- 2006年12月26日 (火)
レーヴィット『ナチズムと私の生活』
哲学者カール・レーヴィットの”自分史”。ユダヤ系ドイツ人であるが故に亡命を余儀なくされ、イタリアから日本(仙台)へ、そしてアメリカへと何度も亡命を余儀なくされた1930年代が記述の大半を占める。一学者を取り巻く政治的状況の変化がヴィヴィッドに描写されている。
元来がハーヴァード大学図書館が募集した懸賞論文向けの手記の由で、難解な哲学用語などはほとんど皆無(なので私でも読めた)。アメリカへ渡る直前に仙台で書かれたのは確からしく、当時日本に滞在していたドイツ人についてのイニシャルトークが含まれる。
ここでレーヴィットはナチス台頭の要因として次のことを挙げる(※1) 。
- 第一次世界大戦後のドイツ中産階級の崩壊
- 一般市民の「政治からの退却」(=個人生活への引きこもり)
こうした見解には特段の独自性はないが、レーヴィット自身や著名な画家であった彼の父親らに関わる具体例から当時のドイツの生活状況を窺い知ることができる。
彼自身はヒトラーが政権に就くまさにその頃のことを次のように回想している。
わたしどもは(中略)たとえただ一時間だけでも政治に犠牲としてささげようなどとは思わなかった。四人でスキー遠足をやり、バスで投票に向かう少数の市民を嘲った
そして大学当局から抗議を禁じられることになったレーヴィットは自らの最終講義を次のような言葉で終える。
まともに講義ができるためにはかならずしも「アーリア人」でなくてもよいこと、肝腎なのはその人がなに〔=人種の一員〕*1 であるかではなくてだれ〔=独自の資質・性格をもった個人〕であるかであること、これを自分の講義を聴いて学びとってくれたと思いたい
かつての師ハイデガーに対する厳しい評価(「色黒の小男」等)もあり、またフッサール(文中では「フッセル」)は素朴な老学究として言及がある。この本にはハイデガー、フッサールやM・ウェーバーの写真も複数掲載されている(この手の書物としては比較的に掲載写真が豊富なのが目に留まる)。なかでもハイデガーのポートレートを時系列に三葉並べているところには、(おそらく著者の意図ではない※2)ある種の意図が感じられる。1933年のハイデガーの口髭はまるでヒトラーのそれのようだ。
※1: ヒトラーに関しては明確な言及は見当たらないけれど、それは決してレーヴィットがヒトラーの役割(悪事)を過小評価しているわけではない(と私は読んだ)。私には、ナチスに加担したかつての師ハイデガー(その学問的業績にではなく人となり)に対してすら極めて辛辣な(冷徹な)評価を下している点からしても、レーヴィットのヒトラー観は敢えて語るまでもないむしろ言葉に出来ないほどの(憎悪を伴う)ものだろうという気がする。
※2: 私がそう考える理由の一つは、妻アーダによる「あとがき」によれば、生前の著者本人は出版を意図しておらず、彼の死後に周囲の勧めによってアーダが出版を決意したものだから。
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- 〔 〕内は訳者による注 [↩]
- カテゴリ: 歴史
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