民主党政権の200日(下)
- 2010年5月1日
(「民主党政権の200日(上)」のつづき)
「期待の星」民主党と官僚の反撃
- 2009年11月8日
- 日中「交流協議機構」第3回会議 を東京で開催(11月12日まで)
- 2009年11月12日
- 小沢民主党幹事長、来日中の韓国民主党代表と会談
- 2009年11月13日
- オバマ米大統領来日
- 2009年11月30日
- 梁光烈中国国務委員兼国防部長が長崎県佐世保市を訪問、イージス艦ちょうかいを視察
この時期、鳩山首相と小沢幹事長を巡る政治資金疑惑に関してのべつ幕無しの報道が続いていたが、この二人の政治資金疑惑は既に政権発足以前からずっと取沙汰されていたせいか、新たな報道に接しても「ああ、またやってるのか」という程度にしか感じなかった。まだまだ政権交代の高揚感とその余韻が残っていて、物慣れない様子の大臣の様子などが頻繁にテレビ画面に映し出され、良くも悪くも初々しいというか、新入生・新入社員を生暖かく見守るような空気が(「挨拶かねーじゃんか」「こーえがちーさーい!」などと意地悪をする上級生あるいは先輩のような人もまあ居たにせよ)そこはかとなく漂っていたように感じていた。また普天間基地移設問題など日米関係における当面の課題もありはしたものの、いまださほど切羽詰まった状況でもなかったせいで、オバマ米大統領が来日して皇居を訪問した際にあまりにも深くお辞儀をしすぎたのではないかなどという些細なことを米国や日本のマスコミが騒いでいるような「平和な」時期であった。
(2009年11月16日)「お辞儀と国旗と国家」
(2009年11月26日)「(つぶやき)死中に活有り、か?」
- 2009年12月9日
- 鳩山首相が「バリ民主主義フォーラム 出席のためインドネシアに出発。(翌日帰国)
- 2009年12月10日
- 民主党議員団が訪中 。小沢幹事長が胡錦涛中国国家主席と会談
- 2009年12月11日
- 小沢幹事長が梁光烈中国国務委員兼国防部長と北京で会談
- 2009年12月12日
- 小沢幹事長、李明博韓国大統領と会談
- 2009年12月13日
- 小沢幹事長および民主党議員団が各々帰国
小沢一郎幹事長及び一般参加者を含む民主党議員団の訪中にあたっては、まるで大名行列のような600名(一般参加者含む)を超える規模であることや中国政府からの厚遇ぶり が目立っていた。この騷ぎと相前後して、近々訪日予定であった中国国家副主席と天皇との会見が小沢幹事長の横紙破りで設定されたと宮内庁長官が「告発」したことからマスコミが騒いだ。天皇の体調等を考慮し急な会見を設定しないという内規に抵触したことは事実であったらしい。宮内庁が「それは問題だ」と強弁することは確かに出来ないことではなかった(実際にやった)わけだが、その後わたしは、愛子内親王の不登校問題に関して思案足らずの公表を行ったことなどからみて、宮内庁の言い分は必ずしも妥当なものではなかったとの結論を得るに至った。
(2009年12月15日)「キム王朝」と「財政改革」と「選挙の神様」
- 2009年12月16日
- 民主党がマニフェスト修正につき政府へ要請提出
- 2009年12月24日
- 東京地検が鳩山首相の元公設秘書を政治資金規正法違反で起訴
- 2009年12月25日
- 鳩山首相が普天間基地移設問題に関して来年5月までに移設先を決定すること明言
- 2009年12月28日
- 菅直人副総理兼国家戦略担当相がテレビ番組収録で対米関係の重要性に言及
- 同日(28日)
- 鳩山首相が日米同盟維時・普天間問題5月決着を重ねて表明
政治資金問題・政策面における理想と現実・普天間基地移設問題等々、そろそろ問題解決の困難さに苦しまねばならないことが明らかになりはじめた時期であったが、その一方で、翌月から放送予定のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の宣伝効果であったのか、世間のあちらでもこちらでも維新や志士たちをもてはやし、なかには自らを坂本龍馬その他のヒーローに擬す阿呆まで出て来る始末で、まあ確かに直面している大問題をものともしないという点では「大人物」と言ってもよさそうな人たちがちらほら見聞された。
(2010年1月7日)「維新は遠くなりにけり」
小沢一郎と官僚との激闘、そして奇妙な和解(?)
- 2010年1月15日
- 小沢一郎民主党幹事長の元私設秘書石川知裕衆議院議員 を逮捕
- 2010年1月16日
- 民主党党大会開催、小沢幹事長は検察との対決を宣言
既に政権発足前から頻りに取沙汰されてきた小沢氏と検察庁との対決(!)とそれにまつわる報道合戦は、民主党大会前日の逮捕で激しさを増した。
余談ながら「われわれは粛々と職務を遂行しているだけである」という言葉は特搜部検察庁警察捜査機関法務省ひいては官僚お役所唐変木の最も好むところの言葉であり、「検印君」 の巣窟においては自分たちのやることなすことを悉く正当化する万能膏薬として珍重されるところのものであることは遍く周知の「事実」であろう。
閑話休題
そうした状況のなか、鳩山首相は小沢氏に対して「どうぞたたかってください」と述べたことから、行政府の長としてあるまじき発言であるとして(一部から)批判された。しかし行政府の長の指示に従わない(指示に従うふりをしてサボタージュする)官僚たちが仮に居るとすれば、それを取締まるべき首相 にはむしろ「あなたも闘ってくれ」と言って応援するのが有権者の果たすべき役割であろうと私は考えた。その理由は言うまでもなく主権者たる国民には官僚・役人を直接管理する手段は(事実上)与えられていないも同然であり、それ故に政治家が立法によってその役割を果たすことに期待を寄せるからである。他面その負託に応えるべき政治家に清廉さが要求されることは言を竢たない。そもそも行政改革を標榜して誕生した民主党政権の誕生を阻止せんとしまた出鼻を挫かんとするようにも見える検察庁乃至官僚集団の動きは、(私の見るところでは)むしろ小沢氏一個の政治資金疑惑以上に問題視されており、また行政改革(官僚制度改革)を標榜したことこそ2009年夏の選挙で民主党が大勝した理由の一つである、というのが私の観測であった。言葉を換えて言えば、民主党あるいはその最高実力者であると自他共に認める小沢幹事長が、票集めや官僚掌握の「手段」としてではなく「目標」として行政改革に取り組みひいては財政改革の実現に努力する限り、(少なくとも過去の)政治資金疑惑に関しては”ひとまず”黙過されるということもあり得るのではないかと考えたのであるが、実際には年末年始をはさんで事態は別の方向へと進んでゆく。
(2010年1月17日)「公務員ではなくリーダーとして」
- 2010年1月23日
- 東京地検が小沢一郎幹事長から事情聴取(第1回目)
- 2010年1月28日
- 民主党 「取り調べの全面可視化を実現する議員連盟」 (会長・川内博史衆院国土交通委員長)設立総会開催
- 同日(28日)
- 警察庁が「捜査手法、取調べの高度化を図るための研究会」 の設置を発表
- 2010年1月29日
- 鳩山首相、施政方針演説
1月29日に鳩山首相が行った施政方針演説では決して行政改革や財政再建について語られなかったわけでは無かった。しかしそこには、自らも身を切られる覚悟でそれに取り組む気迫はもはや宿っていないように私には思われた。しかしそれは鳩山首相だけの話ではなさそうだった。施政方針演説に先立つこと6日前に行われた小沢幹事長に対する東京地検の第1回目の事情聴取を起点として、施政方針演説の日までの時期の一連の流れ を知ることによりその感がいよいよ深まった。そもそも数年おきの選挙というハンデを抱えた政治家が身分の厚く保証された官僚と同じ土俵で戦うならば、勝敗はかつての日米戦争と同様既に戦端を開く前から見えていると言うべきである。官僚制とその弊害は古くて新しい問題であり、また決して最終的解決の得られない問題でもある。ちなみに作家星新一はそのエッセイの中で、日本人が自らその弊を取り除くことが出来ないのならば、日本はいっそのこともう一度無謀な戦争を起こして惨敗したのちに、進駐軍に「民主化」をやってもらうしかなかろうという、ひどくシニカルな「日本改革論と諦念」について書いている。
(2010年1月30日)「星新一の対米開戦論と民主党政権」
- 2010年1月31日
- 東京地検が小沢一郎幹事長から事情聴取(第2回目)
- 2010年2月2日
- 小沢一郎幹事長がキャンベル米国務次官補と会談
- 2010年2月4日
- 東京地検が小沢一郎幹事長を不起訴処分
- 2010年2月5日
- 亀井静香郵政改革担当相が日本郵政非正規社員の原則正社員登用 に言及
- 2010年3月17日
- 法務省副大臣が取り調べ可視化法案の早期提出見送りを民主党に伝達
・・・・・・。ああ、左様で。
エピローグ〜激闘ふたたび
- 2010年4月26日
- 鳩山首相の政治資金問題に関して東京地検特捜部が不起訴としたことについて、検察審査会が「不起訴は相当」と議決(4月21日付)したことが報じられる
- 2010年4月27日
- 小沢幹事長の政治資金問題に関して東京地検特捜部が不起訴としたことについて、検察審査会が「起訴が相当」と議決
- 2010年4月28日
- 民主党国会議員よりなる 「司法のあり方を検証・提言する議員連盟」 (会長・滝実衆院法務委員長)が発足
最後に
これを書いている今、普天間基地移設問題が5月末の決着期限を目前に控えて差迫った課題となっている。既に昨年の12月以降この移設問題に関する報道が途切れることなくなされているにもかかわらずこの2回に分けて分載した「民主党政権の200日」ではほんの僅かしか取り上げていないことに不審の念を抱かれた方もおられるやも知れぬ。じつは私自身、このエントリを書きながらその理由がよく分からないままであった。そこで最後にそのことについてつらつら考えてみたところ、どうやらその理由の一つは普天間基地移設問題に関するこれまでの政府の動きというのは、明日になれば覆っているかもしれない「暫定的な方針・態度・決定」がほとんどであるせいで、このちっぽけなクロニクルにすら記すに値しないと私には思われた。仮にそれ等を記そうとするならば半日おきに項目を立てていかねばならなくなる。そしてそのようなことに今の私はあまり興味がない。結局この問題に関してはここでごく僅かしか触れなかった。重ねて言えば、普天間問題を避けたのではなくただここに記すのが適当であると思える事項が無かった、単にそういう理由である。たぶん普天間基地移設問題については新たなエントリを立てて後日書くと思う。



