないと安心できません。

同感です。
結構たくさんのコメントがついていて(なかには現職警察官らしき方もあり)、これがまた参考になります。
一部引用させてもらいますと、

自転車盗でも刑法犯には違いないですから、特に事件の少ない駐在所では検挙のために躍起になってしまうのかもしれません。
当然検挙件数が少なければ、叱責を受けますし、下手をすれば実績低調で分限処分の対象となってしまいますから、必死にもなります。

どこの世界も”数値目標”達成に追われているのですね。
虚偽の自白を強要したくなるのも納得・・・です。

職質追跡でPTSDと国賠請求~その4

  • 2006年10月14日 (土)

YAHOOニュース(毎日新聞)
毎日インタラクティブ

”真実は一つ”のはず、ですが、各社それぞれ微妙なニュアンスの違いが読みとれます。「読み手次第でしょ!」と言われたらそれまででしょうけれど。
暇があったら各社の記事並べて分析してみようかと・・・。なにか面白い結果が出たら改めて書いてみます。

職質追跡でPTSDと国賠請求~その3

  • 2006年10月14日 (土)

職質追跡でPTSDと国賠請求~その2

  • 2006年10月13日 (金)

日刊スポーツ

西日本新聞

 →「13日、分った」となっているのに「12日付朝刊」とあるのはなぜだろう?

読売新聞

職質追跡でPTSDと国賠請求

  • 2006年10月13日 (金)

「警察の職質追跡で女子中学生がPTSD」(佐賀新聞)

変質者が珍しくないどころでなく頻発し、「非番の警察官を変質者と勘違い」するのも不思議なこととは思えない昨今ですが。
「直前に自転車盗難の被害届を受けており、よく似た自転車だったため、中学生に職務質問」した職務熱心な警察官には気の毒な気もします。もしもこの一件で警察官がPTSDになった場合は労災!?でしょうか・・・。

「中学生の精神に障害を及ぼすことを予見せず、人権侵害の結果を回避しなかったとして」提訴に至ったということです。

ついでですが、この記事はわりと丁寧に事実をひろって書かれている印象を受けます。

「事実関係に大きな争いはないが」

あまり新聞などでは見かけることのないフレーズです。当事者の一方が警察のときだけはマスコミも慎重になるのでしょうか。

まったくの私見ですが、「訴状によると」云々あたりからは、ありきたりの事件記事であれば字数節約するところだったんじゃないでしょうかね。

ちょうどPTSDに関する本を読んでいるところだったので目に留まりました。
ささいといえばささいな一件ですが今後の展開が気になる事件です。

お気づきかもしれませんが、見出しは故意に変えています。
「・・・PTSD」で終わるのと「・・・国賠請求」で終わるのとでは若干印象が変わってくるような気がしませんか?

どちらも事実のみを端的に表現しているわけですが、それでも微妙なニュアンスの差が生まれます。
新聞の見出しのほうが私の記事のそれよりも幾分中立的な気がしますが、敢えて変形してみました。

可能な限り中立的であろうとしても、それでも完全に中立的な表現というのは難しいものだということを感じます。文が短ければ短いほど難しそうです。

お役所仕事

  • 2006年07月18日 (火)

衰弱知りながら給水停止(朝日新聞)

遺体発見が5月下旬、ということは約2ヶ月前ですが・・・・。
丁度昨日「役人の頭」という一文を読んだばかりでしたので、この記事に目が行きました。

以下、法学者末弘巌太郎「役人の頭」から引用

人間はただ「良心」と「常識」とに従って行動しているのであって、「法律」によって行動しているのではない。

ことに、法治主義のもとにおける役人は法律によってかなりの程度に裁量の自由を制限されています。したがってうっかり融通をきかせた処分をやってしかられるよりは、まずまず法律の命ずるところを形式的に順奉していさえすれば間違いがない。そのほうが得である。第一、骨が折れなくていい。役人が一度こう考えたが最後、彼はただ法律を形式的に順奉することだけを心がけるようになり、法律の目的や役人の職分を忘れるようになる。ここで立派な官僚が出来上るのです。元来、法治主義はあらかじめ法律を決めておいて役人の専恣を妨げ、これによって人民の自由を確保する目的でできた制度である。しかるに、その法律がかえって役人の官僚的な形式的な行動に対する口実となってしまう。かくのごときは決して法治主義本来の目的ではなかったのです。しかし一方において役人を法律によってしばれば――ことにしばりすぎれば――その当然の結果として役人の行動が形式化しやすいのは当然です。なぜならば、自由のないところに責任は生まれないから。

青空文庫

ところで、朝日の記事は、記事の末尾で町内会役員の口を借りて役所の対応を批判しているように読めるように思います。”誰もが”って本当?一般人の”会話”としてなら何の違和感もありませんが、”報道”機関の役割は、単純に「あの人がそう言ってたもんね」ということだけを世にバラ撒くといったものではないような気がします。

「あの人が○○って言ってたよ」というのは単なる伝聞に過ぎないわけですが、もしその発話者が報道機関である場合は単なる伝聞と聞き手が認識する事は残念ながら少ない(報道機関に対する信頼が厚い)のではなかろうかと思います。

それ故、強いて言えば、情報を適切に濾過することが報道機関の責務の一つなのではなかろうか、と思います。と同時に読む側も報道記事の総てを鵜呑みにしない眼力を持たなければならないとも思いますが・・・。そうした眼力を持った読み手の育成こそ社会の木鐸たる言論・報道機関の責務だ、というのは今の日本のマスコミには酷にすぎるでしょうか・・・。

一言で言えば、有識者なり一般人のコメントを安易に掲載することは、新聞が他人の言を隠れ蓑にしてする自己主張のように思えてならないということです。この記事で言えば最後の一文は蛇足ではないか、ということなんです。この部分に関しては言責はどこにあるのか。この役員さんか、それとも新聞社か。記事からは読み取れませんが、この役員さんが匿名になっている以上、新聞社にあると考えるのが筋のはずですが、それならば新聞社としての主張だと分る形で記事を書く事は可能でしょうしそうすべきではないかと思います。

この記事にかぎらず、同様のことはテレビでも新聞でも毎日のように目にします。記事を書くならあくまでも自己責任で書いてみたらどんなものでしょうか。官僚は役所にだけいるとは限らないように思うのは私だけでしょうか。
ひとつはっきりしているのは、一人の人間が、窮状を知られながらも亡くなった、ということ。合掌。

こういう事を書きながら、じゃあ自分は何者なんだよ、ということも考えて気が重くなってきました・・・。こういう事を書くだけじゃ何にもならないわけで。今日のところはこのままupしますが。

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岐路 ~役人たちの水俣病

  • 2006年03月25日 (土)

昨日の西日本新聞朝刊記事を読んで感じたことを書いてみます。
「岐路~役人たちの水俣病 4」(連載記事)

興味深いという言葉は適切でないと思いますが、注目に値する記事だと思います。

一中堅官僚であった人物が当時を回想しての言葉。

「みんな知ってたんだよ、原因が工場排水にあることは。」
「腹が据わってりゃ、辞めて訴えればよかったんだ」・・・。

原因物質が特定され、それによって原因物質を排出している蓋然性が極めて高い企業が特定されていたにもかかわらず、万一の場合の損害賠償請求への懸念や、省庁間の利害不一致を背景として、実施することが可能であった規制を見送ったがために被害の拡大をもたらした、といった内容です。

ある問題に関する実態を把握しているにもかかわらず、自ら責任を負うことを回避せんがために(場合によっては不適当な対応だと認識しつつ)、安易な処置をとってしまう(場合によっては放置しておく)ことは、私の身近なところでもしばしば見聞します。

勤め人として組織に身を置いたことのある人間であれば、良い悪いは別にして、上記官僚が如何に対応に苦慮したかは想像できます。ある種の同情をすら禁じ得ません。しかしながら結果として住民に多大な犠牲を強いたことへの責任は一生背負って行かざるを得ないのだろうとしか言いようがありません。

相応の地位に就く者は、その地位に相応する責任を当然負わなければならないし、また、その責任は、その地位に応じて、究極的には”自分を殺す、一身を投げ出す”ことまでしたとしても果たし得ないほど重い責任もあり得ると考えます。

かつて”人の命は地球より重い”と言った政治家がいましたが、政治家の言としては”人の命は地球より重い”と言った方が適切だったのではないかと思います。

そうした”重い”責任を担っている(ハズの)政治家や高級官僚の方々に大いなる期待を寄せます。

文章の後半、なんだか青臭くなってしましました。
書きながら、頭には「武士道とは、死ぬこととみつけたり (葉隠)」が浮かんでました。

まずなによりも自分自身が高い倫理観を備えることが先決ですよね、大いに反省。

ともあれ連載記事「岐路」。機会があればご一読下さい。

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