- 2008年1月1日 (火)
『もてない男』再論
新年早々憎まれ口を叩くのも無粋であるからして、昨年からの積み残し(というか下ろし残し)で一席。ほろ酔い気分の鼻歌のようなもの。再論などというタイトルだけど、たいしたものではありません。ただの雑感です。
しかしあれですね、20年ですか。平成20年。いつのまにやら大きくなっちゃってさ。昭和はとおくなりにけり、か。やだね、まったく(いや、ぜんぜん厭ではないんだよ)。あの日のことはさすがによく覚えている。小渕さんが神妙な顔で掲げた「平成」の二文字、丁寧ではあるがあじもそっけない二文字を今でもはっきりと覚えている。
とーきーのーなーがーれーにみーをまーかせー
いつのまにやら二十年。
え、なんですと?話が見えない?
そりゃとうぜんです。もてない男は気が利かないのであります。わるかったね、空気読めなくてさ。いや、冗談ですよぉ笑うとこですって、ここは。
まあなにごとにせよ、てめえのことをあげつらってるうちはよそさまに害はなかろうからね、勘弁してくれ。
そもそも笑い話は無性に好きだが、他人を笑いのネタにするようなヤツは好きではない。これと同様、他人の不幸や失策をあげつらうヤツも嫌いである。すると当然(?)自虐的なヤツが好みに合うということになるわけだけど、この自虐というやつも「いいあんばい」でないと苦しい。見ているだけでも苦しくなる(島田さんはときどき苦しい)。この「自虐」のエネルギーがどこかで壁にぶつかって反撥してきたときに厖大な笑いのエネルギーが発散されることがある。そして私は『もてない男』にそうしたものを感じたのであります。
実際の著者(小谷野敦)がほんとうにモテナイのかどうか私は知らない。しかし彼はこの本のなかであくまでも自虐を貫いている。いや、確かに数人を対象にして毒舌を弄している箇所はあるのだが、それすらもなぜかイヤらしさがない。おそらくこれは著者の自虐エネルギーがそのようなイヤらしさをも圧倒していたせいではないだろうか。仮に筆者がこの本を書くにあって、(評論家にありがちな)自分だけは別世界の人的な立場をとっていたならば、そのような毒舌は読者をして辟易させることになったのではないだろうか。その点、この本は自虐と毒舌とがきわめて微妙なバランスを保ち続けていた(つまり良い加減であった)というのが私一個の感想である。
これは当然といえば当然のこと(違いますか?)
もしあなたが、モテル男(女でも可)がモテナイ男を揶揄し愚弄する文章を読んで楽しめますか?あるいは自分を中立者に仕立ててモテナイ男のモテナイ男たるゆえんについて蘊蓄をたれるのを楽しめますか?評者がある一人の人間のあり方なり活動なりを、まるで神の如き立場に立って論じるものを読むことで、その人間の生き様の一端にでも触れたと感じることができますか?そのような論を読むことで読み手自身の何かが変わるもんですかい?
一般論としてつけくわえておくと、確かに自分のことを棚上げしなければ語れないこと、自分のことを棚上げしてでも語らねばならないことというのはあるのかもしれない。しかしそれらについてはよほど謙抑的でなければ、この世には裸の王様が増えるばかりだ。少なくともこの著作において小谷野は裸の王様ではなくて、裸の道化を演じきって(あるいはさらけ出して)いるように見えた。著者の様々な見解のうちに、私の持つそれと異なる部分ももちろんないわけではないものの(結構たくさんあった)、面白いものは面白いのだから面白いのだ。
ついでにこの本のキャッチコピーを考えてみた。
「もてない男でも楽しく読める!」
UBSGW謹呈
ん、これだとレジに持って行きにくいかもしれぬ。
「モテる男の必読書!」
のほうが良い?
正月早々なに言ってるのかね。
ま、正月気分ということでどうぞご勘弁。
- カテゴリ: 書籍一般
コメント:5
- Mark W. Waterman 2008年1月2日 12:43
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>確かに自分のことを棚上げしなければ語れないこと、自分のことを棚上げしてでも語らねばならないことというのはあるのかもしれない。しかしそれらについてはよほど謙抑的でなければ、この世には裸の王様が増えるばかりだ。
今年の名言第一号。確かに、自分とは懸け離れたことではあっても、無視ないし無関心でいてはならないことはある。しかし、われわれの大方が琴線に触れることといえば、直接われわれを衆目にひきずり出すような、ある意味では過激な露呈を強いられるような、迫力ある真実の暴露だ。
すごい猫猫論、あるいは随筆論ですね。拙ブログ(Dr. Marks のほう)で紹介したい。
MWW
- UBSGW 2008年1月2日 19:34
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>ドクトル
今年初コメント、ありがとうございます。
「迷言」に対する過分のお褒めにあずかりましては、穴があったら入りたいところです。
ほろ酔い加減にまかせて隙の多いことを書いてしまったと思います。そもそも猫猫先生の本はまだこれ一冊しか読んでいないので、猫猫論などとはおこがましくて到底言えるものではありません。随筆はむかしから好きですのでよく読みます。この本が随筆だとしてのはなし、私が過去に読んだもののうち過激さでは群を抜いていますね。そして単なる過激な自己暴露、八九三な毒舌に終っていないところに私のセンサーが反応したようです。本の中でもひとこと「昇華」とまるで他人事のように述べてありましたが、これが言葉だけに終っていない。
>われわれの大方が琴線に触れること
迫力ある真実の暴露が何故われわれの琴線に触れるのか。これもまた考えてみる価値がありそうな気がしています。 - Takayuki Nanto (南都たかゆき) 2008年1月3日 18:04
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Dr. Marks (WWW) の「はてな」サイトから来ました。求道者さんのブログは、以前からときどき覗いておりましたが、コメントするのは今日が初めて。今日の求道者さんのブログは、ほんとによかった。一行一行に、激しく(禿げしく、ハゲ死苦)同意。
- かつ 2008年1月4日 23:35
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>昭和はとおくなりにけり
おお、同志を発見しました。小谷野氏の書は、書名だけだといささか引いてしまいますが、勇気を奮って中を覘くと結構面白いことが書かれています。
「素晴らしき愚民社会」もなかなか読み応えがあります。 - UBSGW 2008年1月5日 21:27
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>nantoさん
ありがとうございます。
亭主のUBSGWは求道者を名乗れるほどの者ではありません。「求道」は単なる”屋号”みたいなものとお考えいただければ小生としては気が楽です。>かつさん
かつさんブログの1/1日付でそのものずばりの「昭和はとおくなりにけり」という記事を書かれていましたね。このエントリを書く以前に読ませてもらっていました。コメントいただいてから「あ、出どころはここであったか…」と膝を打ちました。
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