- 2006年11月6日 (月)
こども=チンピラ説
規範・節度・倫理観・・・。
麗しい言葉だと思います。
厭味や皮肉でなく、私はこういうの好きなんです。
た・だ・し
それを他人から強制されるのは大嫌い。
逆にそれを他人に強制するのも大嫌い。
基本的には。(例外あり。信頼する師匠・友人等々の忠告は有難く拝受する)
自分自身は節度を持った人間でありたい。そのために自分自身に義務や忍耐を課すことにやぶさかでない。
しかしながら、他人から「それはあんたの義務でしょ」「あんたのせいでしょ」と言われたならば、必ずしも心穏やかでおれるほど出来た人間では(まだまだ)ない。
と同時に、自分が大した人間だとは思わないので、他人様に「あ~だこ~だ」言うようなことは可能な限り避けたい。言わない。
相手が(呆れて)反論して来ないのをよいことに調子づくような「おめでたい」人間にはなりたくないしお近づきにもなりたくないけれど、なかなかそうもいかないことはある。悲しいことに。
ここ数年、しきりに目につくようになってきた。
「恐るべき子ども」が世間的に認知されてしまったのか?と思わざるを得ないような出来事が頻繁に目につく。
内田樹のブログでまたもや発見。
子どもは「ペナルティがある」と思う行動は慎重に回避し、「エクスキュースが効く」と思う行動は図に乗ってやる。
「親が悪い」「社会が悪い」「学校が悪い」という他罰的な説明に対して、にこやかに耳を傾けてくれて、その告発の理路を支持するような言動をする人間が一定数いれば、子どもは必ずこのチープでシンプルな「物語」にとびつく。
2003年11月19日付
世間の出来事を見渡せば、ここでいわれる「子ども」をいろんな言葉に読みかえることが出来るように思う。
”子ども”も”大人”も関係ない。
「正義漢を気取って張り切っているその勇ましい言動で、その実ちっとも前向きなところがなくて他人の揚げ足取りに終始するチンピラ君たちを調子づかせるようなことばかりやってるのが今の○○○○じゃないのか!?」と思うこともある今日この頃・・・。
いや、べつにいいんですよ。それがオシゴト(ドウラク)なのでしょうから。
ただ、私もまだまだこの世に未練があるものですから、時々愚痴りたくなるだけです。どうぞお気になさらず・・・。
しかし、どちらがより罪が重いのか・・・。
チープでシンプルな物語にとびつく子どもの方か?
それともチープ&シンプルな物語を作ったり支持したりする大人の方か?
・・・・・・・
そりゃま、やっぱりどちらかといえば大人でしょうかね。やはり。
いっけん物わかりのよさそうな”大人”が一番信用できないことを子どもはよく知っており、また、それを知りつつ利用するのが”子ども”でしょう。
自分自身が正義の味方であると信じて疑わない人間ほど始末に負えないものはない(もちろん真の正義の味方なら大歓迎ですが)。そう云う意味でもやはり”大人”の方が罪が深い、かな。
嗚呼
なんだかチンピラの影が薄かったような・・・
ま、「まっとうに話が通じない」が「悪知恵だけ働いて」「すぐ調子づく」子どものような大人ということで。
馬鹿につける薬はなし
なにはともあれ前向きに日々を楽しむしかないか。
愚痴になってしまったなぁ・・・
- カテゴリ: 教育
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